例えば銃。日本では銃刀法というのがあって、許可なく猟銃や真剣を所持するのは禁止されています。が、実際怖い人達は銃を持ってる。
どうやって入手したの?入手経路は?いくらで?
例えば麻薬。本来あってはならないはずなのに実際にはある。
どうやって入手したの?入手経路は?いくらで?
何百億というブラックマネーと呼ばれるものも、多分あるんだろう。
そんな裏な部分を突き詰めて、深く知れば、表のことも違う目線で見れるんだろう。でもそれと比例してリスクも大きくなる。
そのリスクを背負ってまで、知る必要があるのであれば、そうするのだけど、知っても何もならないんであれば、それは糧とはならないと思う。
勇猛 と 無謀 の違いはそこに出てくると思う。
2 件のコメント:
悪を知り、それを「悪」と判断するか否かは
己自身。
リスクは何にでもある。
リスクに怯えて、そこにある「悪」を見ないようにするのは
主観だが、愚の骨頂かと。
理由?
新しい知識を得る機会を、自ら放棄しているから。
俺は知識は力だ。と常々思ってる。
見聞き・伝聞・口伝された知識が、自らの経験によって裏づけされた時。
それは凶悪な刃にすらなる。
ああ、俺って・・・orz
戦場カメラマンが良い例だと思う。
命をかけてまで、真実を知るか、そこまで。。。と思うか。これも自分次第だと思う。
情報は自分で見た事が一番確かな情報であって、そこには正も悪もないかと。
ただ、影な情報を知りうる為には、外堀を埋める情報も必要であり、その為に注意すべきことも情報かと。
そこに、勇猛と無謀が出てくる。ようは知識ではなく、知恵。
一般ピーポーでならば推測でものを言うより、、何か、知らない力が働いたでもいいかなとw
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