2010年1月12日火曜日

クローン人間

 人間のクローンについて、今もまだ研究は続いているのですね。数年前でしたか、物議をかもしだし、人間のクローンについては行わないって決まったような気がしましたが。

 ただ、牛や羊などのクローンはすでに開発されていて、良質の牛の細胞からクローンを作成し、同じような牛を生産するという技術は進んでいると思います。

 人間のクローンを作るということ。なんか、死人を復活させるような感じをもつ事とか、自分の分身を作るような感じに思ってしまいます。DNAが同じであれば、成功すれば、そのDNAの持ち主に似たヒトが出来るんじゃないかなぁ?って思います。

 ただ、何故倫理的に問題なのか?人間を妊娠させ産むこと、これは非常に神聖な行為であり、いわば神の領域の部分にあるからだと思います。人の生死についても。

 誰でも死ぬのは怖い。でも、そのDNAでクローンを作成したとして、また自分が出来るとは限らないと思います。

 じゃあ、一番てっとり早い不老不死は?細胞を培養し、DNA操作により脳の細胞を作れるとして、それを今の自分の脳に足し、脳を移植すればいいのではないかと。それであれば、自分を保ちつつ、脳の老化もなく、体を入れ替えることができる。脳さえあれば、自分は保てる。極論を言えば、脳さえ生かしてあれば不老不死となるわけですね。

 別に、DNAを使用し、もう1人の自分を創ったとします。それでそれが自分となりえるか?自分の息子が万が一死んだとして、そしてその細胞から同じ息子を創ったとして、それが過去の息子となりえるか?それはないと思います。

 1分、1秒、全く同じ行動をとらせれば、同じトラブルを起こすことができれば同じになるかもしれませんが、それは事実上できないでしょう。同じ時間なんてありえないから。まず親である人々の時間からして違います。

 だから愛する息子となるのか、体型や容姿は同じでも性格は違ったり、時には望みと違う息子となったり。その時の喪失感は?結局創ったもの。。。なんて捨ててしまうこともあるんじゃ?それではあまりに悲しい。創られたとはいえ、人間なのだから。

 人間の生き死に。それはまだまだ神のみぞ知るところ。そのままで、そのままがいいのではないかと。

 幼くして子供を亡くされた世界の方々に追悼を。愛する方を亡くされた世界の方々に追悼を。そして新たな命を授かった世界の方々に喜びの祈りを。

足しゃいいじゃん

 「覆水盆に帰らず」という難しい言葉があります。一度こぼれた水はもとには戻れないってそのままなんですが、一度とった行動は、結果、元には戻せないって意味ですね。

 言葉で失敗すること、たくさんあります。実際俺も軽い一言が相手を傷つけてしまったことも何度もあり、その度に自己嫌悪。なんであんな事言っちゃったかなぁ~。。。なんて落ち込んだりもします。

 その度に、言葉の難しさを実感し、どうすれば自分の思う事が上手く伝わるかな。って考えたりもします。そもそも、その会話の中には、悪意があってするものではないってことが前提であると言うこと。

 友達と会う時、何も相手を傷つけようなんて思いながら話す人はいないと思います。なんかの話の流れで、なんかのひょうしに出てしまった言葉が、自分からすれば悪気の欠片もない言葉が、結果として傷ついてしまった。それって、正しかったとか悪かったとかじゃないと思います。時には致命的になってしまうこともありますが。

 最初の言葉に戻して、皿に穴が開いてしまったのであれば、いくらフォローしようと意にかいすことは無く、元の関係には戻れない。そのままオワリ。

 でも、皿さえ割れてなければ、水を足せばまた水は満ち満ちて、また、笑顔で話せると思います。その為には、また話すこと。

 話すことに自分は、強く重きをおいています。眼は口ほどにものを言うというのもありますが、別に俺、テレパシーなんて使えませんから。話さにゃわかりませんから。

 話して話して話し倒して、自分の思いを話し、相手の思いを聞き、無理強いはせず、流されもせず。マジメな事を話す時は、客観的な自分をつくるのも手だと思います。冷静に自分の言葉を選べ、相手の言葉を受け入れることが出来ると思います。

 自分の主観を押し付けないってのもあると思います。人にはそれぞれ、生きてきた経験があり、その経験から「自分」というものを作ってきた。そこにはやはり自分という柱があるから。それはどちらが正しいとかではなく、それぞれが、それぞれだから。

 自分で何を言っているのか分からなくなることもあります。このテキストも然り、いったいナニが言いたいんだ?ってテキストのベトクルが変わることなんてザラで、まぁそれもいいかな?なんて思いながら書いているんですが。

 馴れ合いも好きじゃないし、軽々しい言葉も好きじゃない。頭で思いを一周させて、自分の思いが上手く伝わるよう、相手が笑顔になってくれるよう、また話をしよう。

 っつか、ニホンゴムヅカシイネ