2011年8月30日火曜日

眠れない夜

 何時もの時間にいつものように眠剤を飲んでも、眠気が来ない時は確かにあって。眠くない時に眠剤を飲んでも効かないというのは医師も言うことなので、あまり気にしてはいないのですが。

 そんな睡眠不足だったり、不摂生な生活を送っているから、身体になんらかのことが起きてもなんら不思議は無いわけで、それを何かのせいにするってのも、全く根拠は無いのですが。

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心霊現象があることを前提として


 霊感の強い友人曰く、自分の部屋は霊の通り道で、常に少し窓を開けるというのは、前から何度も書いています。

 そして、霊感の強い友人であれば、なんらかの気配を感じたり、なんらかのエネルギーを感じたりすることが出来るのかもしれませんが、残念なことに、幸いかもしれませんが、霊感がほぼ無い自分にとってはどんなに目をこらせようと、どんなに集中しようと、なんも感じません。


 なので、不可思議な物事で察知するしかないのですが。自分の部屋を知っている友人なら分かると思いますが、何も無いのに、なにかの物音がする。いわゆるラップ音が度々起きるのは確かなことで。


 霊・魂を1つのエネルギーと仮定すれば、そのものが移動する時、なんらかの力が加わり、その力がどこかに波及し、物音を立てる。と解釈すれば説明が付きます。

 逆に、家のきしみだとか、風のイタズラとも言えるのですが、果たして家のきしみや風などが、ドアやふすまをノックしたりするのでしょうか。


 というのも、今日、起きたラップ音はちと強烈でして、部屋にフラッシュをたいたような閃光とパチン!という音。ベッドに入り電気を消し、寝れんなー。。。なんて思ってた矢先でしたので起きてはいたかと。


 パッと考えられるのが、なんらかのヒューズが飛んだり、電球が切れた。というケース。REDなども含め探してみると結構電球って多いものです。トイレの電球が切れる時とかもパチン!と言って消えたり。こんな時の原因として、なんらかの原因で、止揚り高い電圧がかかった時に起きることてヒューズなり配線が切れるんです。

 が、寝る前に、スピーカー、パソコンのモニターを切り、天井の蛍光灯消した状態で、部屋全体を明るくするほどの閃光が出るものか、不可思議ではあります。


 当然ですが、ヒューズに関係している物、電球などを総点検。電球が切れていれば光らないですし、ヒューズが飛んでいれば、そのコンセントなりは使えない状態となるのですが、全て異常なしでした。ビニール等での静電気というのも考えられますが、フラッシュほどの閃光は出ないかと思います。


 と、考えると、なんらかのエネルギーが何かに作用し、ラップ音と光として発した。というのが一番腑に落ちる結論となるのですが、なにせ霊感がないため、確証もないのですが。


 これで、何かの声でも聞こえれば、心霊現象だ。と言えるのですが、この部屋、まず無音という状況は無く、パソコンのファンの音だったり、外からは車やバイク、電車、ヨッパライ、サイレンなど常に音がしている状態。


 かつ、幽霊の発する言葉というのは、EVPと呼ばれ、人間が聞き取れる周波数帯ではないことが多く、それ専用の録音出来る機器が必要というのが、心霊調査を行う人達の定石となっています。


 このラップ音で一気に交感神経が張り詰め、眠気も来ない。というのもありますが、これを書き終える頃やっと眠気が来ているのも事実であって真に曖昧なのが厄介なところかと思います。

2011年8月27日土曜日

生きる理由

 人間誰でも生を受け、生きて、いずれ死ぬ。この理は抗うこともできない。その中でやはり人間、なんで生きてるの?という疑問にもにた物は常に現れる。


 生きるためには、生きるだけの理由がある。その考えは人それぞれだから、どんな理由でも否定はしないし誰にもではないと思います。死ぬ理由がないから生きている。それも生きる理由になるのではないかと。


 今、日本中で騒がれている放射能の問題。食べ物、地域、その他いろいろなところに波及している。その中で自分はどう生きていくか。


 外国に避難する人、国内でも西に避難する人、危険と思う物は食べない人、それも自分にとって生きる理由になると思います。死にたくない理由。ともいえると思いますが。


 逆に今ある危険を受け入れる人、その地から避難しない人、避難したくても出来ない人に、自分の生活を少し犠牲にし、なんらかの助力をする人。生活レベルは多少下がっても、別に良いと生きる人。それも生きる理由になると思います。


 そこには、正しいも悪いも差別もなにもなく、自分の生き方の問題であり、それは自分自身で決めることであり、誰にも何も言える筋合いはないのではないかと。それぞれがそれぞれの生きる理由で生きているのだから。


 人間、誰だって、どんな大切な人だって、何時死ぬのかなんて分からない。だからリスクを少しでも回避するのも1つの手だと思う。逆に何時死ぬか分からないんだから、別にそのままでいい。それも1つの手だと思います。


 極論を言えば、どんなにリスクを回避したとしても、明日なにかしらで死ぬかもしれない。そんな事は誰もが思うところであるのではないか。


 なら、生きている今を楽しむ。それもいいんじゃないかと。




 そんな風に考えると出てくる歌

 「トレイン・トレイン」 「チェインギャング」 「チューインガムを噛みながら」

 我ながら、ブルーハーツ世代だと思う。でも、やはり共感してしまう。

2011年8月26日金曜日

プレイ

 自分、基本インドアなんですが、唯一と言っていいアウトドアな趣味、スノーボード。特にパウダーなんてその開放感、ほんとに気持ちいい。ある意味SEXより気持ちいいと思っています。


 SEX。病の自分にとって、思い込みかもしれませんがラヴって今は出来ないなぁ~なんて思ったりします。ラヴのあるSEXはエッチなんて呼んだりしますが、好きという気持ちを伝えるに当たっては分かりやすい行為だと思います。


 これとは別に、性欲を満たしたい為のSEX。自分はこれをエロと呼んでいます。今、エロに対して全くしたいとも思わないんです。エロ自体、人の体を使ったオナニーとおんなじなんだから、別にビデオ借りてきて自分でした方が早いし簡単じゃん。なんて思ったり、実際、聞かれたらそれを言います。


 だからプレイならいいよ。なんて笑いながら言うんですが、性欲が根本だとふざけた話になってしまいますが、割とマジメだつたりします。


 例えば、友人とキャッチボールをする。これもプレイ(遊び)の1つですね。自分はさほど野球の経験はないのですが、友人は結構ハードにしていたとします。となると、自分の全力が相手の50%ぐらいだったりすることもある訳で。


 ずっとやっていれば、当然物足りなさを感じるでしょう。自分だって100km/hを超えるような豪速球なんて捕れません。いずれにしても結果として、飽きた=楽しくなくなった。って状態になると思います。

