2011年11月19日土曜日

イタチになった気分

生きてれば、今頃ようやく二日酔いが治まった頃だろう。でもそれ以上の、何か、むなしさのようなモノも感じているだろう。


 自分が、破壊衝動を抑えられなくて、ベースでプリンターをぶち壊した。その時言ってくれた言葉「壊れた、壊したモノは元には戻らないよ」その言葉は今も自分の中に、ハッキリ残っている。


 筋の通らない事が、お互いキライで、言ってる事とやってる事が違っていたり、半端な事をすると怒ってくれる。逆に、半端なことしてると、自分も怒る。

 生きることへの執着。お互いとさほど持ってはいない。死ぬ理由がないから生きている。自分という悪魔と契約したから。闇を垣間見たから。なんでもいいが、ただ、死ぬ理由もないのに、自ら、自分を傷める事は筋が通らない。だからお互い、注意しあってきた。


 もともとソイツは自分で自分を傷つける事を良しとしない。自分は、すぐに自分にあたってしまう。今は自傷はしていない。小僧との誓い。約束があるからだ。約束は大切だ。それを守らなかったら、ぶっとばされても文句は言えないだろう。実際、その通りなのだから。


 だから、食えよ。と俺に言っておきながら、自分が食欲がないと、食べなかったら、違うんじゃね?と。もともと肝臓が悪いのに、そこに自分の意思でお酒を入れることは、自傷と同じなんじゃね?そう言えるし言ってきた。自傷を良しとしないヤツが、自分で身体を傷つける。リスカだけが自傷じゃない。筋が通らない。



 いつも言う。調子の良い時(それもないか。。。)は別にいいんだ。でもマジでヤバくなったら、何時でも来て。と。もともとそこから始まった繋がり。どうしてそこに抵抗があろうか。

 甘えたくない。とか安っぽい自尊心があるうちはまだマトモだ。本当に壊れてしまいそうな時、要はこのままだと死ぬもしくは死ぬに同等のダメージを負いかねない時。そんな時、安っぽい、薄っぺらいもので自分を縛らないで欲しい。そう言ってきた。分かった。とソイツは言ってくれた。


 時にそれは甘えではなくなる。もちつもたれつってヤツ。もたれつばかりでも、巡り巡って知らないトコで誰かをもってあげてる。逆にもってやれば、巡り巡って、知らずとももたれてもいい。それが仲間という関係。友達とは少し違う次元。


 だから、自分がピンチの時、ソイツは来てくれた。いろいろとしてくれた。ありがとう。だから、ソイツがピンチの時、自分がしてあげられる事を、ソイツが望むことをさせてあげよう。そう思う。


 そんな時が、やってきた。自己破壊衝動を抑えられない。と。自分が飛んでいって、一緒にいれば楽になるのか?話をすれば楽になるのか?もはや、そんなレベルではない事は電話越しでも伝わってきた。壊れるか、死ぬか。


 一時の自己破壊で、壊れることが回避できるのなら、ぶち壊れて、ゾンビのように一生生きて行くより、良い。そう俺は判断した。


 逝ってき。って。その1日で、少しでも楽になるのなら。解放されるのなら。「死」は、ある意味、生きる苦しさからの解放と言ってもいい。その開放感は、どんな美味い食べ物よりも、どんなに豪華な服よりも魅力的だ。実際、自分がそう思った。もう、なんでもいいやと。痛みの1つ1つがあの世への階段。ものすごくキモチイイ。


 でも、本当に解放されるのは、本当に死んだ時だけ。当たり前だ。生半可な自傷は、その開放感の前借、もしくはバッタモンみたいなモノで返って後で、それに対して自己嫌悪してみたり、後悔してみたりする。


 中途半端がキライな俺は、こう言った。やるなら徹底的に。その時、本当に死んでも悔いのないように逝け。と。誰でもない。俺が言ったことだ。お互い筋が通らない事を知っていて、かつソレをするのだから。それで死ぬのなら、本当の解放だ。長生きだけがハッピーな人生じゃない事は共通した意識。

 なら悔いなく飲んで、悔いなく逝け。

 実際、1日飲んだぐらいでは死にはしないだろう。でも、自分はお酒をずっと止めさせた。自分も止めてた。少し前まで治療してて、やっと人並みになったところ。でもそんな肝臓で飲めばダメージを喰うのは当たり前であって、それは自分ょ傷つける事。ならトコトン飲め。酔え。逝け。


 こんな自分は、イヤなヤツか?自分の発したこの言葉、迷いはあった。でも後悔しはしていない。その迷いってのも、自己中心的な考えであって、そんな事、真面目によく言えるな。。。みたいな。やっぱ自分は悪魔だわ。そんな感じで。



 そんな感情を具体的に、かつ分かりやすくした作品が「鉄コン筋クリート」だろう。心の中の双極性。聖(46)と邪(96)本来、それを2人に分け、解りやすくした。本来それは、1人1人がそれぞれもっていて、その時の感情で、白っぽくなったり、黒っぽくなったりする。喜怒哀楽もその1つだと思う。

 決して真っ白、真っ黒にはなれない、灰色の自分。どちらかに寄ることはあっても、そこまでは到達しない。到達できる人間なんていない。

 その中にもう1つ存在するもの。闇。黒じゃない。透明で純粋なモノ。究極の破壊。究極の死。究極の悪。究極の闇。


 普段は、影として潜んでいるが、これも誰もが持っているもの。その誘いは甘く、魅力的だ。普段は光に照らされて気付くことすらないかもしれないが、ふとやってくる。絶望した時。死に直面した時。誰も止められない。


 それを抑えて生きている。ソイツが顔を出さないように生きている。出させないよう、自分が出した気分。もしくは出てしまったのだから、俺も出したよ。そんな気分。


 別に迷惑かけたとか思わないでほしい。ありがとうも、ごめんもいらない。水くせぇ。1つ言うのなら


 自分の中に、イタチを退ける、弱弱しい46もいるんだ。ってこと。


 そして、その周りに、46が喰われそうな時、逃げれる場所、つまりココと俺がいるってこと。