2008年5月29日木曜日

人の命、俺の命

 連日、中国四川省大地震のニュースが入ってきます。死者5万人超、行方不明者2万人超、数十万人の人が日本人で言えば、夢にまで見たマイホームを失っています。

 死者の整理(イヤな言葉だな)が追いつかづ、感染症などの恐れもありで、マジで今年、オリンピックするの?なんて思います。

 で、もしオリンピックを強行して、金メダルをとった人が、これを四川省の方々にうんぬんなんて善いがったら、俺はぺっとその人に吐き掛けそう。俺、何もしてないけど。

 で、今回残念ながらなくなった人の大半は、死ぬとも思っていない、ある所では、ラーメンを食べ(中国だから)、ウローン茶を飲み(中国だから)、麻雀とかして(中国だから)、子供を怒ったり、子供を褒めたり、2人で愛し合ったりする(人だから)。死というものから遠い人達が多数をしめていたと思います。

 その為、亡くなったかたの親族は、悲しみ、泣いている。死とはそれだけ重たいものであると、死んだ5万人超の人達がたまたまそこに住んでいただけで、死んでしまう。自分では何もわからずに。

 その点、俺はどうだろう。リスカとか、自傷行為は、妻のため、子のためにしないと誓い、化膿した手首の傷を塞ごうとしているんですが、俺は、多分、ちょっとだと思うけど、他の人よりねちょっと死、命が軽い気がします。

 そもそもなんでリスカをしたのか。別に死ぬ為じゃないんです。ストレスを発散する為に、自傷という行為で気持ちをスッキリさせてた。この効果は意外と効果があり、しだいに、ストレスを発散するというより、したいから、気を楽にしたいから、手首を切り、血を見るようになりました。

 で、先々週の木曜日に事件はおきて、その時から、別に命ってそんな重くないんじゃね?って思うようになってきて、木曜日はマジで、死んでもいいか。。。って思ってた。

 タバコを吸う。吸いたいから吸う。体に悪いと知っていても、吸う人は吸う。それと同じレベルなんじゃねぇかなって思ってます。別に死にたいってわけじゃなくて、そのくらい軽いものなんじゃね?って。

 まったくもって死ぬとは思ってない人、自分の命なんてそんなもんって思ってる俺。同じ死でも、そんなトコからも俺は馬鹿なんじゃないかなって思う。

 明日産業医さんとの面談があるんだけど、何を話そうか。こんな気持ちを話せばいいのか。

 フレッシュ先生に紹介状書いてほしいって言ったんだけど、断られた。書かずに行った方がいいと思います。って言われて。

 それは、俺はもう症状とか状態とか診察とか必要ではなく、馬鹿につけるクスリはねぇから病院に行っても意味が無いってことなのか。イヤその状態で病院行くと確実にヤバイから仕事したかったら、行くなってことなのか。前者が近いような気もするけど。クスリ、調達したいだけだし。自分がオカシイ事、分かってるようで自覚ないし。

 明日、5月に書いてもらった自立支援用の診断書を見せて、産業医さんの意見を聞いてみましょうかね。

 でも、行こうが行くまいが、俺の命は今、フワフワっとどっか飛んでっちゃうくらい軽いのかも。ってか、そんな覚悟ってゆーかガッツねぇし。また擬似自殺でもして喜ぶだけなんでしょうが。