 でも、久しくボールを触ってなかったりすると、ちょっとやるのであれば、それなりに楽しめると思います。ボールの感触、グローブの感触、ノックなど。本格的にってなると物足りなさや限界がくれど、遊びとなれば、楽しくなくなった時点で止めればいい話であって。


 1人で遊んでるんであれば、その判断も付きやすいんですが、2人以上となると、どちらかが楽しくない状態ってこともある訳で。自分は誰かが楽しくなくなったら止めれば良い。もっと複数であれば、楽しくないと思った人が抜けても問題はないと思うんです。


 みんなで。とか、団体行動、苦手です。でも楽しければそれでいいし、それがプレイであると。自分が楽しい思いをしている間、誰かが楽しくない思いをするのであれば、自分的には、ちと消極的になってしまいます。


 遊びだってやるからには。綿密に計画してみたり、マジすげぇなんて言われる(バカじゃねぇの?)と言われるぐらにい徹底的に、楽しみたい。それが行動が極端だって言われる理由なのかなー。。。とも思います。

2011年8月25日木曜日

葛藤-2

 クダラナイと思うかは、人それぞれで。


 会社から、厚生年金振り込んでーという紙があったので、6,7月分、あと8月までの住民税を振り込みに銀行へ行きました。ATMでいろいろやるのもメンドイので窓口の人に言って、お願いすることに。


 順番の紙を持って、椅子に座っていたんです。別になにもすることが無かったので、下方を何気に視点なく見ていたら、窓口の人の足が。

 足フェ否、ふとです。ふと見たら、まぁいわゆるストッキングが伝線してたんですね。まぁ伝線しやすい物でもあり、女性は爪にも気を使います。マニキュアだったりペディキュアだったり、プリキュア、これは違いますね。


 で、つま先に補強が無い、サンダル用のヌードトゥなんてのもあるわけなんですが、どうも足の爪で伝線→それが拡大してしまい、もはや足親指が露出している状態だったんです。

 それはつまり、男で言えば、女性でも言えますが、靴下に穴があいていて、それが見えて親指が出てしまっている状況、すなわち恥ずかしい状況な訳で。


 同僚の人とか、誰か言ってあげないのか、彼女は帰宅するまでその恥ずかしい状況のまま営業を続けることを考えると、アドバイスした方が。。。いや、変態とも思われかねない。どうするべきか。。。くぅ。



 以前、友人達とカラオケに行った時、隣の女子の座り方が悪かったのか、スカートがめくれてしまい、おパンティーが丸見えになってたんです。その時、気付いたのは自分だけで、その時も同じような葛藤がありました。言うべきか、言わざるべきか。


 言えば気付き、すぐに直すだろう。でも、結果によっては自分がスケベェ扱いされるかもしれない。でも言わなかったら。。。その状態を露呈し続けてしまう。。。自分が気付くまで。それを他の人に見られたらもっと恥ずかしいのではないか。くぅぅぅ


 もう、汚れ役は俺だけでいい!と決意し、丁度隣でもあったので、肩をちょんちょんとつつき、ちょっと、すげぇ言いづらいんだけどさ、スカートがね、ちょっとね。ああ、言ってしまった。でもこれでいい。これで全てが丸く収まる。平手打ちされても構うものか。


 もぅ、やだぁ!と関西的ツッコミ(関西の友人なので)をされ、笑って言われたのですが、こちとら真剣です。いやね、俺もすげ言うかどうか迷ったのよ。でも言わなかったらずっと露わな状態じゃん?皆に気付かれる前にってね。


 結局、教えてくれてありがと。って言われました。友人だから言えたのですが、その銀行の窓口の方には。。。さすがに言えなかった自分に完敗。




 ちなみに、ありがとう。って言われたので、自分も、ありがとう。って言ったら、チョップされました。何故でしょうか。。。

葛藤

 今日、旅行会社に行き、いろいろ相談してきました。まず宿、福島の真ん中に、東北新幹線が通っているのですが、新幹線から東(太平洋側)では復興者受け入れの為、ほとんどの宿が営業していないそうな。

 震災復興プランなんてのもあって、安いプランを提供もしているのですが、相談の中で、まぁ自分達のニーズを言ったんです。


 地元産の美味しい魚介類や野菜や肉を食べたいんです。


 と、言ったら、旅行会社の方、ちと困り顔。例えば、宿自慢の料理の写真とかが載ってるんですが、これが地元産とは限らない訳で。海の幸。純地元産の物と言われると、その確証をとれるのは不可能な訳で、困り顔をするのも確かかと。すみません。わがまま言って。


 帰り道、なんかモヤモヤするものが。福島に行く。これは自分の目的もあるわけなんですが、そこで何か食べようとして、それが地元のものではない。危険だから。


 別に自分から地雷源に入るつもりはないのですが、変な偏見から福島産の物を食べないのはオカシイと思い。現実として福島産の物が関東には置かれていない。それじゃ福島行けば。。。いや、福島にも無いのでは元も子もないわけで。なんとなく葛藤。


 それでも、被災地に直接お金を落とすことには変わりなく、まぁ行かないことには分からない。という結論が出たのですが。なんでしょう。このモヤモヤ感。一気に気仙沼行って、サンマでも食べますか。




 いろいろな矛盾があってその数だけ葛藤があって、それを見るか、見ないかは自分の判断。確かに全てを見るのは不可能だろう。でもそこにも葛藤があったり。

2011年8月21日日曜日

人工知能。。。ねぇ

 最近、ツイッターを多いに活用しているんですが、別にテキストに飽きたっていう訳ではなく、140字程度のふとした思いは何時だって思うわけでそれを書く。ようは、長文、テキストにもなりえないからツイートという形にしているとも言えるのだと思う。

 ここは自称テキストサイト。思ったことを文字にするんですが、当然、読んでいただく事を前提にして書いているので、極力思いはそのままに、けど最低限のマナー、誤解を招くようなことのないよう言葉を選んでいたりもするのも確か。これだけでも140字を超えるからテキストとしてここに記すわけなんですが。


 そういう面では、その時、リアルタイムで思ったことを書くという事に関しては利点があり、それを読んだ人が何かを感じ、軽くではあるもののコミニケーションもとれたり。まぁ逆も然りなわけなんですが。


 皆が別々の思想を持っているから、人の書いたことに違和感を感じたり、時には嫌悪を感じたり。それは自分の書いたことも当然であり、ケース バイ ケースで返事をしたりスルーをしたり煽ってみたり。まぁ140字程度で全てが書けるようなもんだったら、この世界はどんだけチッポケよ?というのが率直な感想だったりするのですが。


