死んだ人じゃなくて、その周りの人達。
お経、祈り、なんでもいい。それは、自分の悲しさの慰め
その人を思い、悲しむ事に、儀式なんていらない。ただ、思うだけだ。
その思いこそ、自分への慰めであると思う。
そして、魂というものが存在するのなら
その思う事、思い自体が一番の供養ではないか?
法事として儀式に則るのもいい。別に横になりながらでもいい。酒を飲みながらでもいい。
その人を思う事。それが祈り。
病で休職してる為、療養兼ヒマにまかせて書いているテキストサイト。好きな言葉「地獄はまだ程遠い」
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