2011年6月30日木曜日

待つことの辛さ

 学生さんで言えば、テストの結果や学年の順位、受験生でいえば合格発表。努力が結果に出ない時もありますが、自分なりに一生懸命頑張った。そしてその結果に落胆するか、歓喜するかは己次第だと思います。

 逆に最初からやる気無ければ、結果もそれなり。別にそれでいいじゃん。やる気ないんだから。その結果に対しての思い。それも己次第だと思います。


 いずれにしてもその行為が終わり、結果が出るまでの間、どうあがこうと、どう悩もうと、それは変えられる物ではない。待ってればおのずと結果が出るのだから、その間、別に悩むこともなく開き直って、待つ間を楽しめばいいと思います。

 あ、あの問題はあれだった!ガーン!なんてのも少しはあると思いますが、そう思うのであれば正解を知ることにもなるわけで。


 それとは別の待つこと。例えばデートの待ち合わせ。待ち合わせ時間になっても待ち人来ず。携帯電話も繋がらない。当然、不安にも心配にもなりますね。そこで待つか、諦めるか、自分の判断に委ねられる待つという行為もあります。

 待つことを苦にしなければ何時間でも待つでしょう。気の短い人はさっさと帰ってしまうでしょう。理由はなんであれ、この場合、遅れた人に責任があるわけで、途中、連絡の1つもすれば待つこともできたし、なんらかの理由で行けなくなった。って結果もあり、その時は待つ必要は全くない訳で。

 遅れて来て、頭にくればケリの1つもかまして帰るもよし。素直な謝罪にヨシヨシとするもよし。それも自分次第であるわけですね。


 それとはもう1つ。他に判断を委ねて待つことがあります。なんらかの手続きをして、その結果を待つような時ですね。

 例えて言うなら、抽選で1,000人の人にコレが当たります!なんてのに応募して、賞品当選は発送を持って代えさせて頂きます。なんての。そんなんを待つ場合、日が経つにつれ希望から不安、そして絶望へと変わっていきます。

 っつか何時発送なの?なんて問い合わせてみたり。もう発送は終わりました。なんて回答を受けて初めてああ、当選しなかったんだ。と分かるわけで。まぁそんな問い合わせもしないでしょうし、誰に当たるかも分からないんで、内心では諦め半分で応募してるのでダメージも少なかったり。


 一番待つことで不安なこと。手続きをした。条件は揃ってる。審査も通った。で手続き完了に1週間ほどかかります。のこの””。これが一番の不安要素でありまして。

 1週間は7日間。四捨五入すれば10日間。約という言葉を使う場合、だいたいそのように使われますね。なんかの調査で、58%とかだった場合、約60%と表現されたりします。

 でも、時としてその”約”が1ヶ月だったりする時も、社会の不条理の中にはあるわけで。以前、友人が障害者年金の申請をしたけど、結果が全くこないなんて事があって。

 説明では、申請から”約”3ヶ月半(45日)と書かれているのですが、1年以上待ってもなんの音沙汰もないと。なんでそんなに遅れるんだといろいろ問い合わせてみました。結果として業務が忙しいとかそんな理由で半年以上待たされるケースも少なくないという現状が判明したわけです。ね、厚生労働省さん。

 もちろん、これはも”約”の範疇超えてるだろと文句を言いました。担当の人は必死に残業までしてやってて、それでも追いつかない。当然どこかに膿はある。責任者に聞いてみた。いや人手不足で。。。なんて言い訳。だったらそうなる前に補強するのが責任者だろうが!と文句言いました。当然その責任者を管理している人もいるのでそいつ出せと。最終的にはその部門の最高責任者である大臣だせって言ったんですが、それは出来ないと。

 まぁ、結局その手前で止まってしまったんですが、そもそもこの”約”っつーのが期限を曖昧にする。だから、その人手不足に対する対応、その申請の可否を○月×日までに回答してくれと。キッチリ期限を設けてその場を終わったんですが。


 週末を挟むとか、お盆、年末年始を挟むとか、それで2~3日延びる。これは理解の範疇になるんですが、物事には当然締め切り、期限があって、何故そこが明瞭とならないのか。疑問で仕方ないんです。

 延びるにしても、なんらかの理由はあると思います。じゃ延びる理由を手続きした者に対して伝えるべきではないかと。○月×日にOKとなりますと。そうじゃないと一体何時になったらOKになんだよ。。。

 手続きもキッチリしたし条件も揃ってる。それで遅れる理由がどこにあると。諦め半分じゃないんで、不安から不信、そして怒りとなるのは理解頂けるかと。


 そんな社会の不条理が多すぎるのも困ったもんです。特に国!お前に言ってるんだ。支持率は信頼のバロメーターじゃないんだよ。まず投票率から考えろよ。だいたい50%前後だろ?すなわち国民の半分は既に不信なんだよ。それで支持率が50%だったら、実際は25%なんだよ。




 だから、皆がいう。「誰が総理になったところで、結局、同じさ。」




 雲の上であぐらかいて、天気が曇ってれば、下界は見えんわな。誰が困っていても。逆に下界の人達は、雲っていれば上も見えないってことですよ。嵐でもこないかぎりね。

 その嵐が地震だったり原発だったりで初めて上の人達のあぐら具合が露呈する。下界の人達の他人事っぷりが露呈される。