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 話は変わり、日本で世界最高の演算速度を持つスーパーコンピューター「京」は有名なところですが、既に次の世代の研究は進まれていて、それはもはや人間の演算速度を超えるとまでいわれるほどらしいです。

 ってか、それだけ人間の演算速度はメチャクチャ速いわけで、一秒で何億もの神経や筋肉、血流、内臓等の指令を送っていて、その「京」でもかなわないほど、例えば今こうしてテキストを書いている。思考の中から、適切な言葉を選び、視神経を通してモニター、キーボードを見ながら、何千もの神経や筋肉を動かしてタイピングしている。

 そしてタイピングしている間、ようは作業中であっても次に書くことや、その外でも喉が渇いたとか、タバコ吸いたいとか、別のことをマルチに考えてる。確かにすげえ。脳。


 演算能力が人間を超えたからと言って、例えばそれを並列に配置し、人間の何倍もの演算能力を得たとして、果たして知能と呼べる代物になるのかどうか。

 例えば、今なんとなしに感じてる閉塞感。デカイ宇宙の、ちっちゃい地球の、さらに極小の島国の、片隅ともいえる場所の、更に片隅のマンションのそのうちの1つの部屋のさらに隅のパソコンの上に座っていて、そこでもなんとなく閉塞感を覚えたり。

 でも逆に考えれば、心は無から有を生み出し、想像すれば、一瞬でこんな狭い部屋の狭い地区の狭い島国のちっちゃい地球を包む宇宙より大きく、無限大とも言える考えを持つこともできる。


 そんな矛盾。安い物だが、どんな値段でも売れない物、軽くても重いもの、小さいけれど大きい物、そんな心の矛盾を果たして演算という形で処理できるのか。


 あらゆる歴史、文化、産業、世界中の情報を詰める込むだけ詰め込んで、今でいえばインターネットがそれにあたりますか。それらをデータベースとしてシュミレートし、判断を下すことは可能だと思う。51:49でこちらの方が良い。というような判断。

 でも、それってココロからすれば何かが違う。それが出来れば苦労はしないって訳で、やはり、人工知能、要は脳と同じ働きをさせるのは不可能ではないか。というのが結論なんですが。


 でも、大きな決断を迫られた時、人間は迷う。それは何人いようと同じであり、いろいろな意見をぶつけ、その中から最もベターな方策を打ち出す、多数派が思うことで決定する民主主義という思想であるならば、個人の勝手な思いつき的発言なんてのもなくなり、あらゆる分野をシュミレートし、最もベターな方策をデジタル的に打ち出すには、良いツールなのかもしれません。


 アニメ「エヴァンゲリオン」も3台のコンピューターで議論させている。とある~の学園都市もスリーダイアグラムという人工知能に似た物で統括していることを考えれば、別に極論でもないとは思います。そのコンピューターが出した答えに感情は無い。逆に感情という物をデータベースとすればそれをも演算した結果を出すと思います。


 その答えをどこから切っても、全てに根拠があり、まさにぐうの声も出ない解答を打ち出してくれる。政治とかで変にもめるんだったら、それを判断材料としても全く問題はないと率直に思う。


 ただ、これは政治的、民主的思想、多くの人がいる中であって初めて成立するものであって、1人で考える場合、そこに多数決もなにもないのだから、99:1の解答を出されても、1を選択することもあるんじゃないか。なんて思うので、やはりココロの構築は不可能と判断いたします。

2011年8月18日木曜日

その程度。どの程度?

 分相応に生きるって言葉は、別に悪い言葉ではないと思います。国語辞典とかで調べたり、第一印象ってなんかイヤな響きだけど、分相応を知るということも大切かなと。


 自分の置かれている状況、周りの状況、いろいろな環境それらを認識し、自分の今の状態を見極め、その状態の出来る範囲で生きるということは、地に足をつけ、生きることと同じと捉えているかもしれません。


 宇宙飛行士になりたい。と夢見る人は多いと思います。その為に必死で勉強している人もいるでしょう。でもそんな大勢の中の一握りが候補として選ばれ、更にその一握りの人が宇宙飛行士になれる。当たり前といえば当たり前なんですが。


 人一倍頑張って、それでも漏れた人もいると思います。頑張りバロメーターなんてついてはいないのですから。その人はいったいどう思うか。自分はどんなに頑張っても無理なのか?どれだけ頑張ればいい?自分を見失う。少なくとも、勉強していない人よりは知識は多くあるのに。


 そんな時に、自分が今、どの程度のレベルなのか、それを知る事は非常にプラスだと思います。そこで、自分の頑張りもその程度か。と諦めるのも正解であり、この程度ならと更に熱意を大きくさせることも正解かと。


 順位で物事を決められないことも多くあれど、自分が今いるレベルを認識する。ある程度知識を持っていても、もっと知識を持っている人からすれば浅知恵な人間であり、多少、何かのスキルがあってもやはり上には上がいて、その人からすれば、低いレベルの人となるのは確か。


 自分の趣味だったり、楽しい事を生業にあまりしたくないな。と思うのはその為でしょうか。プロと呼ばれている人も、その中のレベルの中でレベルに応じた事をするのでしょう。時にはそれが挫折へと繋がったりするかもしれません。お前はその程度で諦めるのか!なんて激もありますが、当の本人からすれば非常に重要なことだと。

 トッププロ。最高レベルにいる一握りの人にも、昇りつめた。という喜び、誇りとともに、そのレベルにい続ける、追う者は後を絶たず、更にレベルを上げなければというプレッシャーは相当な物だと思う。時にそれがイヤになってしまったりする。

 好きなこと、楽しいことなのに、嫌な思いをする。ってかなり過酷だと思うのですが、どうなんでしょうかね。ちなみに辛い思いをするのと、嫌な思いをすることは別と考えています。練習や鍛錬が辛いのは当たり前。その中に楽しみを見出しているのだから。


 好きな事して生活出来るんが一番。と皆が言いますが、その好きな事が嫌いになってしまわないよう、自分は、楽しいと思えるレベルの中で楽しもうかと。趣味に関しては。

2011年8月16日火曜日

風邪をひいてしまいました。

 バカは風邪をひかない。という言葉がありますが、年に2回ほど、ひくようです。その1回目?2回目?が日曜日、起きたら、ソレと思わしき症状が出たので風邪かと。

 まず、ベッドから立てません。三半規管がぶっ壊れたのかヒザに力が入らないのか、後方であれば立ち上がろうとするとおっとっとってベッドに。前傾であれば、おととととってソファーにダイブ。とうとう二足歩行もできなくなってしまったかっという退化ぶり。


