2011年10月27日木曜日

心の整理整頓

 学校の授業、会社の会議など、先生の教えてくれてること、会議の中で出た議論。どれも大切な事なんですが、頭がいっぱいになっちゃって、覚えきれない。だからノートに内容を書く。授業や会議で、ノートと鉛筆を持たないでなんでも覚えてられる事なんて、ほとんどないと思います。


 ましてや、自分でも考えながら、人の話を聞いて、それも踏まえて自分の気持ちを言っている。大切です。が、自分で処理しきれない。それもあると思います。言ってる自分が何を言いたいのか、何を言ってるのか分からないなんてことも。


 ココロの事。 生きるという事、自分の事、今の事、未来の事、過去の事。自分が何をすればいいのか?、どう生きたらいいのか?自分は生きてていいのか?生きてる意味なんてあるの?そんな事を考える。どれも凄く重要なことだけど、考えすぎちゃって、どれから手を付けていいかわからないってゆーか、何がなにやら分からなくなっちゃったり。その何が分からないのかも分からない。なんてことになっちゃうことも。


 そんな時、文字や、キーワードでも、何かに残しておくと、一つずつ考えたり、あの時、どんな話をしたのか、また考える時、それを見ながら、キーワードに考えを追加していく。それも考えをまとめる1つの手段だと思います。


 大切な事をいっぱい話しました。自分が、君が今どんな状況なのか。何が出来るのか。何をすればいいのか。生きるということ。自分の思い。君の思い。複雑だけど実は単純であって、でも凄くデリケートで、でも簡単なこと。


○今の自分


 例えばいわゆるフツーの人が10の力があるとして、自分が今、3しか無い。それを10の人と同じように動くと、余力が3しかないんだから、当然、無理がきたり、どこかに何かが出てしまう。

 自分はいったいどのぐらいなのか?実は9なんだけど、1足りないから病と思ってしまう人もいる。にわかメンヘラなんて呼ばれる人。

 でも、10だと思っていても、実は6だったり、4だったり。それを判断するのはドクターなんだけど、それを認める事も大事であって。ドクターが4しかない。と診断したんだから、薬も処方されたり、時には堕ちたり、動けなかったり。それが現実なのを認めること。それが地に足を付けること。

 浮いていたら歩いているつもりでも、前進しなかったり、逆風なんて吹いちゃったら、あらぬ方向にいっちゃったり。

 それは人によって重さは違う。もっと酷い人もいる。それを認める事で悲観することは無く、あくまで自分の今の状態を見る。見てもらうことが大事だと思う。それがスタートだと。


○過去の自分

 自分っていうのは、誰かが作ったわけじゃなくて、生まれてから、いろいろな人と出会って、いろいろな人と別れて、勉強、仕事、生活、遊び。いろいろな事を経験して、少しずつそれが形となって、今の自分がいる。

 過去にも大事件があったり、大切な人、物があったり、それが壊れてしまったり。病になったのも、過去に何かしらの原因があって。その原因が自分の中で解決できなければ、病は良い方向には行かない。薬で症状を抑えることは出来ても、実際の重さは変わらず平行線。

 先ほどの10のうち、4だったら4のままだったり、それに新たな問題が出ると3になっちゃったり。


 逆に言うと、その原因、他人から見れば何でそんなことで?なんて思うかも知れないけど、自分の中でそれは心が潰れてしまうほど重たいモノ。それが取り払われたのなら、少しずつでも上にいける。1歩ずつ、1mmずつ、止まっているように見えても、少しずつ前に進むことが出来る。


 でも時として、過去の記憶の中、自分の心を変えてしまうほど大きいことがあると、自分の中の「時」を止めてしまうことがある。「時間」は進んでいても、心の「時」が止まってしまう。時が止まってしまうと、時間は進めど、その場から進むことが出来ない。何故?自分が止まってしまっているから。

 足が動かない訳じゃない。何か、強い鎖で何かに繋がっていて、はいつくばって動こうとしても前に進めない。そんな状況。

 でも、それは悪い事じゃない。それだけその過去のが強いってだけの事。決して悪いことじゃないんだ。でも、それを断ち切らなければ、前には進めない。断ち切るにはすごく勇気もエネルギーも必要。でもそれにかける時間は、決して無駄じゃない。

