2011年5月3日火曜日

異論・反論・意見・思い

 このテキスト郡もそうですが、チャットや会話の中において、ん?ちょっとソレ違くね?とか、言ってることの理解は出来るけど、共感はできんだったり、賛同はできん、だったり、納得はできん。とかあると思います。ゴメン、言ってることがイマイチよく分からないなんてこともあると思います。

 その言葉に対してどう思うか。言うべきか、言わなくてもいいことか、言ってはいけないことなのか、それを考えて行動(スルーも行動の1つですよね)する時に言い方は悪いですが、お知り合いランクみたいなので判断すると思います。

 知り合い、友達の中にも、本音を話せる仲良しの友達だったり、顔合わせれば挨拶したり軽く会話する程度の友達だったり、ただ、その輪の中にいる人程度の知り合いだったり。そんな自分にとっての程度ってのは皆あると思います。

 赤の他人だったり、ドーデモイイ人だったりしたら、またなんかバカ言ってら~とスルーして終わりだったり。

 知り合い程度の人だったら、ん~~~まぁ言わなくてもいいか。。。だったり。

 日記には日記にレス、テキストにはテキストにレス、あるいは自分の意見として間接的に言葉を発したり。そんな思いの表現もあり。

 陰で誰かと、アイツがあんな事言っててイラついた。とか、あんな風になってるけど大丈夫?とか。それは間接的であれ、文字から言葉になること。まぁ本人が知らなければ言ってないのと同じですが。間接的にでも知れば悪口だったらカチンときたり。褒め言葉だったら、ちょっと嬉しかったり。多分ですがこの辺でお知り合いランクの差が出てくると思います。


 よくいう言葉。言いたいことがあるんだったら自分に直接言えよ。


 それは友達として、間接的にいろいろ言うんじゃなくて、直接言って欲しいという自分の願望が出てきます。一方通行に思いを投げるんじゃなくて、俺に悪いとこがあったら謝るし、なんか誤解してるんじゃない?とか。コミニケーションをとって、話をして、思いを伝え合う。知り合い程度じゃしないことですよね。


 文字の羅列じゃラチがあかん。文字で論破もできるでしょう。でも、電話だったり、スカイプだったり、自分の声で伝えたい。話したい。逆に、自分の声で伝えて欲しい、話して欲しい。声でのディスカッションで解決したい。お互いがそう思っていて、そのツールがあるのであれば、そっちの方が分かりやすいですし、親近感も沸くってもんです。例え、耳の痛い言葉でも。そのツールだって、親しくなければあるものでも無いのも事実だったり。


 自分の投げたボールじゃなくて、相手が投げたい時もあると思います。誰かと話したい、誰かに伝えたい。そのことが、俺本人に直接だったら嬉しいし、誰かにこんな話をしたんだーと間接的な立場になることもあると思います。伝えたいことが俺じゃなくて別の誰かに伝えたいことだったりすれば。

 俺に伝えたい事を誰かに話して、こんな話をしたんだーと言われれば、あぁ俺はその誰かより。。。って思ったり。逆の場合だったら、俺であれば俺はその誰かさんの仲介役でもマネージャーでもないんだけど。直接言ってあげたら?と言うと思います。だってそっちの方がモアベターでしょ?直接なんだから。

 言いづらいことだったり、話しづらい相手に伝えたい。けどどうしよう。そんな「相談」であるのなら、俺は俺なりの考えを話したり、間接的にでもHELPをしたり。それは上記と別物で。


 このテキストで思うこと、過去の事で思うこと、伝えたいこと、親しいんであれば、直接、声で言ってほしいなぁ。窓は開閉は示してある。またできれば待ちじゃなくて、伝えたいのであれば、自発で伝えてくれればもっと嬉しい。と思う俺。

社交性。。。ねぇ

 団体行動は苦手だ。ってかむしろ嫌い

 割と人見知りする方だ

 飲み会とか大人数になると無口になる

 営業スマイルができない。だから技術職を選んだ。

 携帯のメールとか、しない方。ってか返事もしない方。

 こう見てみると、確かに社交性に薄いと思われてもしゃーないかもしれません。

 世間では、肉食男子が減った!草食系ばかりだ!なんて話題も出ますが、その定義ってなんすかねぇ。。。

 ようは、エロしたいからガッツクかガッツカないかの違いでしょ?まぁエロじゃなくても彼女とか?そういうのかと。ってか、そんなこと言ったって、肉食系女子の方が圧倒的に少ないのは確かな話で。

 男性誌という名のエロ本は数あれど、女性誌という名のエロ本なんて見たことないし。何が肉食系で何が草食系なのか。今だって、男子は肉食でしょ?だから出会いを求めようとする。ミクシなんか今じゃもう出会い系サイトと同じですわ。マイミク集めに躍起になるか、身内で楽しむか。そんな中でもだいたいが男からのマイミク申請なんでしょ?女性は受身が大半でしょ?それのどこが草食系?