 自分の頭を中心に地球がグルグル回っているので、どっちに進んでいるのかわかりませんが、ひとまず千鳥足で日曜の朝食を買って、何をしてたのかあまり覚えてなく、ツイッターでもしてたんかな。やべ、風邪ひいた。って書いたら、次の日友人が差し入れ届けてくれました。サンクス。感謝。



 で、いつものクスリ+風邪薬飲んで、ずーーーっと寝てました。不幸中の幸いか、水が金曜日に届いたので水大量に飲んで、寝て。そんなんずっーとやってました。風邪に特効薬無し。水分補給と寝るというシンプルかつ一番の療法で。


 天上はボックスなのでほっとけばいいし。でPCも見ずに。


 で、今日になってやっと少し回復。眩暈程度になってくれました。頭痛はいつものことなんで分かりませんが、体温計無し、喉の痛みなし、セキ無し。風邪と確定出来るかどうかわかりませんが、水を飲んで寝ていたら楽になったので風邪なのでしょう。


 とりあえず油断は禁物なので、食って、休むことに専念したいと思います。

2011年8月13日土曜日

週末がやってきましたね。

 天上では、体力のあるボックスが出てきたので、もう、月曜日までずっとフルボッコ状態でしょう。なのでヒマ。

 それはおいといて、なんとなくあっと言う間に過ぎた1週間でした。予定があったのは月曜日だけだったのに。惰性で生活して、1日がこんなに早かったのは、あまりないのに。


 時間というものを発見し、時計というものを発明してから、時間というものはは確実に皆平等に進んでいる。狂いなく、正確に。


 それを、早い、遅いと感じるかは自分の感覚によるものなのでしょうが。

 約束や楽しみな事が予定にあると、それを待っている時間は遅く感じる。今回はその逆かもしれない。タイムリミットが、導火線が少しずつ短くなっていく。焦ることはないんだけど、つい焦ってしまう。手は打ってあるのに、やはり不安になってしまう。そんな時が経つのはえらく早い。


 今回のことを考えると、リミットを過ぎると、もう一気に、雪崩のように物事が進むなぁ。と思いました。自然の雪崩と同じように、その状況で生き残る人と巻き込まれる人の差は、それに対応する知識と判断力、行動力がものを言うな。と。


 まぁ、その雪崩に近づかないってのが一番なんでしょうが、アクシデントってのもあるわけで。知識、そして冷静さを持っていれば、なにかしらの手を打ち、雪崩から身を守る。少なくとも生き残れると。


 でも、1度パニクッてしまったら、なにも動けず、雪崩に巻き込まれてしまう。そしてなす術もないまま、既に確立されてしまっている、最悪のルートをかけ下りるというよりかけ落ちる。雪崩に例えたのは、発生から不安、衝動までの時間が極端に短いと思うから。物凄いスピードで崩れ落ちる。


 手は打ってあると言っても、磐石、100%確実じゃないから不安な部分もあると思う。今は自分の知らない所で事が進んでいる。自分のすべきことは早々に行った。あとは待つだけ。


 何時。というのが決まっていれば、それほど不安にもならなかっただろう。でも、どれも、「たら、れば」がつきまとう。処理は早い。でも、それを送ってなかっ”たら”。。。経由せず自分で直接送ってい”れば”。

 条件は揃っていて、不備なく提出したはいいが、それを却下され”たら”どうしよう。担当の人は通りますよと言ってはいるがそれも100%じゃない。1%の不条理が怖い。それは皆、当たり前か。



 決まったら、ハガキで郵送されます。と言われた。と、いうことは、会社が休みの週末は郵送されないということ。時間は過ぎても、時は止まる。そんな週末が、不安であり、怖い。




 何故、こんなにも、人を信用することが、できなくなってしまったのだろう

2011年8月11日木曜日

赤紙がきた。(正確にはピンク)

 引き落とし不能が2ヶ月続いたので、カード会社から督促状なるものが届きました。6月から想定内だったこと、それに対する手は既に打ってあるので、なんとかなるのはいいのですが。実際見るとちょっと凹みますね。

 仕方ないとは言え、期限の無い待ちは長かったです。2ヶ月無収入はさすがに厳しい。それもこれもブツブツブツ。。。

 と責任を転嫁しても、自分にも瑕疵があるのは確か。


 ・もともと貯えといてない。
 ・ボーナスならびに説明されていた6月の収入をあてにしていた。


 そして最大のミス。



専門の部所の説明を鵜呑みにしてしまい、自分で確認しなかった。



 ミスです。完全なるミスです。言い訳できません。文句はありますが。


 ちなみに、支給についても、けんぽの説明と労務の説明に食い違いがありましたが、もういいです。そして6月に騒ぎを起こし、労務にさんざクレームを付け、労務に確認をとり、報告するという報告もされていないことは事実。

 その間で自分の窓口がGMになったから、うちらはもういいやぁと思ってるんだろうなぁ。。。労務。。。なんの仕事なんでしょうねぇ。


 ちなみにけんぽの請求書を、自分が直接労務Gへ提出すると言い出したら、いや俺がもらうからと、別の労務の方が受け取ったことに、何か訳でもあるのでしょうか。なんか焦っていたみたいですが。


 滞りなく事が進めばセーフ。これが滞ったら。。。約1週間という”約”が3週間越ということになります。

2011年8月10日水曜日

唇をかみしめて ~吉田拓郎~

ええかげんな奴じゃけ
ほっといてくれんさい
アンタと一緒に
泣きとうはありません

どこへ行くんネ
何かエエ事あったんネ
住む気になったら
手紙でも出しんさいや

季節もいくつか
訪ねて来たろうが
時が行くのもワカラン位に
目まぐるしかったんじゃ
人が好きやけネー 人が好きやけネー

さばくもさばかんも 空に任したんヨー

人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

何かはワカラン
足りんものがあったけん
生きてみたんも
許される事じゃろう

自分の明日さえ
目に写りもせんけれど
おせっかいな奴やと
笑わんといてくれ

理屈で愛など
手にできるもんならば

この身をかけても すべてを捨てても
幸福になってやる
人が泣くんヨネー 人が泣くんヨネー

選ぶも選ばれんも 風に任したんよ

人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

心が寒すぎて
旅にも出れなんだ
アンタは行きんさい 遠くへ行きんさい
何もなかったんじゃけん
人が呼びよるネー 人が呼びよるネー

行くんもとどまるも それぞれの道なんヨ

人が生きとるネー 人がそこで生きとるネー

人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

情熱不足?

