2011年6月5日日曜日

哲学してみよう -トイレ掃除-

 朝、3時30分ごろ眼が覚めてしまい、再度布団に入ったんだけどダメ。5時に諦めました。時間はあって、外は特段雨が降りそうではなかったので、洗濯をしようと。そのついでに風呂も入ってしまえば、入り終わって、髪乾かしたら、洗濯物が干せるじゃないか。

 しいては、朝食もとって6時の朝特務に間に合うのでは。。。と一人ミッション・イン・ポッシブル的感覚でそれこそ分、いや秒刻み、ウソです。まぁ洗濯スイッチオン→コンビニで朝食調達→風呂→風呂上り→髪乾かしたら丁度洗濯終了のアラーム。よしよし。正に計算通り。計算というのはこーいうことを言うのだよ。フフフ。

 と速攻で洗濯物を干し、ミッション終了。時計は!?6:01。。。。これが時限爆弾だったら爆発してますね。くぅぅぅどこが!?あれか!?パンツを干す時に棒に引っかかったあれか!?多分、何事もなくてもこの時間だったと思います。それが俺。優雅に朝食なんぞを食べました。

 ちなみに急いで物事をやろうとすると、当然ながら時間に対する運動量が増え、それとともに血行がよくなり、脳にいく適量いくはずの血中にある薬の成分が足りなくなり、メマイなんぞをおこします。座りながら立ちくらみます。

~~~~~~~~~本題

 時間があいたので、なんとなくトイレ掃除をしました。その時思ったんですが、何故に俺はトイレ掃除をしているのだろう?と。

 登山家に聞く。何故山に登るのか?そこに山があるからだ。

 でわ、何故トイレを掃除する?そこにトイレがあるからだ。

 いやないしそんな感覚。トイレを見ると掃除したくなってしかたが無いなんて人がいたらお目にかかりたいものだ。多分、普通とは違うベクトルで見てしまうだろうが。

 じゃあ何故?別にこんな部屋に誰もきやしない。来ても気にしないし。汚れてはいるがトイレとしての機能は十分に果たしている。そのねぎらいなのか?それとも何かの責任感なのか?

 トイレが汚い=ダメ なんて誰が決めた?そんな法律ってゆーか、場所によってはそこから出るメタンガスで火を起こし、料理をするんだぞ。なのに、何故掃除するのか。

 ブルーレット置くだけを置いた。指がミドリに染まってしまった。それでもまだ、掃除をやめない俺。いったい何が俺を動かしているのだろうか。床を拭いてみた。予想以上の抜け毛に驚いた。一通り終わったな。と便座を閉めたら、うわ、そこ忘れてるし。。。とまた拭き始める。そこまでやる必要があるのだろうか?

 仕事なら別として、自分の部屋だ。誰が褒めてくれるわけじゃない。そもそも褒めてくれる人もいないし褒められるようなことじゃない。つまるところ、自分がキレイにしたいという欲求だけで動いたのだろう。そしてキレイになったトイレを見て1人悦に浸り、自己満足の中これを書いているのだろう。そうなると。


 何故トイレを掃除するのか? そこに汚いトイレがあるからだ。(自宅に限る)


 事の大小は別として、その意味、その意義、自分の欲求、果たせたことによる満足感。登山と一緒ではないか。エベレストの頂上に行って悦に浸るのと同意ではないか。と思う。ちと大小の差が激しいが。違わないか?屁理屈か?

忘れてた。。。

 少しずつ睡眠時間が伸びてるっていっても、3時間には満たないことを。。。

 早くねれば、そりゃ早く起きますな。変な所で正確な体内時計。もちっと別の所で発揮して欲しいです。


 短くともキッチリ寝たので。眠気なし。いつも起きる時間、あと1時間30分。2度寝。。。怖い。


 さて、どうしたものか。椅子に座っててもしゃーないから、もっかいベッドに行きますかね。