2011年5月13日金曜日

信じるということ

あなたは、神を信じますか?

あなたは幽霊の存在を信じますか?

あなたはUFOや宇宙人の存在を信じますか?

契約の箱、ムー大陸、バミューダトライアングル、最近で言えば9.11アメリカ陰謀説。。。

それらを信じるか、信じないか。それは人それぞれで。それとはまたちょっと違うことを。

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信じるということ。初めて会った人を簡単に信じられるか?と聞かれれば大半の人はNoと答えるだろう。

でも、なにかしらで信じるに値すると思うのであれば、その人のことを信じるだろう。

例えばそれが、約束を守るだったり、ウソを付かないだったり、自分の信念をしっかり持っているだったり。



でも、信じることもあれば疑うこともある。何故?約束を守らなかったり、ウソをついたり、信念がころころ変わったり。その人が信じられなくなった時、そこに初めて疑いが生じる。

俺は人を信じたい。俺の知らないところで、何をしてようと。それを誤魔化そうと。たとえそれを知っていても。



信じることと心配すること、疑うことと確認することは、行為は似てても全く意味が違うもの。


母は未だに入院中、父も今、体調は良くない。過去2回、心筋梗塞で倒れてる。心配しだすと具合が悪くなる俺。

俺はアニに言った。心配してると俺がダメになってしまうから、なにかあったら連絡をくれ。アニは分かったと約束してくれた。そのアニとの約束を、アニを信じてあえてことらから連絡はしない。連絡がないってことは、なにも起きてないから。アニが何も連絡をしてこないから。アニを信じてるから。

アニも忙しいのは知ってる。会っていうのは照れるから、このばを借りてありがとう。

でもたまには俺から連絡する時もある。アニを疑ってるわけじゃない。心配なのを我慢してストレスになるんじゃもともこもないから。アニに連絡「なんもないよ」それだけで安心。父に連絡「調子が悪いけど俺もお前を心配しているよ」ゴメン。


これはただの一例であって、信じ方、心配は人それぞれだから、人によって仕方は様々。

ミスは誰だってあるし、忘れもする。実際、俺もそうだから、。だから約束だったりを事前に確認する。別に疑ってるわけじゃない。形として何かに残す。それが約束の証になるから。信じることの証になるから。



いうところの裏をとるってヤツ。それも信じることから始まるものと、疑うことから始まるものがある。


俺は信じてるから、別に裏をとろうなんて思わない。人によってはその確認で裏をとる人もいるだろう。

でも疑いから始まると疑心は増えても、プラスの方には動かない。誰が何を言おうとも、本人がいくら弁解しようとも信じられなければ疑いは晴れない。

それは自分でも、相手でも変わらない。1度疑ってしまったら、信じることの方が難しいから。



だから俺は信じる人を信じ続ける。ぶっちゃけそっちの方が楽じゃん。裏で何かをしようとも、誤魔化そうとも、それに引け目を持つのは俺じゃないし。


できればそんなん無しに、お互い信じられればそれにこしたことはないけれど。


このテキストは誰かに向かって書いてる訳じゃなく、まぁ確かに事象があって思うところがあって、メッセージ性はあれども誰を否定しているとか、そんなんではない。否定から始まるテキストじゃない。


それをも信じられず、否定する人もいれば誤解する人もいるかもしれない。


でもこのテキストは俺がそのまま思ったことだってのを信じて欲しいし、信じたい。