2010年2月25日木曜日

スカイ・クロラ

 前に、押井 守監督でアニメ化されましたね。戦争をする為に、創られた?子供達、成長はせず、ただ戦うことが生きることであり、死ぬ時は、戦死。その永遠の繰り返し。

 戦争は既にビジネス化され、絶えず戦争を実況している。それを見ているのは、人間。

 何故戦争をするのか。今の世界を見てみると、結局、核による圧倒的な抑止力で戦争が起こらないようにしているらしい。毎日、新しい武器の開発をしていて、大量に生産をしている。それを世界中にばら撒いて、それを仕事としている人がいる。

 何故戦争をするのか。民族?独立?宗教?政治?その前に何故人は武器を持つのか。家族の為?お金の為?政治の為?一切れのパンの為?

 それらは、その人達にとって、すげぇ大事なのは分かる。でも、それが武器、人を殺す道具を持つ理由になるのか?俺にはそれが分からない。

 大事な物、大事な人の為だけ守れる力さえあれば、武器なんて必要ないんじゃないかと思います。

 だけど、広島・長崎では、原爆の恐ろしさを次の世代に伝えようとしている。それは確かに重要なことだ。でも、原爆自体の無い、それを知らない世界にすれば、そんな悲劇は起こらない。第一、日本は核を持ってない。なら、核を持ってる国に伝え、完璧に無くす努力をすればいい。

 俺は戦争を知らない。実際やったこともないし、必要だとも思わない。だけど、今も世界中でマシンガンの音は絶え間なく鳴り続けているのだろう。何故?少しばかりの土地の為?殺された家族の為?何故殺された?人を殺す道具で殺されたのではないのか。

 それが無ければ、殺されないし、殺さないだろう。極論を言ってしまえば、世界中の軍隊が無くなって、武器が無くなって、戦争や戦闘を行わず次の世代に引き継がれれば、戦争の恐ろしさなんてのは、全くもって必要となくなる代物だと思う。

 世界的な経済危機と言われていても、軍に使われる費用は莫大だったりする。戦争が経済を良くする法則なんかもどっかで聞いたことがある。でも、なんか矛盾してないか?

 武器は次第に機械化、自動化され、もう機械vs機械みたいな物になるのであろう。そんな戦いに意味なんてあるのだろうか。大儀も名文もあるのだろうか。

 確かに人間は喜怒哀楽がある。怒れば相手が傷つくことを言ったりしたりするだろう。殴られれば殴り返してくるだろう。でも、それでいいんじゃないのか。人を殺すまで怒ることというのはあるのだろうか。

 なんらかの妄想で、猟奇的な殺人を犯す人もいる。それは、世界の人間の中ではイレギュラーな部類に入るのではないか。俺ですら、別に殺す!とまで怒ったことはない。話でなんとかならないのか。

 話さなければ何も伝わらない。でも、話せば1%でも伝わるんじゃないか。最初はチリみたいな物かもしれないけど、それが他の動物には無い発達した脳を持つ人間ではないのか。

 でも、戦争は、きっと終わらないのだろう。人と人は、殺しあうのだろう。だったら、戦争がいかに恐ろしいかを全世界の人に教えるべきだ。争うことをやめない、愚かな「人間」だから。