2012年9月18日火曜日

バベルの塔

 最近、ライブ感想ばかり書いて、でもそれはそれで楽しくて、物販で買ったCDを聞きながら、ライブを思い出しながら書くというのも楽しみのうちの一つであります。

 ただ、そればかりになると、マンネリと言いますか、熱いバンドを熱いと言ってもそれは当たり前で、それを文字で表現するというのはなかなか難しい時もあり。やはりライブ行こうぜ!ってのが一番手っ取り早い表現方法でもあります。行けば、分かります。


 目当てのバンドのライブに行くので、対バンとか初めての場合が結構いるのですが、とりあえず聴いてみなきゃ分からないし、初めて聴く曲だって、己が盛り上がれば勝手に手も上がるってもんです。激しい曲でも、バラードでも。

 コール&レスポンス。まさにそこには性別とか、歌詞とか、曲とか関係ない訳で。簡単に言えば境なんてのは存在しないと思うんです。

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 前置きはこれぐらいにして、皆さん「バベルの塔」というのは、知っている方も多いと思います。旧約聖書の中に出てくるもので、当時、人間は言葉を持たなかった。テレパシーじゃないですが、言葉なくとも意思疎通が出来たので、争いというものがなかった。

 そんな中、人間は、神に届くような高い塔を作ろうとした。それを見た神は怒り、人間に言葉というものを創った。言葉により意思疎通が出来なくなった人間は他を理解することができず、そこから争いが生まれた。

 というのがこの話の簡単な説明なのですが。今、まさにそんな状況なんじゃないか。なんて思う訳で。


 トップニュースでは尖閣諸島の問題。領土という境の中、なにやらデモだったり、戦争の予感じみたことを言ってる人も。

 それが重大なことだとは分かります。そこに強行だったり、銃を取ることが分からない。話し合いで解決できねぇの?と思う。そんな銃を取るような二束三文の価値しかねぇの?と思うんです。受け売りですが。


 争いなんてのは、世界中ドコでも起こっていて、今でもドンパチしてる人達もいるでしょう。親の仇だったり、国の為だったり、宗教の為だったり、民族の為だったり。大義名分はバッチリあると思います。

 で、親の仇をとったとして、その人の子供は?当然、仇をとると思うでしょう。争いは争いしか生まれない。どちらかが滅ぶまで。これは歴史が物語っています。人間の歴史は争いの歴史と言っても過言ではないと思います。


 じゃあなんで話し合いで解決できないの?話し合いをする場は確かにあるのに。それをジャッジする第三者だって存在するのに。


 それを拒否する。何故?当然、なにか裏があるんじゃね?と勘ぐりたくもなると言うか、勘ぐるでしょう。まぁ裏があるからなんでしょうが。


 この時点で、既に信用なんて言葉はゴミとなってしまいます。疑心暗鬼、腹の探りあい。自分的には、それは人として汚い部分だと思うのですが。

  その結果争いとなる。今回の場合は、自衛。ということになりますね。人んちを勝手に荒らされたらそりゃあおまってなるのは当然で。

 論争でも議論で解決できれば、誰も傷つかなくてすむ。でも、どうもそのようにはいかない雰囲気がプンプンします。


 漁船が着た。って言ったって、その漁船に何が入ってるか分からない。投網であって欲しいのですが、あまりに規模がでか過ぎる。


 その中での自衛の方法。それはこれからの動向を見るしかないのですが、決して他人事ではないぞと。


 その状況で、自分に何が出来るか。大切な物、大切な人。他はいい。自分の一番大切なものを守る。それが自分にとってのささやかな平和。その平和を守る為には、獣にもならざるを得ない。



 そんな事態にならないで欲しいですけどね。



※このテキストは人種差別的発想は全くありません。誤解のないようよろしくお願いします。