 そんな~時代も~あぁ~ったねとぉ~なんて昔を掘り起こしてみれば、俺もそれなりに頑張って合コンだったり、オフ会だったり。やるからには楽しく話したいから一番最初に話題を作るのが俺だったりして、切り込み隊長なんて呼ばれたり。どこの物好きか分かりませんが、好きなんて言われたり。

 会社生活でも然り。地元の事務所で同じ人たちとずっといれば楽チンかもしれないけど、それじゃツマンネって別の、道も知らない初めての所を選んで今に至る訳で。

 どこの事務所にだって、変な人とかイラつく人とか絶対いるのは承知で身を投げ込んでるんだから、ある程度の社交性を持ってないと、すぐさまつま弾きにされてしまいますよ。

 まずは敵を作らない。少したてば大体の人の性格が見えてくるから、無理な人には極力近づかず、気の合う人と喋ったり。当然、無理な人と仕事をする時もあるけれど、別にその時その時で調子合わせればいいことだし。

 ダメな人は誰と組んでもダメ。そんな人と1年半もマンツーで仕事していれば、ましてや家で家族といる時間より一緒にいていれば、キツくもなります。それが病になった原因。


 「仮面を付けて生きるのは 息苦しくてたまらない ドコでも何時も誰とでも 笑顔でなんかいられない」


 仮面を付ければトモダチ100人なんてすぐに出来るでしょう。でもそれは薄っぺらい関係。仮面無しでも笑えたり、本音を言える友達と出会えることなんて、すごく、凄く、偶然と偶然が重なって出会えるもの。だから俺はそんな一期一会を大事にしたい。っつか薄っぺらいトモダチなんか、いらね。

 逆に言えば、そんな偶然なんて滅多に起きないから、トモダチがいないと見られてもしゃーないと思う。

 社交性だって、人とのコミニケーションがあって始めて出てくるもの。コミニケーションは言葉のキャッチボール。誰かが投げて、それを受け止め投げ返す。だったら誰かが投げなければ、キャッチボールは始まらない。

 ナンパなんて緊張しちゃってできない。いきなりリアルで話せない。それは言い訳かもしれないけど、仮面とったらただのビビリなんだ。

 だからと言って、何もしなけりゃボールも何も返ってこないし来やしない。だから俺は発信し続ける。皆が見える場所で、俺の言葉を。俺の思いを。

 それをどこかの誰かが見てくれて、俺の投げたボールを別の言葉で返してくれる。それが出会いだったり、それがコミニケーションだったり。俺はいつも言う。無理に優しくしていても、後で絶対ボロが出る。その仮面はいずれ剥がれるから。

 優しいかどうかなんて相手が見るものであって、仮面を付けずに接していていれば、いずれ相手は思い判断するだろう。自然体で接した方が自分だって楽じゃん。社交性なんて結果後からついてくじゃん。


 そんな人とこれから出会えるかどうかなんて分からない。でもそれでも構わない。受身になってると思われてもかまわない。独りぼっちと思われても。

「零時」 lyric by 神門

玄関で無気力に靴を脱ぐ 脱ぎ捨てたはずがキレイに揃う
楽しくないのに高鳴る鼓動 重く気だるい気分が俺を襲う
時計を見る 「まだ19時か・・・ はよ終わらんかな? 長い一日が」
「0時を過ぎな眠ならんし、あと5時間どう過ごそうか?」
視界はまるで曇りガラス 空気にまでも重さがある
近くのものが遠くにある 楽しいことさえも苦になる
曲をかける 気分が焦る 一分で切る 静かが落ち着く
ノートを開く けど、すぐ閉じる 世間ではこれを鬱という


何かが変わるのを期待し 煙草の煙をゆっくり吸い吐き出す
暇が一分潰れただけで 視界も変わらずに余計曇る
クソする 便の形がいつも違う おれの命はいつまで持つ?
命絶えず 此処にいる理由をずっと聞いてるが 風も誰も答えない
新快速通過のアナウンス 白線を踏む足が二歩下がる
両足に力が入る 通過している間 目を細める
日々を染める 色は何色? 答えの無い問いに頭を悩ます
いつからだろう? 生きてるだけでは楽しいと感じられなくなった

挙動不審 ぎこちない笑顔 心ここにあらず 上の空
今が過去のように感じ 体は出来事に引っ張られ そこで足止め
一点見つめる目 脳みそが黒い波の中に呑み込まれ
頭が重くなり 気持ちが落ちる 黒の中 嫌な映画を見る
歩く足がおぼつかない 先が見えないんだ 八方塞がり
定規で引いた真っ直ぐな線 同じ日が来るだけ
黙っている人間ほど 頭で喋り考える神経症
意味求めんのは馬鹿馬鹿しいが 意味がないのなら悲しいな


食べ物を食べなきゃ人は死ぬ
食べ物を得るには金がいる
金を得るには働かないと
つまり生きるためには働かないと


やりたくない仕事に費やす たまに疲れをとるために休む
生きるために働いているのか? 働くために生きているのか?


