2011年4月8日金曜日

紙一重

 今日、久々に家で寝てました。前も書いたんですが、朝、起きてからずっとダルくて、あぁまた疲れ溜まってんじゃね。こんな時は大人しくしてよってことで眠い時には横になって、お腹が空いたら餌食べて。って1日でした。

 まぁずっと寝れるわけでもなく、ずっとPCの前にいれるわけでもないので、ヒマな時間、なにもしない時間ってのが出来てしまい、いろいろ考えるわけですよ。バカなりに。

 バカがバカな事を考えると、-1×-1=1みたく、妙に哲学的な考えをしたりして。今回の地震、多数の犠牲者、生きるということ、死ぬということ。なんて思ってみました。

 「生」と「死」っていうのは、紙みたいな物で、もう、最新のコンドームばりにそれは薄く、フッと風が吹けば簡単にひっくり返ってしまう物なんじゃないかって。人生80年?でもそれって地球規模からすれば、一瞬の事じゃないですか。その極薄の紙がいろんなトコに64億枚あるだけなんじゃないかって。色で言えば、生きる面は白、死の方は黒だと分かりやすいなと。

「生」
白い紙。心という紙。生まれた時から鉛筆だけを渡される。その鉛筆で、考えたこと、起きたことを書き記す。同じ事でも人によって書き方はさまざま。些細なことでもハッキリ書く人もいれば、チョロンと書いて終わりな人もいて。

消しゴムは無し。だからイヤな事があってそれが書かれたとしても消すことは出来ない。指でこすって少しでも薄くするか、だいたいは隅っこや鍵のついているところに移動したり。楽しかった事は太く、消えないように書いたり。

白。だからそれだけでも明るく、光が当たればなお輝いたりする。が、時によってはそれが眩しすぎたり、熱まで反射してしまう為、冷たく感じたり。そんな部分もあり。

「死」
黒い紙。だから何を書いても何か書いてあっても何も見えない。人間は本能的に闇に恐怖する。だから死という闇にも恐怖するのではないか。

だが色は黒。それは熱を吸収し、時には暖かくさえ感じ、それに近づくことにまるで春を待ちわびるかのように魅力すら感じる時もあるんじゃないか。ただ、生きてる以上、その面に行くことは出来ない。

ただし、暖かく、生きている時の冷たさもないような誘惑をしてくる時もある。それに打ち勝つ者もいれば、誘惑に負けてしまう者もいる。誰もがいずれその面に行く訳だが、それが見える事もない。黒く、何を残しても見えないから。


 ペラッペラな紙みたいな軽い物だから、自然の風で多くの人がひっくり返ってしまう事も多々ある。災害、戦争、その他もろもろ。善悪問わず、誰もが。どんなに祈っても、ひっくり返る時は簡単にひっくり返る。人間って、生き物ってそおいう事を繰り返しながら今に至り、未来に進むんじゃないかと。

 どれだけ人間が生き延びるかなんて分からないけど、生物だって、地球にだって、太陽にだって、銀河にだって寿命はある。黒の面にひっくり返る時はいずれ来る。何十億年先か分からないけど、それより前に生き延びる方法を見つければ勝ち。見つからなかったら負け。神様がいようと、全部黒の面に。

 結論から言うと、バカがバカな事を考えるとバカなことしか浮かばないってことで。