2012年1月25日水曜日

神のおかげで生きていれるのか、悪魔のおかげで生きさせられているのか

自分の思想の中に、神様なんてのはいない。どんなに祈っても金を積んだところでも、何も助けちゃくれない。よって無宗教的な思想があるのですが、誰もが心の中に1匹?1人?の悪魔がいる。と思うところがあります。


 生きていると、いろいろあって、幸せな事より、苦しい事の方が多くて、好きな人より嫌いな人の方が多くて、どこぞの神様からすれば、それは試練だと言う。じゃあその試練を乗り越えるとどうなるの?天国へ行けますって。死んでからじゃ遅いのでは。。なんて思ったり。


 神様のおかげで生かさせてもらってるなら、ちゃんと平等なパラメーター付けてよ。なんて思ったりもするのですが、結局神様は何も答えてはくれない。


 逆に、自分の中の悪魔が生かしてる。って考えると、いろいろとツジツマが合う。何かの誘惑だったり、何かの衝動だったり。死んじゃうと、その悪魔も死んじゃうから、生かしてあげてる。って考えると、産まれついてからの不平等だったり、いろいろ起こるキツイ事は悪魔の仕業だったり。

 その代償として生かしてもらってる。

 人は、自己の誘惑や衝動に負け、悪魔の仕業じゃないことをする。悪魔は悪魔なんだからお人よしじゃない。命か、時か、または別の何かか。キッチリ代償を取り立てる。それこそ人類皆平等に。


 「死」は「安らぎ」なのか「悲しい」のか。そんな事さえ考えられずに、不条理の名の元大勢の人が死んでいく。それは、人にとっても、悪魔にとっても不本意ではないのか?と思う。摂理という言葉で片付けていいのか。と疑問も抱く。


 と考えると、自分的には、後者の方が、自然というか、しっくりとくる。あえて神様がいるとするならば、この方なのではないだろうか。











タナトス 「死」を司る神