2011年9月30日金曜日

はぴ バスデー 俺

 人間、何時死ぬか分からないと言いつつ、36回目の誕生日を迎えました。ひとまず36年も生きれた事に感謝。

 正月やクリスマスなどと同じく誕生日ってのも1年の中で大きなイベントではありますが、年が変わった所で、年を1つとったところで別に劇的に何かが変わるわけでもなく、特段いつもと変わらぬ思想と生活を送っているのですが。


 でも祝ってくれれば嬉しいですし、何もなくとも別に悲しくもなく、それが自分スタンスなのは何年も前から同じであって。


 しいて誕生日で言うのなら、免許の更新にいかなければ。。。というぐらいでしょうか。次の日病院、月曜日は会社の面談。来月の予定、以上。

ネボケが怖かったりもする。

 自分の症状の1つに交感神経異常という物があります。本来であれば副交感神経が働く=リラックスできる。ところが常に交感神経が活発な自分は、寝ている時ですら交感神経が働いてしまい、冬、寒くても、異常とも思えるぐらい、着ている服がビショビショになるほど寝汗をかいてしまうことも。


 眠りが浅い時、人は夢を見ます。楽しい夢、怖い夢。その日起きた出来事だったり、なんの脈絡もなかったりと、現実ではないのは当たり前で、突拍子もない夢とか見るのですが。


 昨日、休憩している最中に夢を見ました。どこかの誰かに侵攻されるのを守る夢。強い向かい風の中、国旗(日本ではなかった気がする)を持って、海から来る人達に抵抗するんですが、なにせ自分達が持っているのは国旗だけ。相手は銃やらなにやらを持っていて。


 ある将軍みたいな人が、ピストルで自分を狙っていた。そりゃ怖い。自分が死ぬ夢。というのは見ないというのが夢の前提なのですが、その銃弾は、しっかりと自分の眉間に穴を開けてくれました。


 死後の世界なんて見たこともないので、そこから先は、その誰やらが侵攻を続け、多くの人が収容所に入れられたようなエンドロールじみた説明の途中で起きたんです。普通なら、なんだ夢かぁ~で終わるトコなんですが、自分の場合、それが現実の続きとなってしまうことも。


 起きた瞬間、自分のいる場所が収容所だったら、どう思います?そりゃ不安にもなる。まさにその通りで自分が起きた瞬間、自分のいるめ場所が分からない。収容所の部屋の1つなんかな。なんて思いつつ覚醒してきてやっと自分の部屋だと認識できたんですが。


 当然ながらその後に待っていたのは、手が震えるほどのザワザワタイム。眠いには違いないのですが、いかにせん緊張しまくっているので、眠剤、安定剤を飲んでベッドに戻りました。が寝れず。効果無しで寝るのを諦めました。



 クスリのおかげでザワザワは解消されましたが、なんとも後味の悪い今4:35。さて、何をしようかな。

2011年9月28日水曜日

曖昧な情報

 とある番組で、過去に起きたUFO目撃事件は、本当にUFOだったのか、それとも国が言うように気象観測用気球だったのか。それを科学的に再現してみるという物をやっていました。


 1つは、有名なロズウェル事件。UFOが墜落し、軍が秘密裏に宇宙人の死体やUFOの残骸を回収。目撃者には口封じをしたというもの。残りは空軍パイロットが正体不明の飛行物を追ったというものでした。

 実際気球だったのか、目撃証言からの位置、高さ、方角、気球に光を当て、その高度から見える大きさ、光の反射角などを再現し、実際どう見えるか。という物でした。


 結論からすると「UFOに見えなくもないが科学的判断からすると軍の言っていることが正しい」というものでした。


 宇宙人の死体を回収したと目撃者は語りますが、その高度からの墜落となると、人間の形をしていればバラバラになってしまう。ダミー人形だと発表した軍。ダミー人形であれば当然バラバラにはならない。そして秘密にしたのは、軍の有人偵察用気球の実験だったため。そのような結論に達した訳で。


