という事件が最近頻繁に起きているようです。
秋葉原の連続殺傷事件からはじまり、パチ屋放火まで通り魔的事件が多いとか。
そこでテレビではなにが原因なのかなーんてことを本気で考えてるのかよく分かりませんが社会がダメとか裕福な家庭に育った人が挫折とか、大半は親子の仲が悪いとかいろいろ言っておりますが。
人間誰でも多かれ少なかれ衝動ってものがあるわけで、その衝動に対するリスクを自分で管理し、抑制する。これを言わば理性というかと思われます。
ただ、衝動が自分の考えるリスクより大きく行動に移してしまうことも多々あるのも事実ですね。衝動買いだったり、記憶をなくすほど酒飲んだり。もっと小さなことを言うと、歩行者。片方が狭い道の交差点。信号は赤。だけど見通しても車は確認できない。
道路を渡りたいという衝動に対して、赤信号は止まらないといけないというリスクに勝り、”つい”渡ってしまうなんて光景はよく見られることです。
今までいろいろ書いたのは、その衝動とリスクの管理は心のある人間は誰もがもっていて、衝動が勝ることがあるってことです。
それが、外に向けられるか、内に向けられるか。それだけ。大半の人はリスクを考えた後、内に向かいます。
内に向かう衝動。
今の通り魔が、やれれば誰でもよかったという人の数千倍、やれれるのなら自分でいいやと実行する人がいること。行動は逆でも思考とベクトルは同じだと思います。
外に向け、全く関係のない、その人の事情なんて知ったこっちゃない人が傷つくこと。それをして償うと自分が救われるのでしょうか。
その前に勝手に自分で首くくれば救われるのでしょうか。心が解析されない限り、死が確立されない限り永遠のテーマなのかと思います。
俺は今、好きなスロがちょっとできて、ちょっと勝ったりちょっと負けたりプラマイゼロだったりしながら日が落ちれば良いような生活をしていますが、それで救われてるのでしょうか?