2011年9月18日日曜日

友人が撮影して頂いた動画。

 実際の声、実際の風景を動画で見て頂ければ現実味が出てくると思います。



 【福島県】負け犬と友人が行ってみた①【半径20キロに向かう】




 【福島県】負け犬と友人が行ってみた②【半径20キロに向かう】




 【福島県】負け犬と友人が行ってみた③【半径20キロに向かう】


福島の危険エリア付近の現実

※このテキストはテーマにそって書きたいと思いますので、2日間の中で時系列が前後している箇所がありますのでご了承ください。

 今日、福島から帰ってきました。友人と行ったのですが、最終日は疲れてしまったこと。見れる範囲で見ることが出来たことから、最終日はほぼ直帰という形をとったので1日目、2日目に出来る限り見れるものを見ました。

 全てを見たわけではないので、主観が入るかもしれません。が極力、率直に見た現実を書きたいと思います。

 郡山駅到着。1時間30分程度で行ける場所です。福島には、日本海側、中央(中通り)、太平洋側(浜通り)と大きく3つに縦に山で分かれています。郡山、福島市は中通りに位置しています。

 駅を出て、レンタカーを借りるまで周囲を見ていましたが落ち着きを取り戻していて、普通に暮らしている感がありました。



 国道288号線を太平洋側に走るにしたがって、地震が残した傷跡が見えてきました。この写真は、この先に鉄塔があり、鉄塔付近の補修をしたものと考えられます。砂の部分は崩れた場所。その上の伐採は補修に索道を使ったと想われます。





 広いエリアで伐採されていました。大規模な崩落の可能性があり、その対策を行っているかと思います。山だけではなく、家の屋根、瓦屋根はほとんどが損傷しており、中には建物が真っ二つになっている物もありました。これらを撮影している道路も、多数の箇所で陥没、大きなヒビが確認できました。主要道は補修されているものの、まだ手付かずの箇所もありました。こちらも時間がかかりそうです。



 国道288号線。を行ける所まで行った所に封鎖線がありました。20kmエリアから6kmほど手前の場所で行っており、通る車両のナンバープレートの称号等を行っていました。パトカーに乗っている人は防護服。20~26km間で行き来する方はマスクをしていました。

 警察の車を見た所、長野県警の方でした。聞いた所、沖縄以外の警察の方は全員見たそうです。約1ヶ月で交代となるようですがお疲れ様です。


 道中、東に行く道には全て写真のような看板とカラーコーンがおいてありました。抜ける方法はありますが(山に入るなど)不正に入るつもりもないのでここまで。と引き返すことに。ここに測定器がありましたがこれはまた別途書きたいと思います。

 本来であればのどかな田園風景だったはずの場所。ほぼ全ての田畑は荒地となっていました。もう1つ西の場所では普通に水田があり、稲刈りを待つ段階まで育っていて、本当に山一つ超えた場所では、何も手を付けていない状況。

 このギャップより更に感じたのは、本当に人がいない。普段であれば下校する子供達や犬の散歩をしている人達などが、子供は皆無。ほとんどの人が避難しているようです。生活感は残っていて、洗濯物が干してあるのに、誰もいない不自然さ。非常に印象深かったです。

 大きな酪農家があったので、もしかしたら。と寄ってみましたが、誰もいませんでした。誰も、人も、牛かとおもわれますが、畜産物も。

 そこで飼われていたと思われる犬がいました。鎖は外され、自由に動けるのですが、主がいなくても未だ番犬としてそこにいて、役目を果たしている。

 ここの牧場の方の心境は、言葉にできません。が、自分の想像以上の感情があったと思います。

 暗くなったので宿に帰ることに。街灯は光れど、この暗さになっても民家に光がついている家はほとんどありませんでした。ここに残っている(失礼な書き方と思います)理由も様々だと思いますが、圧倒的に真っ暗な家が多かった、というかほとんど真っ暗でした。当然、商店、自販機なども電源を切り、シャッターを閉め。屋根は補修の最中であったり。

なんとも言い切れない気持ち。少しナーバスな感じになりました。



 この写真だけではなく、先日書いた地図の通り、結構長い距離を走りましたが、ほぼこのような状態でした。

 一山西の田村市、川俣町に行くと、子供達もいて、地震の跡はあるものの、生活感があり、少しホッ。でも一山東の光景は、忘れられるものではありません。