 空軍パイロットが見て追跡した。という話も気象観測用気球だったと説明していました。それを再現するため、当時の資料から集めた飛行経路により、パイロットの視点から見た空と、気球に太陽の方角からの光を当て、それを最新技術によりCG化、合成し、当時の状況を再現したと。

 実際、そのパイロットは追跡中に意識不明となり、墜落、死亡してしまったのですが、その理由として気球が2万メートル以上の高高度にあるとUFOのように見え、それを追跡した為、酸欠状態となり意識がなくなってしまった。とつじつまが合うんですね。


 しかしこれは再現であり、絶対的な確証にはならず、UFO説を唱える方はまた別の資料を見つけては反論します。それが一向に収まらないのは、どちらも決定的な証拠となりうるデータが無いということです。


 未知なる物には好奇心がつき、目撃証言にも尾ひれがついて肥大化し、それで話が大きくなったと。本当にUFOだったら50年もの間秘密にはできない。絶対にどこからか漏れるとも言われています。が、UFO信者はそれに耳を貸さない。似たような事象があれば全てUFOに結びつける。だから後を絶たない。


 「平行線な水掛け論」「確証の無い曖昧なデータ」


 現在、日本における放射能の問題もこの2つのキーワードが大きく影響していると思います。情報が錯綜し、かつその情報源も個人のものだったり、マスコミの物だったり。もうどれがどやらです。一体どれが正しいのか、何を信じていいのか分からない。これが一点


 もう1つ、放射能に非常に過敏になっている方、それに対し、デマだと言う方、どちらも自分に都合の良いデータを持ってきては、危険だ安全だと議論している。反対側の意見に耳を貸さず、自分の得た情報や知識で物を語る。これが一点。


 目に見えないこと、そして即座に結果が出ないことから上記2つのキーワードにより、ハタから見ればクダラナイ議論を延々としているのでしょう。


 結局は各々の判断と行動が後々の結果に出ると思います。が、個々のその判断、行動が時として混乱を及ぼすことも知っていなければと思います。東日本は危険だ。西へ逃げろ~~じゃあ東の人はもうダメかと?安全な食品なんてもうない。じゃあ宇宙食でも食ってろと?もしくは何も食うなと?


 食べ物や各地域の測定は国がやっていて、大丈夫ですよ。と発表している。やはりそこでも陰謀が、とか隠蔽が、とかどんだけだよ。と言う人も中にはいて。

 でも、結局の所、もし国がウソをついていていたり隠していて、実被害が出たのであれば、公害病のように集団訴訟という形を起こせるでしょう。逆にこれだけメディアのデータが錯綜していては、あの時デマ流しやがったな。と言うだけなのがオチになるでしょう。


 情報が曖昧であるのなら、ケツの拭ける国の情報に絞るのもいいと思います。ジャーナリストとかは。。。逃げるので。国が東北から出荷される食品については、測定し、安全って言ってるんだから、食えばいい。エリアについても、20km圏内は危険、30km以内は避難した方がいい。関東は基準内ですよと言っているのだから、住んでていいじゃん。と自分は判断しますけどね。


 それでも耳を貸さない人は自分の思想によって行動するでしょう。それも良いと思います。避難するもよし。自分が安全だと判断に値する物を食べていけばいい。と思います。


 いずれ結果は出ることですし、原因はどうであれ、いずれは皆死ぬ。早いか遅いかなんて誰も分からない。タバコと同じかと。統計では影響があるとされていても、吸わずに早死にする人もいれば、バカバカ吸っても長生きしてる人もいるってことです。




 何時確実な結果として出るのか分からない。10年先かもしれない。その10年先まで、日本という国が存在しているのか。そっちの方が問題だったりして。

2011年9月25日日曜日

得られない物

 後日雑記で書くべきだったのでしょうが。

 福島に行き、原発事故の影響と事の重大さを実感しました。テレビなんかウソばっかりじゃ。の言葉にマスコミがどのように事実を歪曲させているのかも、理解できました。

 いろいろなデータといろいろなソース。それらの中から数字がとれる(儲かる)話題を取り上げる。信憑性に関しては曖昧になっても仕方ないと思います。


 それと同時に、陥没した道路や、瓦が落ちた屋根、瓦礫を片付けた跡、土砂崩れなど、地震の被害も見ました。ですが、こればっかりは、どうしても想像の域を超えない。確実に想像以上の恐怖と思うのですが、もし、自分がそこにいたらどうなるか?と自問自答しても答えがでないんです。


