2012年5月30日水曜日

-自分の見た東北沖震災津波被害-



注意)このテキストには場合により心を害す恐れがあります。閲覧には十分注意してお読み下さい。


 東北沖震災から1年と2ヶ月。昨年、今年と福島に行き、福島第一原発事故での影響を見てきました。そこでもやはり、家はあるのに生活感が全くない地域、鎖を放たれてもまだ我が家を守っている犬など、ナーバスになる風景、地元で特産品を作っていらっしゃる方の声などを聞き、事故での影響の大きさを知る事ができました。


 また、福島より被害の大きかった宮城、岩手県の現状をツイッターで知り合った方から情報提供を頂きました。

東北被災地現状2 -Eastern Japan Great Earthquake Disaster-


  ですが、やはり写真で見るのではなく、実際、自分の目で見たいという思いが強く、また仙台に行く機会も出来たことから、5/27(日)レンタカーを借りて実際見に、知りに行きました。

 1日だけで全てを見たとは思いませんが、やはり、写真にはない生々しさを感じることが出来ました。忘れてはいけない。風化させてはいけない。と。


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 地震による被害は、今でも垣間見ることが出来ます。

仙台駅を降りてすぐのビル。タイルが剥離している他、膨れ、割れなどの調査が行われており、左線のテープが蜘蛛の巣のように貼ってあり、ビル補修工事を行っていました。
また、道路を走っていると、いたる所で補修工事が行われており、少しずつではありますが、復興へと進んでる様子が伺えます。







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今回、ルートでも分かるように地震による被害ではなく、一番被害が大きかったと思われる津波による被害に焦点を当て見てきました。


仙台から東へ50km。石巻から北上し、気仙沼、岩手県陸前高田まで。片道150kmはさすがに疲れ、帰りは東北自動車道で。

 地域の特徴として、宮城県の海沿いは、海からすぐ小高い山が多い事が特徴だと思います。その為、山と山が狭い地域は、津波の水かさが増し、高く深い地域まで。開けている地域は山に挟まれている地域より比較的浅い事が見てとれました。山が海に対し、水平にあればそこが防波堤となる。と。

 と言っても、浅くても数km、深いと十数kmまで、また津波浸水地域という看板をみても、こんな所まで来たのか。という驚きは隠せませんでした。

※このテキストでは一般的に「瓦礫」の事を「残存物」と称しています。元々は建物や家具などであり、 生活の一部であった事。そこには確実に人がいたことからとご理解ください。

○石巻
延々と続く防波堤。今日の海は非常に穏やかでした。

電柱は復旧したと思われます(近くに集積場がある)が、防波堤より陸地は、何もないと言っていいと思います。この穏やかな海が。。。
その陸地側。時間が経ち、雑草はあるものの本当に何もありません。
数件、家屋が残っていましたが、住める状態ではなく、解体待ちという状態。

また、家の周りに木がある家も残存していましたが、やはりそこにポツンと家があるだけです。
どこまで津波の影響があったのか。ひとつの目安として水田があげられると思います。海水に浸かってしまった地域では稲は植えられません。逆を言うと、田植えを行っている水田は津波被災が少なかった、もしくは影響が無かったともいえると思います。
写真でよく見る残存物の山。イメージでは津波により流され1箇所に溜まったように見受けられますが、実際はその地域での残存物を一箇所に集積した。と言った方が正解だと思います。

入り口で交通整理をしている方に聞いた所、処理できているのは1割程度だとか。まだまだ時間はかかりそうです。

○南三陸・気仙沼
女川を過ぎ、国道46号線を走ります。小高い山が連続してあるのですが、津波浸水地域の看板が設置されており、こんな所まで!?と驚かされます。

そして、山を降りて景色が広がってくると。。。厳しい光景が広がっています。
 残存物を集積した山はこのように点在し、何箇所もあります。これらは時間が経てば当然、朽ちてきて粉末状となりうる可能性、また、車両などの錆び、塗料の剥がれが粉末化し広範囲に飛散する事も考えられます。

早期処理を願うばかりです。
車両を集積した場所。これもいたる所で見られます。ご存知と思いますが、車両に×印のついた車には中に人が乗っていた事を表しています。

というより地域がら車での生活がメインと思われ、×印ばっかりです。 キツイ。
少し小高い所に公園があったので、徒歩で上ってみました。様子が一望できます。が、言葉に詰まります。

ですが、道中、プレハブではありますが、コンビニやガソリンスタンド、バスを利用しての食堂や、これまたプレハブではありますが、商店街もあり、おばちゃん達のお喋りが聞こえました。一見、どこから手を付けていいか分からないような状態でも少しずつ、少しずつ。

○陸前高田(岩手県)
 今回、ここを一応の目的地としました。大学で図書館学講師をしている兄からそこの状況を聞いたり、写真を送ってもらったりし、実際、自分もこの目で見ようと思ったからです。
市立陸前高田文化会館
ここには市立図書館、博物館、体育館、公民館が隣接しており、近所には消防署もあります。

つまり、体育館が災害時の避難場所としてあり、各施設の利用者はそこに避難するとなっていたわけですが。。。

山積みとなった本の山。雨があったからかもしれませんが、未だ湿っていました。屋外とはいえ、屋根のある場所です。

知識の塊である本や子供達の読む絵本。これらをひとくくりにして「瓦礫」とは自分は言えません。


体育館内部。自動車が中にある事に津波の威力を実感します。

また、避難場所となっていたことから、バッグなど、個人的な物もありました。支柱を見ると、山方面はしっかりとしているので、やはり地震というより津波による影響と考えられます。

 図書館、博物館、公民館の利用者ならびに職員は、地震がきたあと、避難場所である体育館に避難した。これは「避難として正しい行動だった」わけで。そこに図書館の屋上を越え、体育館の2階までくるような津波が来た。

 この場所から海は見えません。目測でおおよそ2kmは離れていると思います。改めて津波の威力。怖さを認識しました。

 また、結果論、たら、ればとなってしまいますが、もし津波がもっと小さかっ「たら」 。。。と考えられずにはいられません。

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 今回、かなり長距離を走り、何度か休憩をとったのですが、周りを見ると、県内ナンバーの車はもちろん、自分と同じくレンタカーで見る方、県外から来ている方も見られました。

 「ひやかし」と言われればそうかもしれません。でも、それでも良いんじゃないかと自分は思います。

 何かは感じたと思います。見ること=知ることとは言いませんが、実際に自分の目で見ると、写真では分からない何かを知ることは出来たかと。それだけでも十分有意義であると思います。

 忘れてはいけない。時間はかかると思います。少しでもその背中を支え続けることこそ、一番の応援であり、支援ではないでしょうか。



 改めて、今回の震災での犠牲者の方々にご冥福をお祈り申し上げます。