2012年8月1日水曜日

イン ザ 京都

 7/29から2泊3日で京都に行ってきました。京都といえば。。。。なんて言い出すとキリがない訳ですが、あまり観光で。という意識ではなく、友人に会う為と言った方が目的としてはいいかもしれません。


 いわゆる名所と呼ばれている場所ならともかく、一段深く観るとなると1日じゃ収まらない、見切れないの分かってるし。


 初日は心斎橋でライブ。カルガモネンドさん。やっぱいいわ。染みます。って大阪ですしね。

 2日目、何を見ようか。なんてあまり考えてなく、ほんと思い付きに近い状態で、京都、京織物。布だったら、ジーンズ補修用の布とかあるんじゃね?なんて祇園へ。

 最終日はただ、帰るだけ(電池切れ)という、やはり観光という目的とはちと離れているかもしれません。


 でも、やはり歴史と独特の文化のある街。ちょっとした所にも歴史を感じる建物や、独特の雰囲気があって、いろいろと思うコトはある訳で。これが京都だからか?って言われると難しいのですが、関係すると言われるとあるかもしれず。


 京都に行って、京都を歩いて、思ったこと。そんな雑記を少々。初日は別途書きたいと思います。

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祇園にて

 まぁ有名な観光地ということで、観光客も多かったのですが、やはり祇園という事もあって和風の小物だったり、舞妓さんは昼間だったんで見ることは出来なかったのですが、これも日本独自のもの。舞妓さんのいる、修行する建物とか見たり。

 そこで目に写るのが「色」。

 和色と言いますか、あれって他の国にはない独特の味のある色だったりすると思います。同じ赤や青、紺、黒にいたるまでなんとなく独特。説明しづらいですが、好きです。山や川、夕暮れの空。自然に近い。。。そんな感じ。


 織物であれば、祇園より京極の方があるとは思いますが、着物の布というと単位が反になるんじゃね?とか値段も。。。ということで祇園で布購入。あとハサミとボンド。文具店だし。


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そうは言っても

 言われてた通り、無茶苦茶暑かったんでお茶をしようとすることに。ただ、観光地価格。なんでお茶で1000円とか払わなきゃいけないんだ。でもマジ暑いし。ってか京都といえば八つ橋でしょ。

 ということで、八つ橋の老舗のお店に行き、2階が喫茶だったんで、そこに行くことに。

 で喫茶でメニューを見たんですが、八つ橋はあるんです。ですが、妙に洒落てて、数種類のあんこがあって、自分で巻く的な。で、皮のおかわり自由。なんてのがあったんですが。

 いや、そうじゃなく。自分はいわゆるフツーの、お土産的な、三角のヤツが食べたいんであって。しかも餡は小倉で十分であって。

 ということで、下でお土産用のオーソドックスな八つ橋の一番ちっこいのを買って上で食べるってのはダメなのか?と、相変わらず店員さんがイヤな顔をするような提案を。


 OKが出たので実行し、結果的に安くあがったのですが、それは別として、そのような提案をする人はいなかったんかな。と。

 たぶん、地元の人はあまり食べないとは思います。でも地元の銘菓です。山梨出身の自分も信玄餅大好きですし。別に食べてもおかしくないじゃん。と。

 で、地元の人ならなおさらオーソドックスな物でいいんじゃないかと。地元の人だって祇園で買い物とかしたりするでしょ。たぶん、スタバとか行くと思うのですが、和菓子でお茶っていったらそういう店に行く訳ですし。間違ってはないかと思うのですが。

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「理」(ことわり)

 日も暮れてきたし、目的の物はゲットしたのでホテルへ帰る最中、貴方の目を見て文字書きますってのがあったんです。まぁこれも京都だからって訳じゃないですね。いろんなトコでやってますし。


 自分はやはり「病魂」って書いてもらったんですが、その人のインスピレーションで書いてもらう。何故、そのような字になったのか。それにはその人なりの理由があって。そう感じたから。これも理由の1つになるかと。


 それで、その半紙を入れる紙袋にも書いてもらったんです。それが、風で飛ばされて、墨が別の場所に着いてしまったんですね。紙袋の。

 「書き直しましょうか?」と言われたんですが、断りました。そのままで。何故か。自然のしたことだから。

 人には人の、自然には自然の「理」があって、特に自然の理には、絶対人は勝てないというのはつい最近でも思い起せると思います。受け入れるしかない。と。

  不条理と呼ばれるものであっても、それは人知を超えたものだからであって、自然は自然の理屈で動いてる。 この蒸し暑さ、確かに汗出るし不快とも思う。だからこそ、その分、秋の美しさも際立つんじゃないかと。じゃあこの蒸し暑さがなかったら?もしかしたら秋ってものが来ないかもしれない。

 人において、生き物において突き詰めれば、遅かれ早かれ皆死ぬ。それは不条理なのか?答えは否だと思います。逆を言えば、生きている今もなにかの「理」で生きているとも言える訳で。それは自分には分からない。それこそ人知を超えた「理」で動いているんじゃないかと。


 京都の街。陰陽とかよく分かりませんが、碁盤状の街にしても、仏閣の位置にしてもテキトーに区切って、テキトーに建てた訳じゃなく、必ずなんらかの意味があってそこには理由があるわけで。

 そんな「理」の集まった場所、京都だからこそ思ったのかもしれません。

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 と、なんか薄いようで、厚い、暑い、熱い旅でした。




 外出する時、なーんか忘れてしまう自分。前日に荷物チェック。チケットOK!着替えOK!でわいざGO~~~!




 あ。。。。ヒゲ剃るの忘れた。。。