時間が時間だけに言いたいことだけ。
ダメな人間は何をやってもダメなんてよく言いますが、人間、反省って事が出来る生き物でもあります。よく、反省はしても後悔はしないと言うんですが、後悔は何も進展はしない。ただ、反省は次に活かせるものだと思います。
ただ、その反省も次に活かせなければ後悔と一緒。自分でも解明できない迷路に迷い込み、何を反省すべきか見失ったり、いつしか後悔のループにはまってしまったり。
知らない事を聞くことは、バカではない。
分からない事を聞くことは、愚かではない。
自分1人で解決できないのであれば、助けを求めればいい。
それは、愚行でも恥ずかしいことでもなく、今の自分に満足していない、自分の考えを整理し、どれがモアベターな方策かを導く上での矢印にはなると思います。
困ったことがあれば何時でも。とよく言います。逆に困ったことがあれば、助けを求めます。
助けを求めようとした時に差し伸べられた手、溺れそうになった時に誰かが投げ入れてくれた浮き輪。それを掴むのは己の意思でもある訳で。
それを拒むのであれば、まぁ、溺れるしか無いわけで。差し伸べられた手を掴むのを拒むのであれば、その距離は離れていく。どんなになろうと、のたれ死んでも、こちらには後悔も何も無いわけで。
客観的に見てみると、ちょっとズレてね?なんて思ったりすることもありますが、俺からそれを修正しようとは思いません。その表現、その思いは、その人本人の意思であるから。
誰かがHELPと叫んでる。知った人なら、そして人に対してのことならなおさら。
それに対して、俺は手を差し伸べる。もしかしたら、1度限りの浮き輪かもしれない。でもそれを投げ入れる。
そして、その手を掴むかどうか。その浮き輪を掴むかどうかは、己の意思次第。そのHELPを拒むことはしない。ただ、なにもなければ、別に、何も。
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