2011年4月11日月曜日

精神的SMの世界

 というミクシのコミニティーに入ったんですが、っつか入ってから精神的SMの世界っていったいなんなん?なんて入る前に考えろやぁ!的にも捉えられるのですが、そんな世界観を1つ。SM=エロイ、変態というイメージを持つ人が多数派になると思いますが、皆の思うソレとはちと違うと思います。

 -S-サディズム
 加虐性欲(かぎゃくせいよく)ともいい、相手(動物も含む)に身体的または精神的に苦痛を与えることによって性的快感を味わったり、そのような行為を想像したりして性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプ

 -M-マゾヒズム
 肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプ

 いったいなんのこっちゃ分かりません。言わんとしてる事は分かります。が、それを精神的世界観にもってくとなると、まるで違ってきたりするんじゃないかと。

 上記に当てはめて、自分はどっちなん?って言われると、「どちらでもあり、どちらでもない」新語であるサドマゾヒズムと呼ばれるものになるんでしょうね。

 性的でも遊びでも話しとか、なんでもいいんですが2人以上で行為を行う時、

 ・自分も相手も楽しくない
 ・自分は楽しいけど相手は楽しくない
 ・自分は楽しくないけど相手は楽しい
 ・自分も相手も楽しい

 に別けられると思います。この楽しいが幸せだったり、気持ち良いだったりに置き換えることで性的行為だったり、会話だったり、いろいろな事に応用できると思います。


 さて、自分はどうなのか?と自問自答した時に、まず今の自分は、港を造らない(特定の恋人、帰る場所、環境等)で、海に浮かぶワインボトルのような存在が楽と考えています。

 誰かがそれを見つけ、その中に俺というものが存在し、話をしたり、遊んだりするんですが、その中に奇麗事に聞こえるかもしれませんが

 相手が楽しい思いになれば俺も楽しくなる

 っていうのがあり、その楽しいってのが幸せだったり、に置き換えることができると。

 性的行為に例えるのであれば、基本、自分が気持ちよければそれでいい。のであれば、相手なんて要らないわけで、自分は楽しいけど相手は楽しくない。ってトコは俺的には先に除外されます。

 だいたいの人には、ここダケは触られるとダメという弱点があって、それをあえて言わないでもらい自分で探す。そして見つけた暁には自分的にはヨッシャみたいな喜びがあり、そこを中心にと。これは、上記で言えば、S的思想なのかなと。

 まずその時点で、自分は楽しくないが、相手は楽しいはクリアしているとも言えます。そうなるとやっぱ自分も気持ちよくなりたいじゃないですか。俺にも弱点はあることだし。

 それで相手もそれを探しす行為(俺に気持ちよくなってほしい気持ち)になれば、俺も気持ちよくなり、最終的に自分も相手も楽しい(気持ち良い)というベストな結果が生まれます。

 そんな中で、エロだけじゃないですよ。話でも遊びでも、まず、相手に楽しい気持ちになって欲しい。満足感や気持ちよくなって欲しいってのはM的思想なんじゃないかと。とすると根本はMということになります。

 で、方法なんてのは、自分の根本の延長線上にすぎず、もし相手がM的行為により高揚感が出るのであればS的行為を。逆もしかり。よーはどっちでもいいんです。相手が楽しければ。気持ちよければ。

 それは普通の性的行為でも同じなんです。性的欲求により、ノーマルな性的行為では満足感が得られない。だからプレイという行為をする。それがどんなプレイ(人により趣向は違いますからね)であれ、俺的に言えば、根本はM的思想。その中から相手が喜ぶ、楽しいと思うことをするってことで。

 プレイ自体の経験自体そんなにない(あるんかい!ってつっこみは無しで)ですが、そんな感じです。S的女性も、M的女性も、どんとこーいって感じで。ただ、今はそこに固定ってのはできませんが。なにせワインボトルであり、皆には皆の港があるんだから。海にプカプカ浮かぶ俺に興味が沸いた方、是非?