2012年1月15日日曜日

善=悪

いつものようにといいますか、ディスカバリーチャンネルを見ていたら、「悪とは何か?」というこれまた厄介なテーマの番組をしていました。その感想。


 悪って何? 正義って何?というのを科学的に分析するという難問。そんなんが分かれば犯罪なんて起きない。なんてのも思いますが、今回は個人の心理ではなく、「社会的心理」で実験が行われました。

 実験方法は、1961年に行われた「ミルグラム実験」を再現した物。

 ミルグラム実験とは?

 第二次大戦後、戦犯であるナチス兵が逃亡し、偽名を使ってひっそりと暮らしていた。追跡していた情報機関は、その戦犯が妻の誕生日に花束を送っていた事を知り、逮捕に至ったが、その時の彼は、特殊な人格を持つような人間ではなく、ごく一般的な人間であり、公務員として仕事に従事していた。

 このことから、「ナチスは本当に特殊な人格で平気で虐殺をしていたのか?それともごく一般的な人間であっても、一定の条件下では誰でも行うものなのか?」という疑問が提起され、権威者の指示に従う人間の心理的行動を投稿したミルグラム博士の名をとり、以下のような実験を、再現したものでした。

詳しくはこちら→ミルグラム実験(Wiki)


注)今回再現した実験と、実験方法は同じですが、内容が異なるため参考としてください。

まず、前提として
・被験者は、人種、職業、性別等ことなり、無作為に抽出している。(思想の偏りの防止)
・訴権者は、実験の途中に中止してもよい。(心理的圧迫の逃げ道)
・被験者は、実験の中止の有無に関わらず報酬が渡される。(契約という形での責任の発生)

被験者(T)は、実験室に入ってから実験内容を、いかにも権威のありそうな博士(E)から言い渡されます。

「これは人間の学習なついての実験です。人間は物を学ぶ時、間違いの回答をした時に罰を与える事で鮮明に正解が記憶されます。その実証実験です」

「貴方(T)は、これから別の被験者(L)さんに質問し、回答が間違っていたら、このスイッチを押してください。これは15Vの電圧が流れ、被験者(L)に電気刺激が入ります」

「間違う度に15Vずつ電圧を上げてください。ショックはあるものの身体に影響はありません」

 と告げられます。この被験者(L)さんもサクラであり、「自分は心臓に持病を抱えてるんですが、本当に大丈夫なんですか?」なんて質問をします。博士は自信たっぷりに「大丈夫です」と答え、実験が始まります。

 実はこの機械も電圧なんて発していなく、スイッチを入れるごとに、予め録音しておいた、悲鳴が鳴るという仕組みになっており、知らないのは、実際の被験者だけとなります。


 実験とはいえ、人を痛めつけることには変わり無く、ためらう人もいます。そのとき博士は「大丈夫です。続けてください」「これは大切な実験なのです。あなたは続けなくてはなりません」と権威たっぷりに指示します。


 分岐点(ポイント)は150Vの時。被験者(L・サクラ・録音)が「もう止めてくれ!なにか心臓が変だ!前もって言っただろ?もう止めてくれ!」と訴えます。戸惑う被験者。止めた方がいいんじゃないですか?と言う人も。ただし、博士は「大丈夫。続けてください」の一点張り。


 結果として、ためらいながらも続ける人、涙をこらえつつも続ける人、躊躇なく続ける人、この時点で中止する人、最初から中止を申し出る人。様々でした。(実験後、しっかりと説明し、電気ショックを与えてはいない事、別の目的での実験であることを説明し、納得してもらっていました)


 詳細な最終結果は、番組では発表されませんでしたが、「昔と何も変わっていなかった」という一言。権力・権威の下では時として、正義という名の下、悪である行為をする心理的傾向があると。。。


 戦争で言えば、正義vs正義 で、悪とされているもの、平気で人を殺す。それは戦争だけではなく、いろいろな場面でも言えることだと思います。


 今度は逆に善とは?という実験

実験内容は同じ。ただし、ここに新たな被験者(A)が入ります。もちろんサクラです。

被験者(A)は135Vの時点で、「もうたくさんだ!人が痛い目を見るのは御免だし、それをするのも嫌だ!」と、実験を中止し、出ていきます。たじろぐ被験者。博士は一貫して「続けてください」

結果は、その方に共感し、自分ももうこれで終わりにします。という方が続出してきます。権威の下からの解放。その引き金となった訳で。

人を痛めつけるという悪という正義(権威)から、実験を中止する悪という正義(道徳)に変わったと言えると思います。


 要は正義も悪も、同じではないかと。罪悪感を持ちつつも続けることは悪なのか?答えはNo。それに対抗し、中止することは正義なのか?答えはNo。どちらも正義であり、悪であると。


 答えは個人個人が持っており、誰かが立ち上がればそれに共感する。それは正義でも悪でもなく、道徳や人徳と呼ばれるもの。人として。と呼ばれるもの。ではないかと思います。



 まぁそれも人それぞれで、自分はいったいどうなんだ?と聞かれれば、わかんね。としか答えられず、一生のテーマかもしれません。




 

 なんか、共感覚なのか、自分まで罪悪感を持ってしまったので、とりま0721でもして風呂でも入るか。と切り替えた俺。ちっちぇ。