 イギリス、ロンドンで大規模な暴動があり、かなり危険な状況になっていることを、ニュースで知りました。前々から蓄積された失業率の高さへの不満。発端は黒人男性が射殺されたところから不満が爆発し、このような事態になってしまった。

 暴動などのニュースは、アメリカでもいろんな国でもあります。が、日本ではデモ行進など、不謹慎ではありますが、穏やかといえばそうなります。


 それでも、60年代では、安保闘争や、国鉄共闘、学生運動など、過激派と呼ばれるものもあり、自分の記憶の中では、成田空港関連でしょうか。子供だったのでヘルメットにサングラスにマスク。赤マル。と呼ばれる人達が火炎瓶を投げた。とか、自家製バズーカを作った。とか、そんな記憶があります。


 3月からの地震、事故で、いろいろな箇所に対して批判・凶弾が爆発していました。これで停電になんかなったら暴動になるんじゃね?なんて思ったのですが、ネットの中だけでした。。。


 その間にも管総理や東電のウニャムニャしたような対応だったり、見ててイライラするようなことばかりで、まずは東電を叩き始め、次に原発、そしてまた政府、暑くなってきて、本当にヤバイのは、今年の夏。と言っていた供給不足がいよいよ懸念されるようになったら、放射能のことばかり。うーん。。。流されまくってますね。


 渋谷・原宿での反原発デモもありましが、そんなに過激ともいえるものでもなく、8月6日に新橋でもありました。8月6日といえば、広島に原爆が投下された日。祈りの日。そこに併せてやれば、反原発の声を高められると思っていたのでしょうか。

 結果として、黙祷の時ぐらい静かにさせてくれ。原爆と原発を一緒にするな。というもっともな結果となったですが。


 ニュースや、ツイッター、自称ジャーナリストの書くこと。毎日、毎日同じことばかり。でも裏を返せばそれだけ注目しているということでもあると思います。全国規模で放射能を検出し、っていうか、検出するばかりでそれを収束させようという動きは出てないの?という疑問。


 安全と思われる場所に非難するのも、行動の1つと思います。3月は北から吹いていたので、放射性物質は南下するのですが、これから台風の季節、西、南からの風が強くなることは分かることだと思うのですが。。。これは蛇足ですね。


 飽きもせず、同じことを繰り替えし発言する人達。主張という面をも持ちながら、やはり匿名性に守られているというリスク回避があっての発言ではないかと。それで言いたい放題であるなら、ツイッターもたかが知れるというものです。ってかこれも蛇足ですね。


 今、このイギリスでの暴動に対して、なんで日本でも起きないのか。とか、昔はこんな時代もあったとか、なんか焚きつけるような発言もあり、なに、国民を暴徒化させたいのか?みたいな事も思いましたが、暴動はともかくとして、発言に対する熱意みたいなものは感じる発言が少ないことは確かにあるところで。


 ぶっちゃけて言えば、それ以上のリスクが怖いんでしょ?と。俺も人のことは言えませんが。逮捕されてまで、前科付けてまでやりたくないよ。。。というのが本音かと。


 発言に対して、確固たる意思、思想なり、しっかりとした根拠、情報を持って発言するものは自ずと目に入ります。その人の熱意みたいなのは確かにあるな。と。でも引用だったり、RTだったり、曖昧な情報を鵜呑みにしたりな発言ばっかだと、そりゃ情熱も冷めるってなもんです。

 確かに、そんな情熱のようなものを余り感じない。ネットだから?匿名だから?両方かもしれません。


 今年の初め、スノーボードの帰りに温泉に行き、小学生の書初めで吹いたのを思い出しました。


 「やればできる。 でも、やらない」

2011年8月8日月曜日

もう。。。こんなに出しちゃって。。。

 今日、今月決まっている、最後の予定となるであろう、産業医との面談がありました。上司に送り迎えしてもらいました。スンマセン。

 車中で、いやー世の中勘違いしている人多いですねぇ~と話を始め、電力融通のこととか、福島への人員異動の話とか、少しジャブをくれたところ、ななななな何故知っている!?的な反応。その反応に驚きますよ。ニュース見てれば。


 先日の豪雨で東北電力の水力発電トラブルで東電が電力を融通したのですが、融通できるほどの電力を持ってる=原発いらないって思う人っているみいですねぇ~。とか、脱原発のデモが新橋で起きたみたいじゃないですか。あれも脱原発だったら、会社じゃなくて、環境省とでやればいいのに。。。とか言ってみました。


 どうも知らないみたいだったので、ネットのニュースで見て、それにコメントがついてたり。それで知ったんですが、まさか知らなかった!?とは突っ込みませんでしたが。


 東電館内に余剰があるのは、事故時に決まった15%節電が、すごく効いているみたいです。まぁ天候もあるとは思いますが。

 っつかやっぱ季節がズレてるのは皆感じているみたいです。例えば連日の雷。普通っていうか、いつもだったら、6月終わりから7月にかけてが多いのですが、今頃になって活発になっていて。今頃であれば、今度は台風の心配をするのですが。来週、もうお盆だし。なんかズレてるな。。。という感覚。



 それはおいといて、産業医との面談ですが、なんというか、やっと建設的な面談が出来たと思います。って後から考えれば誘導的でもあったな。でも納得できるってことは理にかなってるってことで。。。いつもだったら10分程度で終わるのですが、1時間ぐらい喋ってました。っつか健康管理の人が皆休みで、電話番とドクターしかいなかったってのもあるんですが、世間話的な感じで。


 状況は変わらずですが、なにかしらの外的要因で調子が悪くなっていること。その外的要因が親のことだったり、地震だったり、原発の事故だったり。。。。

 会社もいろいろ発表しているんですが、自分的には2ヶ月遅い。悪い所は単純で、ホウ・レン・ソウが出来てないから、もう致命的ともいえる不信に繋がってるのを自分だけではなく、外からも聞いて、会社に魅力がなくなったんです。言いたいのはソレなんですが、それを変えることも難しいですね。と。


 産業医曰く、「休職でありながらも、会社の内、外を見ている、見えている人は大変会社としては貴重だと思う。流れで辞めるんじゃなくて、なんとか復帰して、堂々と言えばいい。それでも変わらなければ、もうそんなんイラネェ!でも遅くないんじゃないんですか?」と。


 確かに。と思いつつ、ですがタイムリミットは近づいているのは確か。なので、産業医として、主治医にすり合わせをしたいと思うと。それを良いですよとサインして欲しいと書類を出してきました。ようは、今の療養の他に、デイケアや作業療法などの期日と予定とある種の束縛を作り順応させていくことを積極的にやってみよう案を出してみると。


 なんか、前回の面談で噛み付いたような。。。と思いつつも、かまいませんとサインと押印。あくまで主治医主導の元、産業医とのすり合わせをしつつ、決める。いいじゃないですか。なんならワークショップで働き。。アルバイトもダメですもんね。チ。


