2013年5月26日日曜日

楽しさの裏の厳しさ

 今日、夕ご飯(もち外食)を食べていたら、別のテーブルで、なにやら会議を開いてまして。

 お祭りにはつき物と言いますか、あると俄然楽しくなるお神輿のグループだったのですが、もっすごピリピリしてるんです。


 年配の方、元リーダー(この場合は頭と言った方がいいのか)が新しいリーダーの方にこっぴどく説教してたんです。

 まぁ、お酒も入っていてボルテージも上がっていたのでしょうが、神輿にかける情熱とそれを受け付いで欲しいという願望がヒシヒシと伝わってきたんです。



 お神輿。担いだ人なら分かるちと思いますが、メチャクチャ重いんです。当然1人でなんて担げるわけがなく、また、どこかに重心がずれても、というか1人でも手抜くとメチャクチャきつくなるんですね。

 まぁ疲れた。とか、女性もいますので、そこはリーダーの裁量やその時の状況を常に見ながら。。。とお祭り本番の時はさぞや気を使うと思います。お神輿倒した。なんていったらそれこそそのグループにとっては汚点となるのではないでしょうか。


 また、お神輿だけではなく、それを盛り上げる為の太鼓や笛、お囃子な方達もいて。それをまとめ上げるには相当なプレッシャーと労力が必要かと思います。


 ただ、そこに手を抜いてしまうと当然本番では上手くいかず、見てる人はもちろんやってる本人達も満足がいかない。一度の失敗でえ、こんなだったっけ?のような感想を持たれては困るし実際そう思われてしまう。

 だから説教も厳しいし、指摘していること(まぁダメだしですね)も的をえていて、今のリーダーの人、何も言えないんです。でも、リーダーとして聞かなくてはならない。言わなくてはならない。何故なら、今のリーダーはその人なのだから。


 年に一度のこと。別にそのグループが出なくてもお祭りはそれなりに進むでしょう。他にもお神輿のグループいますので。更に言ってしまえば、見ている人が楽しめることはもちろん、担いでいる人達はもっと楽しめないといけない。イヤイヤやって肩いてーではなんの得にもなりませんし。ってか無駄ですし。

 その地域の伝統、歴史、文化と言えば聞こえは良いですが、やらなくても社会とやらは影響受けませんし。出店は別としてもお神輿でなんの得がある?と聞かれたら、別に生産的なものは何もなく。


 でも、でも、何故やるのか。それも毎年。それももっすご苦労して。ロマンというと薄っぺらいですが、達成感、充実感。そしてなにより自分達がそのお祭りを盛り上げている感。これは何物にも変えがたいと思います。




 だから厳しい。その裏に何倍もの楽しさがあるから。



 逆に楽しみがあればあるほど、その裏にはそれ相応の厳しさがある。と。



 これは、どの世界でも変わりは無く。