2011年10月24日月曜日

ただ、単純に、自然を受け入れる

 トルコでM7.8の地震があったとか。


 なんか最近、頻繁に起きてるよね。なんて他人事のように言ってる人もいますが(かくいう自分も言わないだけでその中の1人なのですが)世界で見れば、大地震と呼ばれるものは、結構前から頻繁に起きているんですよね。


 日本をはじめ、中国だったり、インドネシアだったり、チリだったり、アメリカだったり。。。。被害の大小に違いはあれど、それは震源地などだったり。


 地球が起こしてることなんか、人間の知るところではなく、正に人知を超えた存在。であり。


 一極集中だと、地球自体が壊れちゃうから分散してくれてるとも言えるし、引き絞った弓のように、今が放たれたものかもしれないし。


 どちらにしても、本当の意味でなるようにしかならず。なんて思うことも。


 それに抗うのも人間だと思います。人間の必然なのかもしれません。ですが自然には勝てない。ならばそれを受け入れる。これも人間の必然かもしれない。なんて思います。

 ディスカバリーchを見ていたら、学者さんがこんな言葉を言っていました。「時間というものは、人間の究極の思い込みですよ」と。

 アインシュタインの相対性理論が出る前は、ニュートンの概論により、時間というものが決められていて、時間は常に一定である。これを根拠に、グリニッジ天文台を基準として、時計って物が作られたんですが。それで、今や原子時計なんて言って、誤差が4000年に1秒とかそんな時計を世界で作ってて。


 でも、そんなモノになんの意味があるのかっていうと、ただ、人間の物差しで決めた時間っていうものの確認ツールでしかない訳で。


 社会においては必要なものです。会社の勤務時間だったり、待ち合わせの約束や、テレビ番組表も時間と時計で組まれています。そおいう意味では必要不可欠なモノかもしれません。


 ただ、宇宙規模で言えば、時計なんて物はなんの意味も持たず、加速に加速を続けていれば、光速に近づけば近づくほど、時間は遅くなる。じゃあ光速になると時間は止まるのか?とか、光速より早いスピードになるとどうなるの?なんて謎があって、何故か光速より早く進むことは出来ない。と結論付けています。相対性理論では。


 今では、それも時代遅れの論理であり、ワームホール、超高速の発見など、があるのですが、超高速になると過去に遡れるの?ってなるとそれは不可能であって、時が進むことには違いはなく、それが早いか遅いかの違いなだけだと思います。


 話変わって、心と時。これも気持ちで短くなったり、長くなったりします。例えば、楽しい時間は短い。とか、事故の時、スローモーションに見えるとか。それは感覚ではなく、実際に「自分の時」が長くなったり短くなったりしていると。


 とある人が、なにか、皆がビデオの倍速のように動いてる。自分の時が遅くなったのか?と疑問を抱いていたら、自分がスローになっていた。という病気だった。なんて一例があるのですが、時。という概念でいけば、自分は普通の時を過ごし、他の人の時間が倍になった。と言えるのではと思います。


 時と時間は、似て非なるものだ。科学的にも、心理的にも。そうすると、限りある自分の時をどう過ごすか。一瞬で終わることもあれば、永遠に近いものでもあるかなと。そうすると、心と宇宙は同義でもあるかなと。







~~~~~~ここから不謹慎なテキストになります。ご注意を。








 例えば投身自殺した人がいたとします。投身でもなんでもいいのですが、いろんな宗教で、自殺すると魂は、永遠にその場に留まる。みたいな教えが多くあります。


 宗教では、輪廻から外れてしまう。的表現なのですが、上記の時の概念を用いると、まんざら根拠のないものではないと思うことが。


 30mのビルから飛び降りた。計算すれば、その時の落下速度や、落ちるまでの「時間」は簡単に求めることができます。ただし、そこに心が入ると全く別物になってくるわけで。


 その時の心理状態にもよると思いますが、普通であれば、恐怖心や絶望の中で飛び降りる訳で。その時、よく走馬灯が走るとか、事故の時、スローモーションのように感じる。という現象が起こります。


 これは「自分の時」が恐怖や絶望、いわゆる「負」の感情により引き伸ばされていると言うことができるのではないかと。それは地面に近づけば近づくほど増大し、引き伸ばされる自分の時もそれに比例して引き伸ばされる訳で。


 地面が近づくにつれ、感じる自分の時は長くなる。世界中のどのコンピューターより演算速度が速い、かつ電流(いわゆる光速)で脳神経が活動するとなると、光速に近いスピードで頭は回転することになる。


 そうなると、他から見ればただの落下であっても、自分の時からすれば、永遠に限りなく近い時の中にいるということとなり、限りなく永遠に近い時の中落ち続けるということととなるわけで。


 死に対して、絶大な恐怖を持つものからすれば、脳が活動し続けるまで、永遠に近い時をすごすことになる。ここで宗教とリンクもしたりして。


 宗教も人間の「心」が創り出したものなのだから。