2010年10月16日土曜日

DEAD LINE

 そんなことで、約65時間ほど病院にいました。病院以外にいたのは、飯の調達とお風呂の時だけでした。まぁこれにも訳があるんですが。

 何時、どんな状態になるか分からない状況だったので、眠剤を飲まずにいたんです。でも、まぁ心配だったり、他に人がいたりでデパス等結構飲んでいたので、運転するのにはリスクがある。っていうのは、出発した時、すでにクスリを飲んでしまっていて、落ち着いて行こうと思ったんですが、車をこすってしまったりしたので。

 実家に行き、眠剤を飲んでしまうと10時間ほど動けなくなってしまいます。病院で飲んでも同じでグダグダになってしまっては迷惑をかけてしまう。なので眠剤は飲まないと。

 そうすると、実家でも病院でも良いんですが、先ほど書いた運転のリスクを回避するため、ずっと病院にいたわけです。どうせどこでも寝られないんだし。

 1日の睡眠時間は2時間ほどでしょうか。1時間に1回ぐらいタバコを吸いに外に出るので守衛さん、ちょっと嫌な顔してたり。

 夜通しの付き添い自体は珍しくないのですが、火曜日から金曜日ってのはなかなか無いらしく看護士さんにも覚えられました。夜中、結構響くもんですよ。話。

 でも初日は、本当に覚悟しました。心臓での入院は3回目。過去にも手術をしていたので。意識が戻らなくなる可能性も家族みんなが思っていました。なので初日の朝4時、少し目を開けて、俺だよって声かけにうなずいてくれた時はほんとホッとしました。

 母はHCR(重症監視室)にいたのですが、ちょこちょこ顔を見てたんです。ただ、処置の時は、他の人の時でもドアの向こうに入れなかった。俺が付き添ってる最中にも他のベッドの方の処置とかあったのですが、神聖というか厳格というか、生きている人がいてはいけないような感覚。。。。

 言葉は悪いですが命というより、「死」を扱ってる部屋だなぁって気持ちになりました。実際。俺がいた中で3人の方が息を引き取りました。ってか俺の母もそうなってしまうという覚悟はあったのですが。

 2日目の検診で呼吸が安定してきているという話があり、少し安心。その後、快方の方に向かってくれ、呼吸器がはずれました。ずっと気管に管が入っていたので、声は出せませんでしたが。

 今日は昨日より声が出て、少しなら話ができる状態になり、ドクターの見解もこのまま快方に向かうだろう。ということなので、帰宅することに。ひさしぶりにベッドで寝れます。ありがたし。

 ただ、今回、こうなった原因を調べるため、これからいろいろな検査をするとのこと。なのでしばらくは入院するようです。それでも、良かった。

 母の声がもどり、一番最初に言った言葉

 「お前はちゃんと飯を食ったのか?風呂は?」

 俺はいいから、ホント自分の心配しようよ。。。。と思いました。あと付き添ってた俺と母に看護士さんが「良いお子さんをお持ちでうらやましいですね」との言葉。

 ゴメン。もうちょっと面倒をかけるよ。先に謝っとく。

ファミリー

 ガキの頃のもっと前、物心ついた時からの記憶をたどってみると、家族だけで旅行に行ったことは1度だけ。5歳の時とかでしょうか。海に父に抱っこされて入って怖い思いをした記憶が。

 あとは近所の子供達と一緒だったり、どっちかだったりします。

 父の仕事が土日休みとかではなく、天候で決まるため、なかなか皆一緒ってことがなく、雨が降り、父と一緒にパチンコ屋に行った記憶。母と一緒に富士急ハイランドに行ったぐらいで、家族4人で行ったのはたまに外でご飯を食べるぐらいです。

 家では一緒。でもそれは中学まで。その間も、うちの親は人かず良いのか、結構うちらをおいて近所の人だったり、親戚だったり、いろんな所にいって、遅くまで帰ってこず、寂しい思いをした記憶が。

 アニは地元の高校だったのですが、俺は中学卒業と同時に東京の高校へ。俺が高校を卒業し、地元に就職したのと入れ替わりにアニが筑波の大学へ。アニが卒業し、地元に就職したら俺が転勤で長野と。まぁ俺もお盆や正月にも帰らないヤツだったし。

 結婚し、子供が出来た後、5歳になるまで親が孫の顔を見たのは3回。元嫁があまりうちの親と仲がよくなかったので俺が小僧を連れて実家に行ったのが2回。一番最初は30分も一緒にいなかった。

 で俺は病んでしまい、東京で暮らしていて、アニがつい先日結婚し、別の場所に居を構えたところ。結婚式でも俺の具合が悪く、先に帰ってしまい、家族だけの時間ってのは無かった気がします。

 そんな中、本当に久しぶり家族が集まった。

 母が、心不全で倒れ、救急車で運ばれた。火曜日の夕方、アニの電話。

 母は呼吸器を付け、あまり意識が無かったんですが、本当に長い時間、家族が一緒にいた気がします。

 離れてるようだけど、やはり繋がってると、ここで確信した俺。