2010年10月28日木曜日

サイコロ

 今日、面談だったので会社に行きました。面談自体は変化無し、ってゆーかトラブルがあり、病院にいたこととか、その後、クスリのせいか分かりませんが午前中キツイことを話しました。

 面談はそれで終わったんですが、話はその前、ソファで自分の順番が来る時に思ったこと。

 自分をサイコロに例えてみよう。サイコロと言ってもいろいろありますが、形は違えどサイコロはサイコロです。何で出来ているか。金属?木?なんでもいいんでいが、それは人それぞれ違うと思います。

 粘土のように簡単に形を変えられる人もいれば、固い鉱石のようになかなか形を変えられない人もいます。が、時間はかかれど人はどんな形でも変えられると思います。そして今回はサイコロ。

 例えば20面体の人。球に近いため、いろんな所に転がります。が、いろいろな面があり、それに応じた目を出すことが出来ます。どんなに面が増えても真上に出目が出て、その出目に応じた行動がとれるんじゃないかと。面が多ければ多いほど、いろんな場所に転がっていってしまいますが、出目はあるわけで。

 でも中には正三角錐みたいな形の人もいるわけで。形が安定しているため、なかなか転がることが出来ず、三角形なので転がったとしても、上に出目が出ず、常に3面が出ている状態。そして3面もあり、かつ出目ではないのでどれが正解なのか分からない。その中から自分で選んだり、誰かが光を当ててくれたり。後者の方が多いと思います。

 でも動かなければ、転がらなければ出目?はいつも同じまま。そして誰かが光を当ててくれることも出来ないんじゃないかって。

 風を待って転がるか、自分で転がるかは人それぞれなれど、転がることによって角が落ち、面が増え4面体、10面体となってくれ、初めて出目が出てくれることもあると思います。

 時にはその出目が自分の理想と遠いところにあったり、良い出目なのに変な風が吹き転がってしまうかもしれません。でも転がった先には必ず面がある。面が多くなるってことは多様性が出来、多くの事態に多くの出目が出せるって訳で。

 どこに転がるか自分でも分からない。でも、転がって面を増やしていくのが生きることなのかなぁって。究極は、これは誰もいないと思いますが完全な球な人は何でも出来るんじゃないかと。どこまでも転がって行ってしまいますけどね。

 たかが10分の待ち時間でそんなこと考えました。このテキストを見て、嫌な思いをする人がいるかもしれません。でも、書かずにはいられなかったこんなボクを許して。