2011年4月25日月曜日

もうダメっかしんねぇ

考えすぎ?そうっかしんね

でも、すげ、湧き出るんだ。情けなくて涙が出るほどの自己嫌悪感がとまんねー。ごめん。


失ったモノ、壊したモノはもとには戻らない。そうだと思う。

でも、何かは分からないけど、壊したくてたまんねー。ごめん。



ちょっと旅にでます。

探してください。

永遠(死神からの代弁)

 人はいずれ死ぬ。それは誰でも同じ。

 生まれ変わったところで、そこに自分はいないんだから、俺が生まれて死ぬ自分は1度きり。輪廻転生を永遠に繰り返しても、そこには自分がない訳で。

 人間は、自分で死を選ぶこともできる。

 ある人から言えば、地獄に落ちると言う。ある人が言えば、永遠にそこにとどまるという。

 そこにだって、自分というものなんてない。自分を作る頭も心もないんだから。

 それが同じ永遠だったら、いったい何が違うの?自分がないのは一緒だろ。

 地獄で苦しむというが、そこに自我はあるのかい?ずっとそこにたたずんでいても、そこに自我があるのかい?

 自我があるんだったら、それが永遠なんだったら、地獄で苦しむより、ずっとそこにいた方がいいじゃん。産まれかわってしまったら、自我がなくなっちゃうんなら。

 精一杯生きて、良い死を迎える。キツイ現実から逃げたくて、良い死を迎える。どこに違いがある?精一杯生きた分だけ、なにか得る物があるのかい?

 天国だって、永遠だろ?そこに自我があるのかい?

 不条理に死ぬ人間も大勢いる。それに自我があるのかい?無いんだったら、精一杯生きても、堕落した生き方でも、自分で死を選んでも、時間の違いなだけでその後はずっと永遠なんだろ?

 死後の世界なんて分からない。死んだことなんてないから。俺がもし、誰かの生まれ変わりだったとしても、俺は俺だ。他の誰でもない。

 前世の影響?その前世を知ってる人はいるのかい?来世に繋がったところで俺はいなくなるんだろ?

 だったら、別にいいじゃない。この感情豊かな世の中から逃げちゃっても。

 悲しい思いもしないですむよ。楽しい思いもないけどね。

 でもいずれはやってくるんだからさ。何十年の違いなだけなんだからさ。

 自分なんていないんだから、誰がどうなってもいいじゃない。誰が悲しんでもいいじゃない。今なら、残るものがあるじゃない。それで喜ぶ人もいるじゃない。

 幽霊になるのか、ナニになるのかなんて自分で決めれるわけじゃないだろ?ルーレットみたいなもんだ。結局BETはするんだから、何時その1枚のコインを置くかだって、自分で決めればいいじゃない。

海に還ろう

 いくらワインボトルと語ったところで、変な衝動にかられたり、それに変な期待を持ってみたり。結局のところ、帰る港を探してただけなんじゃない?

 帰る港なんて、ずっと昔に壊れてしまい、それでも必死に直そうとしたけど、それを諦めて漂流する道を選んだんだろ。

 だったら何も、絶望も、期待も必要ないじゃないか。話したいことなんてココに書いてるじゃないか。

 それを誰かに聞いて欲しい。そんな願望が大きくなっちゃって、その誰かの声が聞きたくなったんだろ。それが普通?確かにそうかも。でもそれが寂しさを生み、絶望を生む。

 その寂しさとか絶望とかから逃げる為に港を捨てて、ワインボトルを選んだんだろ。だったら流れに身を任せて、ただ浮いていればいいじゃないか。

 そりゃ自分でその広い海から、どこか港を探す道もあるだろう。自分で泳いだり、船を作ってみたり。でも、それすら逃げたんだろ。この弱虫め。

 自虐?そうかもしれない。でもそれが楽だから、誰にも縛られたくないから、勝手に流れる漂流の道を選んだんだろう。

 なら、なにも求めるな。幸いにして、海の底に沈んでしまいそうになった時、浮き輪を投げてくれる人がいる。マジ、感謝。

 俺の言いたい事を、俺の話したいことを、聞いてくれてる人がいるんだろ?見てくれる人がいるんだろ?それで満足すればいいじゃないか。

 話したい事はここに書いてる。だからと言ってはなんだけど、これを見て、話したくなったら、俺というワインボトルを拾っておくれ。それでまた話が広がれば、何かを得たりできるだろ。

 そんな時がくるまで、待てばいい。今は、ただ、待てば。