2011年11月10日木曜日

現在の東北被災地実態 -Eastern Japan Great Earthquake Disaster-

※東北沖震災の画像等が含まれています。時に心を痛める方もいらっしゃるかもしれません。ご注意してご覧ください。




 ツイッターで、被災地の現場査定を行っている方からの発信。震災による被害はもちろん、技術面での考察など、転載したいと思います。

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気仙沼市現地査定状況

【考察】1-1 3月末時点の気仙沼港湾合同庁舎の様子。 近隣水産施設が流されて庁舎に引っかかった状態。 注目すべきは瓦礫の重量鉄骨がねじ曲がっていること。 水流によるものではなく、大型車両や船舶が激突した衝撃、圧力によるものです。

【考察】1-2 水流から受ける圧力は「面」に対して働くので、むき出しの鉄骨柱などは力を受けにくいのです。電柱が健全な状態で残っていたりするのはそのため。 漂流物が引っかかって「面」状になった際に重量鉄骨さえ曲げるほどの圧力が加わるのです。



【考察】1-3 漂流物によって倒壊した建物が漂流物になり、次々と連鎖的に集落の住宅を破壊流失させる現象は既に知られているところ。 そして、推測ではありますが市街地で津波に呑まれるということは即ちガレキに呑まれることかと… 浮いてるものにしがみついていれば助かる、なんて考えは甘い。

【考察】1-4 この津波では車中から多くの遺体が発見されました。 浮き上がった車両同士がぶつかり合い、漂流物に囲まれて上下左右なく波に揉まれれば脱出は至難なのです… 市街地における津波では漂流物の有無が被害拡大を決定付ける要因のひとつ。



【考察】1-5 しかし多賀城市の内陸側のように直撃ではなくじわっと水位が上がった浸水被害区域においては、当然水流も強くなく漂流物の衝突による住宅の破損も激しいものではなかった。 多くの住宅は修繕して住み続けられる状態。


【考察】1-6 漂流物の有無とそれによる被害拡大の大小はその地区の水流の強さに関係します。 ただ、どの地区が津波の際に流れが弱いか、などと考える以前に「即避難」が絶対原則なのだということを肝に銘じましょう。

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以下、別場所での状況。


女川町、気仙沼市と同様に南三陸町も平地が僅少。 仮設住宅も小規模に分割して農地に分散する形で整備せざるを得なかった。

現在の南三陸町。 建物跡地に献花や供物があったりする。 何かを探している人もいたり… 時間が止まっているかのようだ。





南三陸町。 「世界のみなさんありがとう」 この気持ちをいつか形を変えて示そうじゃないか!





帰り道、お願いして立ち寄ってもらった南三陸町防災庁舎。 遠藤美希さんが防災無線で住民に避難を呼びかけ続けて津波に呑まれ、その命を落とされた庁舎。 献花台が置かれている。 どうしてもここで手を合わせたかったんだ。








現在の南三陸町。 この平地は住宅などの建物が建ち並んでいたのですよ。空き地や農地ではなかったんです。 胸の痛む光景以外の何物でもないけど、瓦礫除去が進んだことは見て取れます。 思い出と引き換えに、復興に向けて休みなく瓦礫除去は進んでます。



戸倉地区。 チリ地震の記録をもとに、警鐘のために津波の猛威を示したモニュメント。 しかし、3.11ではそれを遥かに超える津波がこの地区を襲った。 「チリの時はここまで波は来なかったから大丈夫」 そう思い込んで被災された方が少なくない。



石巻の万石浦。 津波の際、あの橋に多くの船が引っかかって偶然にも防潮堤となった。 津波の足が止まり、万石浦の内側は被害が少なかったと聞く。 牡蠣の養殖が行われている万石浦。 石巻の牡蠣が全滅しなかったのはこの橋のお陰。




内陸の会津若松でも液状化の被害。 建物周囲の地面が50cmも沈下。 聞けばこの敷地は昔は川筋だったとのこと。 建物を支えている基礎杭も折れている。 硬い地層の間に柔らかい地層を挟んでいる場合、軟弱層で杭が折れるケースを幾つか見た。








先々週の女川町にて。 RC造建物の除去が本格化するのはこれからです。画像の建物は津波により崩壊することなく90度倒れた。杭が折れて引き抜かれ、画面左下の杭孔跡から海水が湧いているのが判る。11/22




先々週の仙台市荒浜地区にて。 農地が多く民家が密集していない地区では障害物がないために津波の足は早い。水位にもよるが1階壁を撃ち抜く様な被害が目立ちます。 11/23



昨日の二本松市にて。 高台に建つ住宅の傾斜。関係者は原因不明と言ったが…傾斜方向を辿っていくと擁壁が…倒れかけてる。11/23























本日の閖上。高台から見渡す下には町があったのです。 今は建物基礎が遺跡のように… 瓦礫除去は悲しい景色だけど、再生するために避けて通れない景色なのです… 11/28




名取市担当者曰く、津波時は漁船や瓦礫の衝突によって住戸が破壊されるケースが目立った、と。 荒浜地区と同様に農地が多く津波の足が速かった。11/30




現在の名取市。 海岸から1~2kmではこのように小型船舶が津波により漂着し未だにそのまま。 付近住戸は1階部分の損傷が酷いが修理して住み続ける割合が多い。11/30









