2011年8月18日木曜日

その程度。どの程度?

 分相応に生きるって言葉は、別に悪い言葉ではないと思います。国語辞典とかで調べたり、第一印象ってなんかイヤな響きだけど、分相応を知るということも大切かなと。


 自分の置かれている状況、周りの状況、いろいろな環境それらを認識し、自分の今の状態を見極め、その状態の出来る範囲で生きるということは、地に足をつけ、生きることと同じと捉えているかもしれません。


 宇宙飛行士になりたい。と夢見る人は多いと思います。その為に必死で勉強している人もいるでしょう。でもそんな大勢の中の一握りが候補として選ばれ、更にその一握りの人が宇宙飛行士になれる。当たり前といえば当たり前なんですが。


 人一倍頑張って、それでも漏れた人もいると思います。頑張りバロメーターなんてついてはいないのですから。その人はいったいどう思うか。自分はどんなに頑張っても無理なのか?どれだけ頑張ればいい?自分を見失う。少なくとも、勉強していない人よりは知識は多くあるのに。


 そんな時に、自分が今、どの程度のレベルなのか、それを知る事は非常にプラスだと思います。そこで、自分の頑張りもその程度か。と諦めるのも正解であり、この程度ならと更に熱意を大きくさせることも正解かと。


 順位で物事を決められないことも多くあれど、自分が今いるレベルを認識する。ある程度知識を持っていても、もっと知識を持っている人からすれば浅知恵な人間であり、多少、何かのスキルがあってもやはり上には上がいて、その人からすれば、低いレベルの人となるのは確か。


 自分の趣味だったり、楽しい事を生業にあまりしたくないな。と思うのはその為でしょうか。プロと呼ばれている人も、その中のレベルの中でレベルに応じた事をするのでしょう。時にはそれが挫折へと繋がったりするかもしれません。お前はその程度で諦めるのか!なんて激もありますが、当の本人からすれば非常に重要なことだと。

 トッププロ。最高レベルにいる一握りの人にも、昇りつめた。という喜び、誇りとともに、そのレベルにい続ける、追う者は後を絶たず、更にレベルを上げなければというプレッシャーは相当な物だと思う。時にそれがイヤになってしまったりする。

 好きなこと、楽しいことなのに、嫌な思いをする。ってかなり過酷だと思うのですが、どうなんでしょうかね。ちなみに辛い思いをするのと、嫌な思いをすることは別と考えています。練習や鍛錬が辛いのは当たり前。その中に楽しみを見出しているのだから。


 好きな事して生活出来るんが一番。と皆が言いますが、その好きな事が嫌いになってしまわないよう、自分は、楽しいと思えるレベルの中で楽しもうかと。趣味に関しては。