2012年3月10日土曜日

悲しいのは

死んだ人じゃなくて、その周りの人達。

 お経、祈り、なんでもいい。それは、自分の悲しさの慰め


 その人を思い、悲しむ事に、儀式なんていらない。ただ、思うだけだ。


 その思いこそ、自分への慰めであると思う。


 そして、魂というものが存在するのなら


 その思う事、思い自体が一番の供養ではないか?


 法事として儀式に則るのもいい。別に横になりながらでもいい。酒を飲みながらでもいい。


 その人を思う事。それが祈り。

イラストいただきました

昨日、ツイッターで、イラスト募集したところ、描いてくれた方。マジ感謝。すげ嬉しいです。


タイトル「鳥天使」

閃き。フィーリング


萌えの意味なんて分からなくていいんです。メガネ属性とか、ツインテールとかツンデレ運動部はブルマがデフォとかニーハイとかアホ毛とか。いいんです。

感謝。サンクスです。

絶望の果てに立ち、口笛を吹く

ブルボンズのCDのタイトルなんですが、好きなフレーズです。


 絶望の度合いは人それぞれで、それをとやかく言うのではないのですが、ドンゾコにいるのなら、そのドンゾコを受け入れる。

 希望なんてのは、ドンゾコ掘っても出てこない。下見てても何も落ちてない。そこで頭を抱えてもなにも出ない訳で。


 そこで楽観するのは非常に難しいのは百も承知なのですが、そんなヤツもいたりするわけで。


 友達や仲間ってうものも人それぞれの定規で定めたところにあるかもしれません。が、自分の言う「仲間」は、いつも



 絶望の果てに立ち、口笛を吹く



 正しいとは言いません。下手糞な生き方かもしれません。自分は、口笛は吹けないので、鼻歌で。