 そんなことで、乗せられた感はありつつも、確かにそれはもう1つの手段としてありえる。と。そう思いました。お金が入ったら、福島に行って現状を直に見てみたいんです。と言ったところ、ソレもありなんじゃないんですか。事故の関係でわだかまりがあって、それを見るというのも。


 とお金の話が出たところで、やっと出た診断書、けんぽの請求書2ヶ月分、医療保険の診断書。これらを請求書と併せて一気に出しました。ここでやっとタイトルに。ながい前置き。

 予定通り上手くいくのでであれば、医療保険は来週、けんぽの支給は再来週(ルールでは請求後約1週間と書いてあったんですが、いつから出納日が出来たのでしょう。。。)には2ヶ月分がくるかと思います。印漏れ、無し。けんぽの請求書もチェックしてもらったので、脱字等なし。


 懸念されること
  ・某労働厚生省のように、またせておいてから、不備を言うこと。チェックしましたよね。間違いありませんよね。

  ・保険代理店の方は、すごく良く動いてくださるんですが、それを払う三井住友ゴニョ保険さんがなんらかの理屈で却下されること。書類の不備とか、チェックした。何度もチェックした。代理店の方にもよく聞いた。条件は揃ってる。支払れるはず。この「はず」が懸念。


 これらがスムースにいけば、やっと行動を起こせそうです。

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雑記
 ・昼飯を食おうと、八王子にある上司お気に入りのお店に行きました。トンカツ屋さん。。。定職2つと上司が言おうとした時、あ、自分ヒレでお願いします。と。おごってもらう分際ですんません。美味しかったです。

 ・お茶飲もうか。と喫茶店へ。そこのコーヒーゼリーがお好みだとか。でも1人だとなかなか頼みづらいんだよねぇ~。確かに。1人でスイーツは頼みにくい。美味しかったです。

 ・会社についた時、タバコ吸いたいんで先に行ってくださいと言ったところ、なんだよ、だったら喫煙席に行ったのに~と言われましたが、上司がわざわざ送り迎えをしてくださり、お世話になり、その上司がタバコを吸わないのであれば、吸える状況まで吸わないことは礼儀の1つかと思います。

2011年8月7日日曜日

信じる信じないは個人の判断ですが

 例えば「金縛り」。よく手を胸の上に置いて寝るとなるとか言われますが、心臓の上に重しをのせた状態と考えると、心臓からの血行が悪くなり、無意識下(睡眠状態)において、脳が生存本能を発し、半覚醒状態となる。

 生存本能はまず生きる為に必要な部位から覚醒するため、手足などは動かず、視覚、聴覚などが覚醒状態となり、目は開くんだけど体は動かない。かつ半覚醒状態、いわゆる半分寝ている状態のため、夢を見れる状態でもあり、それが恐怖とあいまって、頭の上に人が。。。等の幻覚(実際には夢)を見ると説明ができるかと。


 あと、布団に入った時に空気も入り、それがなんらかの拍子で抜けた時、真空に近い状態(バキュームベッドのようなもん。知らない人は、知らなくていいです)ようは布団圧縮機のような状態となり、体が動かない。布団の外側はナイロン等で出来ていたりするので、そのような説明も可能かと。



 まぶたを閉じてみる。それでも眼球はまぶたを見ている為、闇にはならないのと同様、暗闇と思っていても少しずつ物は姿をあらわす。肝試しや心霊スポットという先入観から、幽霊の正体は、少しずつ物が出るのを、恐怖により、錯覚し、幽霊のように見える。もしくは幻覚を見せる。と説明もできます。


 非科学的なことも、こじつければ説明は出来るのですが、やはり不思議な事っていうのはあるわけで。それを感じる、見れる人も事実いるわけで。それを信じるか信じないかは、人それぞれであり、信仰にも似たようなものだと思います。


 不思議なことの1つ。自分がまだガキだった頃、シェパード犬にケンカを売り、血だらけになって帰ってくるような猫を飼っていました。その猫なんですが、まぁ布団の上で寝たり、寒い時は布団の中に入ってきたり。家ではずっと猫を飼っているので、そのような事は普通なんですが。


 普通、猫は死に際を見せない。と言われます。そこからして不思議なんですが、死ぬから身を隠すということは、猫は自分の死を事前に知るということであって、言い換えれば予知とも言えると思います。


 で、普通ならば身を隠すのですが、その猫、自分の布団の中で死んだんですね。普段だったら寝返りとかを打つので知らないうちにどっか行くんですが、その時は布団の中にいて、まぁいいか。と食卓へ。布団を片付けようとした母が気付いたんですが。


 友人曰く、その猫が守護霊になっていて、危ない時に教えてくれるそうな。でも、実際見えるわけでもないんですが。


 でも、時々感じる時があり、何を感じるかって言うと、昼寝でも夜でも、ベッドに横になって、今だったらタオルケットで寝てるんですが、あ、猫が布団の中に入ってきたな~なんて感覚があって、なんでかって言うと、ずっとそれを経験してて、枕元に近づいてきて入ろうとする。自分は布団をちょっと上げて入れる。猫は自分の居心地の良い場所を見つけて丸くなる。それにすごく近いんです。


 で、ちょっとなでてあげるとゴロゴロ言い出すんで、なでようと手を差し伸べても何もなくて、あれ?っと起きてみたら、自分の部屋で、当たり前か。。。と思うことが度々。で、あれ?いないって思った時に、猫がいたであろう場所の空気がプシューって抜けるってことは、その間、膨らんでいたということで。

 タオルケットでも、例えば寝汗でちょっと湿っぽくなけば、空気が抜けにくくなって、風船のような状態になってもおかしくないのですが、その時は不思議な感覚に包まれます。


 その存在の有無は別として、友人曰く、猫が守護霊で、自分がそんな不思議な感覚を体験してる。それで、猫又だろうと、化け猫だろうと、存在しなかろうと、自分が好きだった猫、ミーコがそこにいると思っていれば、それでなんとなく良い気持ちになればそれでいいんじゃないかと。

病院に行きました。

 朝、それなりに早く起きたんですが、とってもやる気なし。。。ダラ~~~としていても時間だけがどんどん過ぎてしまうので、意を決して出発。最初から最後の力振り絞ってます。

 夏休みのせいか、学生さん達は少なく良かった。その代わり動物園に行く子供が多いのですが、親はもうちょっと公共の場では静かにさせる。ということを教えた方がいいと思います。


 病院到着。早速デパス。指定席に座っていたら、もうすぐ順番だから、あっちで待ってな。と看護士さんに言われたんですが、ほっといて欲しいです。何故?人、いんじゃん。テレビ、うるさいし。


