2012年7月15日日曜日

マヤク

 サガ?咎?原罪?なんでもいいんですが。

 人間って、他の動植物にも必要な、生きる為のモノ(食い物とか、水とか)を除いて、ナニカを必要としている、欲していると思うんです。

 例えば、お金だったり、趣味であったり、酒であったり、タバコであったり、友達であったり。


 いろいろありますが、本当に欲するものって、自分の中で、1つとか、極わずかだと思うんですね。他ら欲するものは、その本当に欲するモノの二次的に必要なモノ。


 例えばお金。お金で何ができる?っつたら、実際は焚き火の薪にもならないんですが、実社会においては絶対に生きていく上で必要なモノ。それとは別に何々が欲しいからお金を貯める、使う。その何々も人によって違います。

 自分の出来る範囲で知る人を助けたいからお金を使う。自分が助かりたいからお金を使う。ギャンブルしたいから、スノーボードに行きたいから、ギターが欲しいから、酒飲みたいから、タバコ吸いたいからetc,etc。。。。お金が必要。なのでこれは二次的なモノと言っていいと思います。


 逆に、そのような欲するものの為にお金を使わない。これも二次的かと思います。老後の為、未来の為、子供の為、自分の為。もしくは欲するモノを両立できないから。とも言えますね。


 ただ、その奥にそのような上っ面じゃない欲。とも違う、欲するモノそれこそ神じみた、悪魔じみた人間特有の、自分でも気づかないかもしれないモノ。ナニカなんて自分でも分かりません。他の人なんて特に。



 これは善とか悪とか、法律とか、宗教とか文化とか超えたモノ。一個人。すなわち自分を形成する根本の部分でもあるんじゃないかと。


 性格。とも違うものだと思います。性格って、今まで生きてて培ったモノ、バックグラウンドとか他の因子が入ってきますから。近いと言えば近いと思いますが。


 自分にとって本当に欲しいモノを手に入れる。これは、個々で違って、実際かなわないかもしれません。ある程度手に入れる人もいると思います。ただ、それは際限がなく。


 実はそれは、とってもシンプルで、単純なもの。ただ、その二次的、三次的があまりに複雑で、見えない。分からない。


 何故何故問答を繰り返し繰り返し。それでも答えなんて出ない。ただ、その問答の中から近いと思ったことをやってみる。 それが悪と呼ばれたとしても、身を滅ぼしたとしても。


 身を滅ぼすってのも、いろいろあって、自分のもってるいろんなものを削ぐ。自虐的になってみたり、他虐的になってみたり。それと衝動がはまってしまうと、自傷してしまったり、他を傷つけたり壊してしまったり。


 お金をあえて削ぐ。人間関係をあえて削ぐ。自分を削ぐことに変わりなく。削ぎ方もいろいろあると思います。

 例えばお金を削ぐ。いいやってドブに捨てるのも方法のひとつ。燃やしてしまうのも1つ。でもつまらないから趣味で使う。何故?楽しいから。


 1人が楽しいってゆーか楽な時もある。だから人間関係を削ぐ。形はそれぞれ。バッサリ切るのもあれば、フェイドアウトのように消していく。方法は違えどやってる事、やらんとしてる事は同じ。



 極論を言えば、生きる事を削ぐ。つまりは自殺。何故そんなことを?自分でも分からない。何故ってその本当に欲するモノの問答の中で出た自分の中の答えの1つだから。それで死んだとしても、欲するモノに近いかもしれないモノを手に入れたのだから悔いはないんじゃないかとも思います。

 その逆も然りであって。自分を助けるより他人を助ける。自分はドーデモイイ。別に何かのバックペイなんて望んでなく、ギブ&テイクでもない。あえて言えば、その欲するモノに近いのかもしれないから。


 助けるという大義名分で、自分を壊すことを欲する。なんてのもある。だから複雑。


 他から見れば、バカな事をとか、かわいそうとか見られるかもしれない。でも、自分はそう思ってない事もある。



 まぁ形はなんにしろ、言えるのは、それは「欲」であって、他者がどう思おうと、それに近づけば楽しいし、自分の知らないうちに、そのような行動をとっている。かもしれないってことで。そしてそれは、マヤクのように際限なく。。。