一日の出来事を振り返る 他人の一言 他人への一言
勘ぐり はがゆい思いが頭の中 グルグルループする
発する言葉のほとんどが 関係が切れてないかの確認
探り 探り 「嫌われない」 の類似語が 「好かれる」 じゃないことも知らずに


友達の輪ん中にいる時も ぼーっとすることが多い
悟られまいとそれを隠すも 疲れ 開き直り 表に出す
一人になった時に後悔する 「また嫌われてしまった」
結局自分のことなんだ 本気で周りを思っちゃいないんだ
気付いてない シケた面で 一瞬友達の笑みが曇ったこと
それでも友達が笑ってたのを 友達も悩み生きているのを
俺は子供だ 自分だけが辛いんだと思って 躍起になって
「落ちんのも自分の勝手だろ?」 って 優しさとか欠片もねぇ
自分が 「辛い」 と思ったら ジブンが辛いから自分が大切
ヒトが辛い時に同じようにジブンが辛くなる心が大切
「病んでる自分は人と違う」 とかアングラ気取るMCが多い
明るい方がいいに決まってる 俺も変えたく 晒し歌ってる
恥ずかしさで心はいっぱい けど、 その中で少しまた見える答えが・・・
「そうだ。人のために笑おう-」  したら前より上手く笑えるかも?
友達が冗談で言った 「死ぬなよ」 が胸に響いた馬鹿野郎
「鬱っぽいわ」 笑ってみた 「まじで?」 友達も笑っていた


大丈夫 別にゆっくりでいい 風ならすぐに止むから
時間なんか別に大切じゃない 水が湧き出るように溢れる
大丈夫 別にゆっくりでいい 風ならすぐに止むから
きっかけは突然 それを待つだけ その日まで絶対くたばんなよ
大丈夫 別にゆっくりでいい 風ならすぐに止むから
時間なんか別に大切じゃない 水が湧き出るように溢れる
きっかけは突然 それを待つだけ その日がくるまで意地で生きろ

-零時-

 天上のアザナを-零時-にしました。理由?なんとなくとしか言えないんですが、ふと、0時って不思議な時間だよね。なんて思ったり。

 1日の終わる時間始まる時間。それが正月でも、クリスマスでも、誕生日でも、0時に始まる。その日のゴールであり、スタートでもある。23:59:59だとも言えますが、そのゴールからスタートまで、限りなく近い、同じ場所にあるって言ってもいいってぐらい不思議な存在。

 時間は円ではない。一方通行でただ、同じ速さで進む。大昔、時間という概念が無い時代だったら、暗くなれば1日が終わり、明るくなれば1日が始まる。それは永遠でもあり、一瞬ともいえるんじゃないか。

 時間というものが確立されて、いまや原子時計なんてのもある。そこに更にうるう年、うるう秒なんてのも出来て。いったいそれがなんの役に立つんだろう。なんて考える。

 別にうるう年の積み重ねで夏に正月が来たところでなんの変化もおきない。ってか時間っていう概念が無ければ1年365日24時間60分60秒なんて無ければ、年齢とかなんて関係ないわけで。年齢というモノがいったい何に影響するんだろう。

 別に時間というモノが無くたって、産まれ、育ち、生き、老い、死ぬ。その道程は変わらない。それだけの事であり、それに区切りなんて必要なのか?春になれば花が咲き、夏になれば暑くなり、秋になれば山が黄色や赤に染まり、冬になれば雪がふる。

 1月だから冬じゃなきゃいけないなんて決まりはない。時間、日、月なんてものは全て後付けなものだ。

 逆に時間なんてモノがあるから、年齢を知る。寿命を知る。死の位置を知る。結果それを恐れる。恐れるのは人間だけだ。その恐れるべきものを人間が作り出した。恐怖を作り出した。咎(トガ)と(業)カルマのなせる業だ。それも人間が造った。

 でも、あらゆる道程で、どんな事でも終わりと始まりがある。出会い、別れ、創造、破壊、生、死。

 それが全て1つの存在である物。それを1つの言葉で表すとするならば

 -零時-

 ではないか。