 確かにほどなく順番がやってきました。最近、あれやこれやでちと人間不信というか、コミニケーションによる緊張が酷くなってること。もー会社を辞めようか検討中のことを話しました。ここまでくると時間薬しかないねぇ。まぁそうなんですが。なんか楽しめるものがあればいいのですが。

 何もしない。っていうのもイヤで、なんかはしてるんです。ヒマなんですが、ヒマを使っていろいろと。せめて活字が読めれば本とかいいんですけどね。10分持たずはキツイ。


 とにもかくにも、ドクターと話すだけで電池が切れてしまい、そのまま指定席に戻ってくたばってました。いろんな人からベッドにとか、あっちのソファーにとか言われたんですが、もうほっといて欲しいのが本音。皆、心配するから。と言いますが、そこにいられると邪魔だから。と率直に言っても、もうなんでもいいような。


 会計にやたら時間かかるな。。。と思いつつくたばっていて、呼ばれたら、診断書をやっともらえました。助かった。っつか6月分の請求なんですけどね。事務の人に、診断書代をこの請求書で払おうと思っているので次回精算でいいですか?と恥ずかしくもOKをもらったんですが、どうも喋り方がおかしいみたいで、事務の人にまで「大丈夫ですか?」なんて心配される状況。ダメです。はい。



 帰り道、学園都市で言うところの第七学区通称「学舎の園」で、いつものメンバーがクレープを食べる通りの近くの交番を見ました。前に、指名手配のポスターの横に交通安全のベッピンさんのポスターがあって、ちょ、配置が。。。と思ったんですが。。。。


。。。。。。。指名手配のポスターが増え、かつ、ベッピンさんのポスターが色あせてきて、違和感なくなってきました。おまわりさん、いたんですが、声をかける勇気はありませんでした。

 別に間違っているわけではないんで。でも。。。でもねぇ。




 某埼玉県では、らき☆すた のブームに乗っていろいろイベントとか開いていますが、とある~はまだその域にまで達していないのでしょうか。それともたっちたんが邪魔を!?

2011年8月5日金曜日

雑記

 朝特務を終え、もっすご眠かったのでそのまま寝てしまおうかという時、病院から電話。いよいよ来たか診断書。と思ったら、ちょっと確認して欲しいことがあるとってまだ出来てないのか。。。一気に目が覚めました。


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 友人がインデックスのよんてんご、を欲してるとチェックしたところ、まぁどこにでもあるのですが、コトブキヤは開封されていて、まとめられている可能性あり。南口のゲマズに未開封があったので箱買いするんだったらそちらがいいかと。


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 最近のアニメではアスキーエンターテイメントの名前をよく目にします。実際クオリティが高いのも確か。でも、ニコニコ動画が提供してたのにはちょっとビックリしました。やはり、深夜アニメには、エロかグロが必要なのかも。


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 という俺は、最近フィギアに対して、欲がほんと無くなったなぁと自分でも思います。白井のメイドフィギアも、デカイからという理由で、いらない。とか。ミクも良いヤツ1個持ってるからいいか。。。とか。でもチェックはするんですけどね。霊夢のねんどろいどが売ってましたぜ。ダンナ。


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 餌じゃなくてやっぱ飯を食わなきゃダメだ。と実感したので、ご飯を食べてるんですが、カレー→ラーメン→ご飯物のループになりそうです。焼肉が食いたいのですが、一人で行く勇気がまだありません。会社の上司から、麦茶と野菜ジュースを差し入れしていただきました。ありがとうございます。


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 結構昔に買った鑑賞植物が、結構育ってきました。下に垂れ下がる系なので良い感じです。ってか、水と太陽の光だけで生きれるって凄いと思う。


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 ツイッターの楽しみ方がだんだん分かってきました。つぶやきを大別すると、1.ニュースなどの引用で感想を言う人 2.引用も含めそれらを叩く人 3.自分の持論を語る人 に分けられ、3のみ会話として成り立つと。ただ、深い事を知るツールではないのは確か。

 また、小綺麗な2ちゃんとさんざ言ってきましたが、やはりそうでした。今、99%の落書き中の1%の綺麗事の中の0.1%の真実を探し中。ってか、ほぼ24時間つぶやいてる人って、もはや中毒かと思われます。


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 意味を求めて、意味なくさ迷ってますが、もうちょっとさ迷おうかと思います。

2011年8月3日水曜日

知らなくていいことは、無理して知る必要はないかと

 例えば銃。日本では銃刀法というのがあって、許可なく猟銃や真剣を所持するのは禁止されています。が、実際怖い人達は銃を持ってる。

 どうやって入手したの?入手経路は?いくらで?


 例えば麻薬。本来あってはならないはずなのに実際にはある。


 どうやって入手したの?入手経路は?いくらで?



 何百億というブラックマネーと呼ばれるものも、多分あるんだろう。


 そんな裏な部分を突き詰めて、深く知れば、表のことも違う目線で見れるんだろう。でもそれと比例してリスクも大きくなる。


 そのリスクを背負ってまで、知る必要があるのであれば、そうするのだけど、知っても何もならないんであれば、それは糧とはならないと思う。



 勇猛 と 無謀 の違いはそこに出てくると思う。

2011年8月2日火曜日

同じ武器でも焼き付け刃と鋼では全然違うのです。

 と言っても刀の話をするわけじゃないんですけどね。でもペンは剣より強し的にはそうか。


 友人曰く「情報は、武器だ」


 自分もそう思います。ましてや日本においては、それが最大であり最強の武器にもなるでしょう。


 その為にはアンテナ高くして、情報量を多くしたり、深く調べたり、実際体験してみたりと、いろいろあるのですが、その情報という武器も、ただ闇雲に集めたり、どこぞの怪しい情報だったり、メディアの引用だったり。これも、情報を集めるという事では同じなのですが。


 情報で大切なのは事実。そしてその根拠。情報源。


 それが確かであればあるほど、情報という武器は鋭く、硬くなっていくものだと思います。


 昨今情報が錯綜っていうか氾濫している中で、どれを正とするか。それは人それぞれの思想であったり、信じるに値するものであれば、それが自分の持つ情報となるわけで。


 ただ、その情報が安易な物だったり、何かの引用だったりすると、ちょっと質問しただけで何も言えなくなってしまう。その刀は、ただのメッキだと。

 なんかどこかで何か、政治的なことを主張するサイトを宣伝してた人がいて、アクセスが1日で20万を突破しました!!なんてのを歌い文句にしてたので、アクセス数と関心性はかならずしも一致しない。なんて発言をしたんです。

