2011年8月10日水曜日

唇をかみしめて ~吉田拓郎~

ええかげんな奴じゃけ
ほっといてくれんさい
アンタと一緒に
泣きとうはありません

どこへ行くんネ
何かエエ事あったんネ
住む気になったら
手紙でも出しんさいや

季節もいくつか
訪ねて来たろうが
時が行くのもワカラン位に
目まぐるしかったんじゃ
人が好きやけネー 人が好きやけネー

さばくもさばかんも 空に任したんヨー

人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

何かはワカラン
足りんものがあったけん
生きてみたんも
許される事じゃろう

自分の明日さえ
目に写りもせんけれど
おせっかいな奴やと
笑わんといてくれ

理屈で愛など
手にできるもんならば

この身をかけても すべてを捨てても
幸福になってやる
人が泣くんヨネー 人が泣くんヨネー

選ぶも選ばれんも 風に任したんよ

人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

心が寒すぎて
旅にも出れなんだ
アンタは行きんさい 遠くへ行きんさい
何もなかったんじゃけん
人が呼びよるネー 人が呼びよるネー

行くんもとどまるも それぞれの道なんヨ

人が生きとるネー 人がそこで生きとるネー

人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

情熱不足?

 イギリス、ロンドンで大規模な暴動があり、かなり危険な状況になっていることを、ニュースで知りました。前々から蓄積された失業率の高さへの不満。発端は黒人男性が射殺されたところから不満が爆発し、このような事態になってしまった。

 暴動などのニュースは、アメリカでもいろんな国でもあります。が、日本ではデモ行進など、不謹慎ではありますが、穏やかといえばそうなります。


 それでも、60年代では、安保闘争や、国鉄共闘、学生運動など、過激派と呼ばれるものもあり、自分の記憶の中では、成田空港関連でしょうか。子供だったのでヘルメットにサングラスにマスク。赤マル。と呼ばれる人達が火炎瓶を投げた。とか、自家製バズーカを作った。とか、そんな記憶があります。


 3月からの地震、事故で、いろいろな箇所に対して批判・凶弾が爆発していました。これで停電になんかなったら暴動になるんじゃね?なんて思ったのですが、ネットの中だけでした。。。


 その間にも管総理や東電のウニャムニャしたような対応だったり、見ててイライラするようなことばかりで、まずは東電を叩き始め、次に原発、そしてまた政府、暑くなってきて、本当にヤバイのは、今年の夏。と言っていた供給不足がいよいよ懸念されるようになったら、放射能のことばかり。うーん。。。流されまくってますね。


 渋谷・原宿での反原発デモもありましが、そんなに過激ともいえるものでもなく、8月6日に新橋でもありました。8月6日といえば、広島に原爆が投下された日。祈りの日。そこに併せてやれば、反原発の声を高められると思っていたのでしょうか。

 結果として、黙祷の時ぐらい静かにさせてくれ。原爆と原発を一緒にするな。というもっともな結果となったですが。


 ニュースや、ツイッター、自称ジャーナリストの書くこと。毎日、毎日同じことばかり。でも裏を返せばそれだけ注目しているということでもあると思います。全国規模で放射能を検出し、っていうか、検出するばかりでそれを収束させようという動きは出てないの?という疑問。


 安全と思われる場所に非難するのも、行動の1つと思います。3月は北から吹いていたので、放射性物質は南下するのですが、これから台風の季節、西、南からの風が強くなることは分かることだと思うのですが。。。これは蛇足ですね。


 飽きもせず、同じことを繰り替えし発言する人達。主張という面をも持ちながら、やはり匿名性に守られているというリスク回避があっての発言ではないかと。それで言いたい放題であるなら、ツイッターもたかが知れるというものです。ってかこれも蛇足ですね。


 今、このイギリスでの暴動に対して、なんで日本でも起きないのか。とか、昔はこんな時代もあったとか、なんか焚きつけるような発言もあり、なに、国民を暴徒化させたいのか?みたいな事も思いましたが、暴動はともかくとして、発言に対する熱意みたいなものは感じる発言が少ないことは確かにあるところで。


 ぶっちゃけて言えば、それ以上のリスクが怖いんでしょ?と。俺も人のことは言えませんが。逮捕されてまで、前科付けてまでやりたくないよ。。。というのが本音かと。


 発言に対して、確固たる意思、思想なり、しっかりとした根拠、情報を持って発言するものは自ずと目に入ります。その人の熱意みたいなのは確かにあるな。と。でも引用だったり、RTだったり、曖昧な情報を鵜呑みにしたりな発言ばっかだと、そりゃ情熱も冷めるってなもんです。

 確かに、そんな情熱のようなものを余り感じない。ネットだから?匿名だから?両方かもしれません。


 今年の初め、スノーボードの帰りに温泉に行き、小学生の書初めで吹いたのを思い出しました。


 「やればできる。 でも、やらない」