価値観の相違。ベクトルの違い。確かにそれはあると思う。物事の好みだったり、考え方、生き方も人それぞれなのは、個々が思うことが違うから。だから個性ってものがあって、分裂と融合を繰り返す。
割れた皿は確かに元には戻らない。でも、物を食べるのに、その皿しかなければ、なんとか割れた部分を繋ぎ合わせていくしかないんじゃないかと思う。
昔は別のお皿は多くあったかもしれない。でも今は、その皿しかなく、しかも割れてしまった。
欠片はどこかに行ってしまい、見つからない。淵はザラザラ。ちょっと力を入れるとすぐに割れそうな。水を入れたら、漏れてしまうかもしれない。実際漏れているかもしれない。
それでもまだ、なんとか、破片を集め、繋ぎ、出来るだけ元のようにした。いったいどうやって?
糊?瞬間接着剤?強力なボンド?はたまた溶接?これはもう明らかだ。その皿にいろいろ乗せるとまた割れてしまう。それを下から支えてやらなければ。しかも、乗せる物は入りきらないほどあるのに。
言わずものがな。皿とは国、繋いだのは政府、乗せるものは次から次へとくる課題、それを支えるのはもはや政治家ではなく国民。
重い。何故?
片側に多く人がいれば、その人達は楽だろう。でもそれだと皿は傾いてしまう。そして、傾いた方の皿を支えている人は、余計な力で支えなければならない。
支えているつもりで全然力入れてませーん。なんて人もいるだろう。これから、どんどん支える人は少なくなっていく。少なくなっている。
御輿に例えるのは失礼だけど、それを担ぐ時、御輿は重いから、みんなが力を合わせなければ持ち上がらない。傾き、倒れてしまう。担いでるフリしてれば他の誰かの肩に重しが。そして傷つく。
重い物担いでるんだから、肩に傷がついたり、アザになったりするだろう。でも皆でやれば、誰かが肩の骨を折る事はない。まぁそれが皿を繋いだ人達の思惑だろうが、それは別に間違ってはいないと思う。
小を殺して大を生かす。なんて言葉があるが、もはや、小を殺せば大も死ぬ状況だって事は皿を見れば明らかだ。確実に、割れる。
人それぞれ、それこそ、それぞれの生き方はある。でもそれにも限度ってものがある。
何故なら、皿があって、食べ物が乗っていて、初めて食べることができるのだから。
1 件のコメント:
何もできない と無力を嘆く暇があるなら
何かできる人のサポートをしよう。
反省だけならサルでもできる。
繰り返さない努力を怠らない事が、一番の薬。
「札束で
膨れる腹は
いづこにか
日の出(いずる)国 八百万
我が知りしは、此処のみぞ」
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