2011年10月8日土曜日

死後の世界

 なんてものは死んでみなけりゃ分からないし、ましてやそれを科学的に解明するなんて事は不可能な話なんですが、世界の偉大なヒマ人達は、真剣にその解明に対して取り組んでいて。


 生と死というものは何か。魂というものは存在し、肉体から離れても、存在し続けるのか、それはどこにいくのか。

 宗教であれば、天国へ行ったり、地獄へ行ったり、生まれ変わったりといろいろあるのですが、どの宗教にも言えることは、魂というものは死後も存在するということ。


 まず、「死」という状態を定義しなくてはならない。人間は、脳による信号によって、いろいろ考えたり、行動したりする。それは心という「意識」からくるものであり、その「意識」がない状態を「死」と仮定する。


 じゃあ寝ていたり、失神して意識が無い状態は「死」なのか?と言われると上記仮定であれば、その通りであり、それは、実験によって確認されている。

 脳神経は電気信号により、情報を行き来する、いわば分子レベルのコンピューター(ニューロンと呼ばれる)とも言える。外部から脳に電気信号を送り、意識のある状態と無い状態を計測する。という実験。


 脳は寝ている時、いわば意識の無い状態でも活動しており、記憶の整理や肉体、腸などを休めたりしているんだけど、意識のある状態で電気信号を送ると、脳の各部位にその信号が行き渡るのに対し、意識の無い状態では、活動している部位を除き、その電気信号をシャットアウトしているそうで。


 脳が生きる為の活動はしているが、それ以外の活動はしていない。という結果から、意識の無い状態=死と仮定されるのであろう。「脳死」という状態はまさにその状態であるため、それを死と認めるか否かで物議をかもしだしたんだと思う。


 じゃあ、その無意識の状態をどう具現化するの?って所で科学的解明は詰んでしまう。意識の無い人に、今、どんな気持ちですか?なんて聞くことは出来ないっていうか、脳波でそれは測定できても、まず意識のビジョン化をする事が不可能だから。


 そこで登場するのが、いわゆる「臨死体験」。その体験をした方々に話を聞くのはもちろん、空軍がGに対する訓練で使用する、遠心分離機みたいな機械で被験者をブラックアウトさせ、その時何が見えた?などを聞く。という実験。


 それによると、大体の人は、自分の意識が肉体から離れ(自分が自分を見下ろすような感覚)、まず暗闇にいて、自分が今どこにいるのかも分からない状態。そこに光が現れて、まるで宇宙にいるような感覚になる。というような話が多いことが分かっている。お袋から聞いた話とは随分違うけど。。。


 柔道でよく締め業などで「落ちる」時がある。自分も一度落ちたことがあり。その時、確かに暗闇の中にいて、1つ光(自分の場合は窓だった)がありそこに行こうとした時に、意識を取り戻させてくれたんですが。意識が無いのに、それは鮮明に覚えています。

 意識が無いのに、何故、何かが見えたりするの?ってトコなんですが、意識がある状態からいきなり無い状態になる時、瞬間でも、その時間はまだ意識をつかさどる脳は活動しているから。とも言えるのではないでしょうか。


 と、なると、臨死体験もブラックアウトもこの3行の理屈で通ってしまいます。意識がある状態から無い状態になる一瞬。でも無意識な状態の時には時間という概念が無いから、一瞬とも、永遠とも捉えられる。自分が落ちてから、意識を取り戻すのに3秒ほどだったのですが、自分的には1時間ぐらいそこにいたような気持ちになったもその為かと。


 寝ていて意識が無いや、麻酔で意識が無い時も同じであり、意識の無い人は一瞬とも何時間とも捉えられる。まぁ寝るのもリズムがあって起きるし、麻酔も効き目がなくなれば覚醒するので死にはしないのですが。ただ、確かに無意識の状態での時間の概念はないな。と。瞬きしたら30分過ぎてた。なんてこともありますし。


 結果、死後の世界は未だ分からない。というのが結論なのですが、先ほど書いたように、意識のある状態から意識の無くなる状態になる一瞬。一瞬だけど、永遠。そんな中で自分の意識内のビジョンが、それにあたるんじゃないかと、哲学してみる。


 ニューロン力学の応用で、ワームホールを通り、別次元の宇宙へ行く。とか、そんな説もありますが、別にドコに行こうと何が待ってるわけでもなく。


 それより思ったことは、寝ている時の意識の無い状態。これを死と仮定するのであれば、自分らは毎日死んでは生き返ってるってことになる。確かにどれだけ寝たかは時計を見てみないと分からない。無意識の時間の概念が無いから。


 ラジオ体操の歌で新しい朝が来た。なんてフレーズがあるけど、本当に新しい朝なのかもしれない。