2009年3月11日水曜日

文字は時として言葉よりナイフより鋭い凶器となる

 勘違いしてました。

 今回は、調停ではなく、審判だったのですね。

 もう、話し合いで解決するのではなく、お互いの主張を言って、裁判官に判断してもらうということらしいです。

 で、有給休暇がマジで無い俺は、当日、行けないことを裁判所に電話したところ、来なくてもいいけど、俺が読んで凹んで仕事、もう崖っぷちなのに午後休んでしまったくらい強烈だった準備文書なるものに異があるのなら、反論の文書を書けということでした。

 投函するのがメンドクサイんで、メールじゃダメですか?って聞いたら、即却下。署名と捺印が必要みたいです。この際、hina666で出したろか。なんて思います。

 ってか、文書で反論。これは俺にとってはだいぶ自信があったり。伊達に10年以上、テキストサイトをやってませんし、ここんとこもずっと書いてるしで。

 もし、裁判が文書だけで判断してくれるのであれば、間違いなく勝つ自信あります。反論に対する根拠、証拠、その他もろもろ含めて。皮肉もありで。向こう側の人、全員ムカツカせる自信あります。そのイメージもできてます。

 ただ、それをやっていいのか。それはちょっと抵抗あるかな。俺はニンゲンであって化け物ではないから。躊躇なく、塵殺できないから。

 言葉でも、拳にも、それには感情があって、それが説得力になったり、暴力になったり、いわゆる力になるのですが、それらには、熱があると思います。

 でも、文字には、その熱はない。氷のように冷酷に相手に突き刺すことが出来るからです。某掲示板みたいな、匿名での刺しではなく、公文書として相手を刺すのです。しかもドギツイ内容で。

 それだけ文字の力には、暖かいものもありますが、物によっては冷たい、暗い、鋭い凶器となって、相手の、表面ではなく、内面に容赦無く突き刺さります。

 それを突き刺す文字軍の準備は整っていて、あとはミサイルを作って発射するだけ。それをさせるだけの文書が俺のトコに届いた。

 何故に俺がhina"666"の名前を背負ってるのか。グゥの音も出ないくらいの文書を書こうと思います。でも、相手がそれを理解しようとするか、認識しようとするか、共感しようとするかは、分かりませんが。

 相当、不信感はあります。口頭とはいえ、調停の中で出た約束を堂々と反故されているからです。

 7月の時点で休暇がないから、次回は4月以降にして欲しいということ。

 次回も調停で話し合うということ。

 裁判官立会いのもとなされた約束がいとも簡単に破られているという事実。

 裁判所に心からお願いしたいのは、最近というか調停での感想ですが、女性重視の傾向があると思います。客観的に、中立的に判断して頂く事を厳にお願いしたいです。