今日、福島から帰ってきました。友人と行ったのですが、最終日は疲れてしまったこと。見れる範囲で見ることが出来たことから、最終日はほぼ直帰という形をとったので1日目、2日目に出来る限り見れるものを見ました。
全てを見たわけではないので、主観が入るかもしれません。が極力、率直に見た現実を書きたいと思います。
駅を出て、レンタカーを借りるまで周囲を見ていましたが落ち着きを取り戻していて、普通に暮らしている感がありました。
国道288号線を太平洋側に走るにしたがって、地震が残した傷跡が見えてきました。この写真は、この先に鉄塔があり、鉄塔付近の補修をしたものと考えられます。砂の部分は崩れた場所。その上の伐採は補修に索道を使ったと想われます。警察の車を見た所、長野県警の方でした。聞いた所、沖縄以外の警察の方は全員見たそうです。約1ヶ月で交代となるようですがお疲れ様です。
道中、東に行く道には全て写真のような看板とカラーコーンがおいてありました。抜ける方法はありますが(山に入るなど)不正に入るつもりもないのでここまで。と引き返すことに。ここに測定器がありましたがこれはまた別途書きたいと思います。
このギャップより更に感じたのは、本当に人がいない。普段であれば下校する子供達や犬の散歩をしている人達などが、子供は皆無。ほとんどの人が避難しているようです。生活感は残っていて、洗濯物が干してあるのに、誰もいない不自然さ。非常に印象深かったです。
そこで飼われていたと思われる犬がいました。鎖は外され、自由に動けるのですが、主がいなくても未だ番犬としてそこにいて、役目を果たしている。
ここの牧場の方の心境は、言葉にできません。が、自分の想像以上の感情があったと思います。
なんとも言い切れない気持ち。少しナーバスな感じになりました。
この写真だけではなく、先日書いた地図の通り、結構長い距離を走りましたが、ほぼこのような状態でした。
一山西の田村市、川俣町に行くと、子供達もいて、地震の跡はあるものの、生活感があり、少しホッ。でも一山東の光景は、忘れられるものではありません。
1 件のコメント:
うちのアパートの2階にも一時福島からきた方がいたし、お世話になっている石和の先生の娘の旦那さんは南相馬市役所に勤めていて、子どもと娘さんは山梨に。石和でスナックをはじめた夫婦など、かなり近くの人はあちこちに分散しているね。
先行きが見通せないのがつらいといっていた。
俺は今の線量ならよっぽど近く(3キロ以内とか)にいかなければ大丈夫だとおもうけど、子どもや妊娠初期の人、これから子どもをつくろうとする人(妊娠の可能性がある人)は帰らない方がいいと思う。(というか数十年後のリスクが不明で安全サイド)
海から山への風で、原発近くの砂や土、ほこりなどが移動することはあるし凝集することもあると思う。
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