2012年5月15日火曜日

約束

自分は性格として「約束」というのを非常に重んじる傾向にあるようです。実質、不確定要素があったり、中途半端な時などは、約束というものは行いません。


予定は未定と言いますが、出来れば予定の通りに行動したい。それが出来なかった時などは自己嫌悪な気持ちになったり。まぁ時間というものには許容というものもありますが。秒単位で管理してるわけでもなく。


ただ、遅れるんだったら、その連絡は必要と思います。キャンセルになる場合。その日の体調でそのような事もあります。いわゆる、ホウ・レン・ソウってヤツです。

仕事で言えば、契約という言葉となり、仕事をしている時、無断で休むとか、ありえないだろと。遅刻する時も同じであり。

契約がその通り行われなかった場合、行わなかった相手にはそれ相応の責任が伴います。そしてその責任を果たさなければなりません。その責任を果たしたところで、その会社同士の信頼関係というのは低くなる。これも当然のことだと思います。


これが友人同士の約束であれば、さらに大切になると思います。社交辞令のような口約束ではなく、友情という繋がりにより出来た約束。これにはまず、相手を信頼している。というのが大前提になります。

その上で、約束というものをする。「信頼しているから」約束をする。それをまず理解して欲しい。信頼してない人とまず約束なんて物は行いません。なので約束をする際、自分は約束を非常に大切にしている。とあらかじめ言ったりと。


それが破棄された時、例えば前記のようなレアケースの場合は別として(ホウ・レン・ソウは必要ですが)怒りというより、悲しさが入ってきます。 約束の重さは人それぞれあると思いますが、自分は事前にそれを言っている。自分の約束は重いぞ。と。


何故悲しい?それはその人を信頼してるから。ドライに人の縁を切る事なんて自分には出来ないから。


例えば、誰かと結婚して、自分には自分の女友達、相手には相手の男友達はいるわけで、その人達と遊ぶなとは言いません。ただ、遊ぶ時は事前に言ってくれよ。それで信じられるわけです。浮気したら離婚。これは結婚前に言いますので。


疑うのが嫌いなんです。人間不信ギリまでいった自分が言うのもなんですが、赤の他人ならまだしも、信じている人間を疑うのは、その人を信じている自分も疑うことになり。それは自分にとって非常に苦痛な訳で。


その約束を破ったおかげで、誰かが傷ついた。これは約束をした自分にも責任がある。申し訳ない気持ちになります。自分が謝って済めばそれにこしたことはないのですが、人間関係、そのように簡単にいく訳にもいかず。


その人を信じているから約束をする。約束が嫌いな訳じゃない。むしろ必要なものだと思います。全ては信頼関係のもと、特に友情と言う名のもと約束をする。それを理解して欲しいです。



自分が息子と約束した事。これは自分が勝手に自分に約束した、誓いにとも言えると思いますが、その約束から、どんなに破壊衝動にかられても、自己破壊衝動にかられても、自傷だけはしていません。何故って。約束だから。誓いだから。