 時に辛くて倒れることもある。でも、それは前に倒れている。なら、前を向いて、また立ち上がる事ができる。自分や友達は、後ろに倒れないように、背中を支えてやることは出来る。でもその鎖を断ち切るのはあくまで自分でしかできない。


 たとえ、断ち切ったとしても、その大切な過去が無くなった訳じゃない。自分の中でそれは死ぬまで存在し続け、輝いている。


○これからの自分

 過去の自分がいて、今の自分がいる。さて、これからどう生きようか。

 それは、過去の自分、そして今の自分を見定めれば、自ずと道が見えてくる。出来なかった事が出来るようになった。眠れない日々が、ちょっと減ってきた。何も食べる気が無かったのが、ちょっとずつ食べれるようになってきた。少しずつの、前進。

 出来ることが増えてくれば、道の選択肢も増えてくる。友達とそんな話をすれば、更に増えたり。自分が今、出来る事、しようとする事、目標と言うのだろうか。自分の進もうと思う道を進めばいいと思う。


 いくら経験が多いからと言って、全て正解の道を進める訳じゃない。そんな時に怒ってくれる人を大事にしよう。慰めるのは誰でも出来る。それも大切だけど、耳の痛いことを言ってくれる人こそ本当に大切にすべき人なんだ。

 耳の痛い事を言うのだってツライんだから。嫌われるんじゃないか。そんな不安を超えて言ってくれるんだから。


 それを踏まえて進んでいけばいい。結果失敗だったとしても、それに後悔はない。自分を信じて。少しずつでも。


○責めないデイ

 自分は月曜日が嫌いだ。ほとんどの人が土日が休みで、昼間とか遊んでいて、なんか一緒な気持ちになるけど、月曜日、皆が会社に行くと途端に自分が病な人間なんだ。。。と認識させられ、なんか自己嫌悪な気分になってしまうから。別の意味でのブルーマンデーだ。


 心の病。ネガになってしまうことが多いから、つい自分を責めてしまう。動けない時、出来ない時、衝動に負けてしまった時、ちょっとした言葉の傷、自分、ダメダメじゃん。生きてる価値ねーんじゃねぇかな。なんて思ったりもする。


 動けないこと、それは悪いことじゃないんだ。だから自分を責めないで。今まで出来てたのが出来なくなってしまったこと。それは悪いことじゃないんだ。だから、自分を責めないで。衝動にかられてしまったこと、理性が負けてしまったこと。それは悪いことじゃないんだ。だから、自分を責めないで。


 怒る時は怒るよ。それは誰でも同じでしょ。自分の納得いかないこと。それを言うこと。それは誰にでもあることでしょ。反省すべき事は反省して、それを繰り返さないよう努力すればいい。後悔じゃない。反省。

 納得いかないんだったら、それを言えばいい。それで嫌われるんなら、その程度の関係だったんだ。お互いの気持ちをぶつけあって、良いトコを吸収。それのどこが悪いのか?


 あんなことを言ってしまったなんて思うかもしれないけど、それは自分が今まで築いてきた性格なんだから。性格だって人それぞれ。根本の性格ってものがある。それだけは曲げられないもの。誰もが持ってる。

 それがイヤな人もいるだろう。だからと言って、自分が悪いわけじゃない。どうしても受け入れられない人がいる。性格の不一致ってヤツだったり。それで離れたとしたって、自分が悪いわけじゃない。合わなかった。っていうだけ。だから悪いことじゃないんだ。罪じゃないんだ。だから、自分を罰しないで。自分を責めないで。




 100文字を言葉にすれば1分ですむ。でも1分話したことを文字にする時、100文字じゃ収まらない。文字にも限界があって、その為に言葉があって。言葉だけじゃ分からないから顔を見て話しする。伝えたいことを少しでも理解して欲しいから。理解したいから。

 それも記憶に留めているだけでは何もはじまらない。かえって混乱してしまう事もある。だから言葉だけの方が良かったり、それを文字にする。再確認して、前に進める。どれにも意味があって、どれも大切だってことで、ペンならぬ指を置く。




P.S おい”宝石”なにやってんだ? ○年後にお前は偉業を成す。 2歩目は1歩目が出なきゃ出ない。そんなところでもたもたして。    [○月×日] -神門-