2011年12月4日日曜日

死は「安らぎ」でしょうか「悲しみ」でしょうか

それすらも思うヒマもなく、不条理という沼に落ちた何万人もの人がいます。が、今日は別のテキストを。

 今日、病院に行きました。朝起きて、あー午前中に行けるなぁ~なんて思っていたら、相変わらずの起きて1時間したらすごい眠くなるの罠。無理。ちょっとだけ。。。。のつもりが昼アラームで覚醒。


 それでも送迎バスに間に合うモノレールに乗ったんです。が、乗り換えの京王線が、トラブルで4分遅れ。。。1~2分間に合わず、結局タクシー。ええ、そんなもんです。慣れてます


 駅に行く→モノレール→乗り換え→病院ですっかり電池の切れた自分は相変わらずの廊下の端に。人がいるのがイヤ。話し声とか雑音にしかならず、音楽も苦になってきたので、レキソタン飲んで倒れてたら看護士さんにまたもや怒られる。ほっといてほしい。


 確かに邪魔だと思う。が、本当に自分勝手に考えたら一番待つ時に居心地がいい場所を探して選んだ訳で、そこで踏まれようが、蹴られようが、そこに寝転がってる自分が悪いわけで、そこに怒りは感じないんです。


 大丈夫?ほっといてください。と言っていながらも、心配してくださるのはありがたいんですが、時にイラッとしてみたり。待合用のソファー、そこに寝ちゃうと他の人座れないでしょ?具合悪くて安定剤飲んで眠くなってきたんだからしゃーないやん。なんて思ったり。ほんと勝手な行動です。真似はお勧めしません。


 午後ということもあって、外来が少なくなった為、ソファーに寝ることを許可。そこで寝ていたんです。で、診察。睡眠時間が前は少し長くなったのが元に戻ったり。とか報告。季節の変わり目長すぎというか、急に寒くなったり、そうかと思えば午後は晴れて暖かかったりで、風邪も流行ってるとか。それと同じで、季節による調子の変化はあるとのこと。

 また、やはりバイオリズムみたいなのがあって、それは人それぞれで、その波にも左右される。その為、急激な心理的変化や動向の変化が見られなければ、心配することはないとのこと。


 リハビリについて、前にも書いたかもしれませんが、睡眠障害に対するリハビリなんてものは無く、食べて、動いて、眠くさせる。この基本しかないと。リワークについても、自分が探した中では、RT療法のような、単純作業、失礼な言い方ですが、もっと重度な方が、社会復帰する為のプログラムはあっても、より高度なものはやはり23区とかに行かないと無いそうで。


 なので朝起きる。朝食を取る。外出する。仕事が終わる時間までは起きてるなど、自己努力的な行動をとってます。と。外出して何をするかが一番の問題だったりするのですが、スロだったり、友達とご飯食べたり、時に23区に行ったりと、なにかしらのイベントを作って外に出てます。っつか金は多少かかりますが、コトブキヤに行くとか、それだけでも。


 まぁそれを続けてみてください。ということで、診断書を書いてもらい、診察終わり。会計まで1人待っていたのですが。


 そこで、なにやら騒ぎが。入院している患者さんが、トイレにひきこもり出てこないと。診察もしくは注射(なんの注射かは不明)をすれば出る。そんなトラブルが。ってかそんなん、多分しょっちゅうなんだろうなぁ。。と。看護士さんも大変です。




~~~~~~ここから、非常に嫌悪的表現が出てきます。自己嫌悪の中書いてます。なら書かなきゃいいのに。ですが、心中に納めているとネガ思想の塊になってしまいそう。はけ口。





 そこでふと思いました。まだ自室でひきこもれる俺ってまだマシなんだなぁ。と。凄い言葉悪いと思います。入院している方達、そこには自由というものは無く、時間だけはあり。そこに自我というものはあるのかな。。。と。


 自分すら理解できず、アイデンティティ無し。その意識もない。それはもう、自分という存在ではなく、ただ生きているだけ。本当に本能、もしくは欲求だけで生きている。自分の無い自分。リビングデッド。


 実際、自分があのようになってしまったら。。。なんて考えると、意識があるうちに死んだ方がまだ自我のまま死ねるんじゃないのかな。そっちの方がいいな。。。。要はああはなりたくない。と。自我も無く死ぬこと「悲しみ」


 完全自殺マニュアルなんて本。結構昔ですが、話題になりました。自分も買って、何度も読みました。賛否両論あれど、自殺を推奨するものではないというのが感想。あくまでマニュアル。その通りにすれば、死ぬ。楽な死に方、苦しい死に方。


 迷惑かけたくないとか、潔くとか、そんなキレイゴトではなく、自我の無い自分にだけはなりたくない。それだったら死んだ方がマシ。俺的には「安らぎ」 ただ、それだけのことでこれまた自己中心的ですが。


 大きな精神病院、入院病棟があるような病院でしたら、そんな人がいるのは当然であって、見る度にそんなん思ってたらきりもなく、だったら病院変えろよ。って話になるのですが、そんな人を見て、まだ自分はマシなんだなぁ。まだ、登る山はある。と、これまた自己中心的に思いつつ、帰路に。ラーメン。食す。