 そしたらカチンときたらしく、グーグルのアクセスは多重カウントをどうのとか、言い出してきたので、んなもん、金さえあればどうにでもできると。例えばブログに広告を載せてクリックすることで小遣いをもらってる人もいるし、バイトやとって、そんなんすれば簡単だ。と。

 グーグル他、ヤフーだったりインフォシークだったり、検索エンジンがどうやって利益上げてんだって考えれば、その広告効果は明らか。ブログでもそう。自動リンクなんて貼ってしまえばアクセス数と関心性が必ずしも一致しないという自分の情報に基づく発言。

 それに対して、それを論破できるだけの情報を持っていれば論破できるでしょう。自分の持っている情報が、必ずしも正しいとは限らないのですから。でも反論できず。自分の持つ情報という武器でも盾でも持っていなかったのでしょう。


 そしたら、どんな行動に出たか。自分はツイッターでも、現東電社員と書いてあります。でも匿名の世界の中ではそのようなプロフィールなんて最初に疑ってかかるのがネットの常識かと。

 まぁそれを鵜呑みにしたのか、八百長なのか、それ自体はどうでもいいんですが


 自分の同期に、東電の営業部長がいて、社員がオモロイ事を書いているから見てね。とメールした”らしい”


 それが本当であれ、ウソであれ、なんてネタを提供してくれるんだと。次元風に言えば「面白くなっきやがった」です。それでビビルとでも思ってんのかと。


 やれるもんならやってみろと。ちなみに自分はニックネームを使っているのですが、ヒントであればいろんな所に散らばっていたり。その「情報」をかき集め、分析すれば、結論として出るかもしれません。

 その営業部長とやらが、圧力かけて、自分の垢消したのであれば、それがまた自分の情報、ネタにもなる。自分のパソコンをハッキングして個人情報をぶっこ抜く。まぁ入れてないですけどね。まぁなんらかの事象があれば、それはそれで面白いのには間違いなく。


 で、どうなるものかと待っていたんですが、結果


 自分の発言全部削除して、俺の垢をブロック


 予想はしてたんですが、見事に裏切らなかったですね。世間ではそれを隠蔽とか、抹消とか言うんですが。まぁその程度のレベルの人だったというオチで本当申し訳ない。


 同期に営業部長がいる”らしい”ので、良い大学を出てる”かもしれない”のでしょう。良い大学=エリート、上から目線。それが”もし”本当だとしても、人間としては、かなり下の部類と俺は”断言”しましょう。




 ね。 y_itoh 伊藤雄介 さん。ってか、多分イニシャルかと思いますが、hの使い方、間違ってません?わざと?




 また、別の人で、「東電は、まだ原発対策費として2,000億もってる”らしい”じゃん」なんて毒もありましたが、それは別のベクトルで。それについての真偽は別にいいんです。表金でも裏金でも。前者であれば、その情報はどこからどうやって調べたのでしょう。根拠とソースを教えて欲しいものです。


 後者であれば。。。それは表に出る金ではないのは当たり前かと。



 情報を武器として扱うのであれば、まず武器として役に立つ物を作るなり探すなり手に入れましょう。話はそこからです。

2011年8月1日月曜日

免罪符?

 とある方がツイッターで、よく車にチャイルド・イン・カーとかいうステッカーなのか吸盤なのかどっちでもいいんですが、それを貼りつつ、子供は後部座席で後ろを向いて手を振っているなんて体験談ょ話していました。

 自分もそのような体験は多くあって、ソレ付けてるなら、少なくとも安全運転はしようよ。。。と制限速度をオーバーした車だったり、アブネッ!っていうような運転してみたり。。。よほど運転に自信があるのか、それを何かの特権だと思っているのか。。。後者の方が強いと思います。


 同じツイッターでひさびさに口論となりました。最初は確かテレビは必要なの?なんて話題だったんです。NHKにしろテレ朝にしろ、どこかに偏っている。今叩かれてるのはフジテレビがあまりにも韓国側に偏ってるとか。


 NHKであれば、国営であり、国が本当に都合の悪いことは報道しないでしょう。左側が見え見えの朝日系列は反原発の話ばかり。もはや新聞でもテレビでも中立的立場から物をいう番組自体少ないと思います。

 それをわざわざ見る必要があるの?その情報は正しいの?なんて話をしてたんですが、なんか自分の言葉尻を取り上げてそこから話題がズレてしまい、ケンカっぽくなってしまったんですが。


 個人に対して気に入らないから反論する。それは別に結構だと思います。敬語じゃないから無礼だと思う人もいるでしょう。そんなこたどうでも良くて。


 ツイッターを議論の場にするのであれば、根拠のある発言、しっかりとした情報が必要なのは何度も言ってきましたが、情報のソースがツイッターって。。。と思い、それであれば、図書館に行って調べてみてはどうでしょう?的な発言をしたら。。。


 「私、うつ病なので、図書館に行く体力がないのです。」


 は?平日仕事をしてるから、休日はその休息に当ててるとか言ってますが、じゃあツイッターなんてしないで寝てろよ。。。と。まぁツイッター自身の書き込みでストレスを発散しているのであれば、その発言には責任も説得力もないんですが。。。


 そこでいくらキレイ事を言ったところで、それこそ2ちゃんと変わりがありません。それより、病を理由にした事にカチンときたんです。うつ病っていえば、なんでも通るのか?思い通りにしてくれるのか?と。


 とんでもない勘違いです。うつなんてならないにこしたことは無いんです。それこそ「うつ病」というステッカーを貼って、勝手なことをやる、言うんであれば、ソレは免罪符じゃねぇんだと。自分は特別なんて大きな間違いだと思うのですが。



 自分は、生まれつきの障害者、車椅子で生きている人、目や耳や口がきけない人。その人達に対して、当然、健康な人とは区別します。車椅子で階段あがれとか無理な話ですし。でもそれを気の毒だと思ったりすること自体、上から目線じゃないかと。極論でいえば、差別しているのと同意では?と思います。


 ヘルプはします。でもそのような方達でもイーブンの関係で接していたい。公の場で何かをするのであれば、なおのことです。



 話は変わるかもしれませんが、こんな俺でもボランティアというのに参加したことがあって。年末にとある諸事情で親がいないもしくは離れ離れになっている子供達の施設に、クリスマスと年末年始の餅つきをかねて訪問したことがあります。


 その子供達、確かにハンデを背負ってるかもしれません。夢があってそれを叶えたいのであれば、普通の子供以上に努力は必要かと思います。

 でも、思春期の高校生でさえ、その目は澄んでいて、もし本気で夢を叶えられるのは、このような子供達なんじゃないかって。自分のハンデを自覚して、人以上の努力をすると思うから



 少なくとも俺は、病をダシにして、同情を得るような人間にはなりたくないでね。誰にも、シッポは振らないよ。