2011年2月18日金曜日

どんな時でも

汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節外れの雪が降ってる
東京で見る雪はこれが 最後ねと
寂しそうに君がつぶやく
なごり雪も降る時を知り
ふざけすぎた、季節の後で


今春が来て、君はきれいになった
去年よりずっときれいになった


動き始めた、汽車の窓に顔をつけて
君はなにか言おうとしている
君の口びるがさようならと動くことが
怖くて下を向いてた
時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま


今春が来て、君はきれいになった
去年よりずっときれいになった


君が去ったホームにのこり
落ちてはとける雪を見ていた


今春が来て、君はきれいになった
去年よりずっときれいになった


去年よりずっときれいになった



「なごり雪」

「死」というもの

どんなに偉くても、どんなに貧乏でも

どんなに楽しくても どんなに苦しくても

時間だけは皆、平等に過ぎていき 人はいずれ死ぬ


俺の親が死んだ時 俺は涙を流すことができるのだろうか

俺が死んだ時 涙を流してくれる人はいるのだろうか


いや、涙の量が悲しみの度合いにはならないな


親、友人、俺


死ぬ人自身は悲しくともなく ただ自我がなくなるだけ

悲しいのはその人を思う人であって 死んだ人ではない


なんで悲しいの?いずれ自分にもやってくるのに?

でも悲しい 悲しい 悲しい 理由なんかない


親が死んだ時 悲しい思いになるんであれば

それだけ親を思っていたってことで

どんなお経より供養になると思う 楽しい思い出はより輝くと思う


友人が死んだ時 悲しい思いになるんであれば

それだけ友人を思っていたってことで

どんなお経より供養になると思う 楽しい思い出はより輝くと思う



俺が死んだ時

悲しいと思ってくれる人が1人でも いたらいいな

血と金

※このテキストは完全に俺の主観であり、それが正しい正しくないというのは個人的価値観によるものと思います。だから別に共感も賛同も否定も俺の心理面に変化は起きないことを先に書いておきます。また、このテキストを見て不快に感じるかもしれませんので読む際には十分注意してください。

 先日、最近には類を見ないほどの心理的大波が襲ってきて、死にたくて死にたくてしょうがない状態になってしまいました。

 友人のおかげで、リスカとか、自傷には至らなかったものの、もうこうなりゃ楽しい事をしつくしてやらぁと暴走的に遊んでしまいました。死んだらどうにもならんけど、生きてりゃなんとかなるって。ってか今もそうですが。かつ良い事だとも思いませんが。

 俺が楽しいと思うこと、スノーボード、スロット、フィギア購入?まぁ大きく大別してそれぐらいなんですが、そこに酒を飲むとか、美味いもんを食うとかが除外されているところがいかにも俺っぽいです。

 ただ、スノーボードは運転が必要なこと、また、体力面からも連日出来るものではなく、フィギア購入、服とかでもいいんですが、気に入った物が無ければ購入意欲は出てきません。

 なので大半はスロをしてました。楽しいと思える時間分。時にはそこでぶっ壊れて勝つ負けるじゃなくて、スロットをしていたいがためにせっかく勝った金をなくなるまで使ったり、借金とかしても全然気にならず、まぁ相当な額を使ってしまいました。

 弁明ではないですが、その時の俺の心理状況。血を流すか、金を流すか。その2択しか思えなかったんですね。で、最近になってやっと少し落ち着いてきて、スロをするにもある程度の理性が働いたり、惰性で打ち続けず、疲れた時点で帰るって方向になってきた状況です。

 なので、俺にとって、血も金も言わば同等のモノと捉える傾向があります。血を流さない。だから金を流す。逆に金を流さなければ、血を流すってことですね。

 例えばお金に厳しい人がいて、俺がお金を使えなくしたらとしましょう。当然俺は血を流すことを一番の発散方法として考えます。壁を殴って痛い思いをするとかじゃなくて、血を流すってことが重要なんです。

 だから、お金を使わなかったら、リスカしまくってたでしょう。しかも、二の腕とか血は流れるけど、筋肉が邪魔をして、なかなか死なない部分ではなく、最も動脈に近い部分を狙って。一番早く血の噴水を出すかを考えて切るでしょう。前回は親指のケンに邪魔された。今度はもう失敗しない自信もあります。

 最初に、血と金は同じと書きました。借金をしているということは、言わば血で言うのならば貧血と同じな訳です。最初はそれすらも気にしてませんでした。血(金)を流しすぎて、出血多量になれば死ぬ。金も同じです。借金しまくって、もう身動きがとれなくなってしまったら、あとは血を流すしかありません。

 最近、ちょっと落ち着いて、勝ったお金を借金の返済にあててます。これは言わば輸血しているのと同じです。少しでも楽しい時間を延ばすために、次、スロットやスノーボードに行けるように。次の次にスロットやスノーボードに行けるように。。。

 では、なんらかのイレギュラーでまとまったお金が入り、借金を全部返済したとしましょう。血で言えば健康体が持つ血の量に達したとします。

 血が満タンなところに、更に輸血をしたらどうなるでしょう。体内の血の量が多すぎて、普通の状態は保てなくなります。普通の人の2倍、3倍の量を輸血したらどうなるか。全身は血で真っ赤になり、血の循環がうまくいかず、滞り、澱み、脳の血の循環すらうまくいかず、まぁまともに生きることは不可能となるでしょう。

 俺にとってはお金も同じ。借金完済。血は満タン。当然、「楽しむ為のお金」は溜めようとするでしょうが、それ以上のお金、余計なお金に対して執着することはないかなと。その余計なお金に価値を見出せないんじゃないかと。

 簡単に言えば、必要以上のお金はいらない。楽しく暮らせるだけの金さえあればいい。もしその2倍、3倍のお金を手にしたとしても、別にウホーとも思わず、冗談で言うんですが、本当にロシアに行ってボルシチでも作るかもしれません。破壊に近づいている地球に、その全てのお金を使うかもしれません。

 まぁ順当に寿命で死ぬんであれば、宵越しのお金は無いと思ってくれて結構です。