本日の石巻市中心部。 宮城県屈指の都市、その駅前通りですら半壊した建築物が多く存置している。 「東北は復興したの?」 これが現状です。11/30










石巻市の商店街。 津波被害を受け、開店のメドがつかず…シャッターの閉まった店舗が半数以上と見受けられた。 糧を得る手段、生活の基盤を失った人も多い。11/30









石巻市門脇地区。 津波を受けて、炎上する瓦礫に囲まれ焼け落ちた小学校も未だにそのままの状態。 かつてここには子供達の喜怒哀楽が溢れていたんだ。11/30




本日の亘理町。 鳥の海には瓦礫が集積されています。 処理するには2年はかかるだろうとは町担当者の談。 津波被災地に共通する課題のひとつです。12/1




鳥の海の港も被災。 浸水痕では6~7mの津波だったかと… しかし再開した船宿もあり。 私も乗った「きくしん丸」。 奥に見えるのは…大海丸か? 実に頼もしい!12/1



本日の七ヶ浜町。 菖蒲田海水浴場付近。 自分もこの浜で仲間とバーベキューしたりしてましたが…今はもの静かでただただ痛ましい光景が広がっております。12/2




七ヶ浜町。復活の決意もまた固く。 流失した漁業施設跡地。同じ場所での再建を決めたようだ。起工式が行われた跡があります。 やはり…海と共に生きていく!12/2




本日の岩沼市。 市を縦貫する高速道が津波に対する最終防衛線となった。 道路の東西で被害が明確に分かれる。 (画像は東側) かつて200戸程の集落があった場所。12/3



岩沼市。 津波被害を受けた市営住宅内部。 現在もそのままです。 残った住宅を補修するにも大変なのです…12/3





本日は三春町。当然ながら地震被害が査定対象だ。 この震災は津波被害のみならず地震による被害も大きい。 単に地盤の問題だけではなく、過去にあまり大きな地震に見舞われていない地域の被害が目立ちます。12/8

三春町の地震被害。 画面中央の溝は地割れ。右方向に建物が横ズレしました。 敷地形状とズレの方角で直感。 「沢筋でしょ?」 地下5mの深さに川の痕跡を確認。 12/8









~~~~~~~~~~~~その他、所見・考察・思い

津波被害現場で見た極めて珍しい建物の破壊パターン。 世界的にも例はないかも知れません。 RC造建物の1階床が沈んでいます。 推測ですが、この床下に地下ピットと呼ばれる空洞があって、水圧で潰されたのかと。 この地区は13mの浸水深。




瓦礫を「町のかけら」と表していた方がおりまして、なんてシックリくる表現なのだろうと感心したのです。 かつては生活の器であったもの。 瓦礫という響きには違和感を感じていました。 町のかけら…暮らしを強く感じさせるものも多いのです。




南三陸のガソリンスタンド。 画像は天気の良い日のものだけど。 これからの季節は従業員にとって過酷なものとなるはず。 でもこの町になくてはならない存在ですね。11/25



 空港近くの全壊集落を調査していた時。 おそらく集落の住人だったであろうお婆さんが我々を見ていた。 調査を終えて車に乗り込み走り出す我々に対し、お婆さんは深く…深く頭を下げた。 …胸に刺さったな…11/28

 再開に躊躇する農家もおられて。 津波で田畑に瓦礫やゴミが混ざってしまい、除塩も含め再生には相当手間がかかります。名取市はカーネーションの産地と記憶してますが、綺麗な花をこれからも作り続けて欲しいなぁ…11/30

本日の石巻市。 「絶対に工場を再開する」 そして見事に稼働再開した製紙工場。 まさに復活の狼煙だ! 俺らは絶対に負けない。 11/30

※感想:絶望の中でも必死に復興に頑張っている人達。ヒーローと呼ぶにふさわしいと思います。ニュースや新聞には載らないヒーロー達。






今日も被災現地を歩いていろいろと思うところがありました。 いたるところで見られる画像のような生活痕… これが堪らなく切ないものなのです。 家は暖かく楽しい家族の器。 そいつを一瞬で失った方々が大勢いたことを思うと…悔しくてなりません。11/30

本日の七ヶ浜町。 ご存知の方も多いでしょうが、この車両に書かれた「X」は「中に遺体あり」の印。 生死が紙一重に交錯した地。こんな痕跡が未だ無数に残っています。12/2



内陸寄りの津波被害地を歩いて思うこと。 自宅を再建した方、修理した方がいる一方で半壊住宅も少なからず見かける。 住み続けるためにも相応の経済的負担があるということです…12/6


現時点で思う。 被災者は物的支援や一過性の経済的支援より「自信」「確信」を求めているのだと。 自立する自信、安定収入を得る確信こそ必要とされているのだ。 支援の方向性もニーズに追従していけないか。12/8


本日の災害査定は… どこの市町村かは言わないが、震災被害以外の修繕費用を要求してきたので…私は敵に回りました。 被災地だからこそ補助されるのをいいことに目的外経費を要求するのは自分が決して許さない。 被災したとはいえ誇り高くあれ。 血税を掠め取るようなみっともないことを考えるな!12/16


午後は現在取りかかっている査定案件を一旦中断し、昨日の案件で未決だった内容を再審査する。 彼等は過剰要求とおぼしき項目をどう正当化するつもりかな。 自分は今までの姿勢は決して崩さないよ。 自分の一存で採択が決定するわけではないけれど、論破できなければ自分は採択に反対するのみ。12/6


 これが今のリアルであり、復興はまだ終わっていない。震災のキズはまだ癒えていない。忘れてはいけない。いずれ、スタートラインに立てるよう。

 この方も被災者であり、かつ、それを調査する。涙を堪えながらも厳正な査定をすることは、並大抵の心労ではないと思います。尊敬に値すると思います。また、随時追記して行きます。