 大きな地震は体験した事がありますが、非常に怖くて大黒柱にしがみついた幼い記憶がありますが、それ以上のものは、実際に体験した人でないと本当の怖さは、体験機などでも分からないのではないかと思います。


 だから地震の事に触れた時、友人が叱ってくれた事は十分理解できます。その人の気持ちになれないのに、その人の気持ちを無視して発信したのだから。ありがたいです。


 時折、なんで自分のいる場所は何も起きないんだ?体験してないから分からないんだから。。。なんて非常に不謹慎な事を思ったりも。かといって今住んでる東京に震災が「来て欲しい」なんて願わないし、望まない。体験しない方が良いのかもしれない。そんなジレンマ。


 友人の助言もあり、水、保存が効く食料などは常に常備しています。いざと言う時の為に。でも実際、本当に起きたら、自分がどうなるか分からない。でも、それを常に考えるのも一つの訓練だとも思う。

2011年9月22日木曜日

後日雑記


 福島に行き、テーマとなるものは書き終えましたが、雑記を少々。

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 郡山、福島市と、福島県の都市的場所を見ましたが、ネットで騒ぐほど過剰に神経質になっていませんでした。県民性なのかは分かりませんし、テレビ等で情報は得ていると思いますが、生活感としては普通。という印象でした。マスクを付けてる人もおらず。ただ、余震はこちらより強いのでいい加減にして欲しいと話していました。

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 別の地方、北海道、東北、中部、関西。九州はすみません。行ったことがありません。には、その地方独自のスタイルがあってそれを見るのが好きです。福島であれば、仙台から発信している流行というか。関東、東京と違う音楽だったり、服だったりを売っていたりするのでそれを見るのが好き。

 電車まで時間があったので、少しばかりそのようなお店を見ました。ホントはトイレに行きたかったのですが。

 違う。やはり東京で売っている服とは売れ線が違うのでしょう。当然東京で流行ってる服も置いてありますが、それとちょっと違っていたり。個性的な物、決してダサいという訳ではなく、あ、これカワイイな。と思う服も。

 東京で悩むのは、同じような服ばかり売っていて、コレ!というのがなかなか見つからないのですが、そこに仙台スタイルや他の地方の服を着れば、オリジナリティが出ていいと思います。セレクトショップさんもそのような所に目を向けてみては?と思います。

 街の人達もお洒落な人はお洒落です。そこ独自のスタイルで。それも好き。

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 友人の録画した動画がニコ動の政治部門で結構閲覧されているようです。帰路につく際、お互い「行ってほんと良かった」と言っていたように、本当に有意義な2泊3日でした。そしてその後思う。あとは個々がどうすべきなのか。どう行動するかが大切になるなと。

 友人はその前に大阪に行っていたのですが、メディアや団体などではなく、個々が個々で関心を持っていたと言っていました。福島も実際そんな感じで、街頭でなにかを叫ぶとかそんなことはないのですが、個々が前向きに行動しているのが印象深かったです。

 おばあちゃんの言っていた「テレビはウソばっかりじゃ」の言葉のようにマスコミ、そしてネットなどに溢れる少し過敏な方々、何かを言うのなら、何かを行動しなければならない。有言不実行が一番悪い。そして、そのベクトルをしっかりと見直さなければ。と思いました。

 福島の道すがら、自衛隊や警察への感謝の言葉が書かれた看板はありましたが、原発やめろ。とか、東電バッシングのような看板はありませんでした。そのような言り、もっと大切な事があり、それを行わなければならない事は当時者が一番分かっていて、誰もがそれを行っている。

 それを自分自身も含め考え、行動しなければ。と思いました。

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 そんな中でも、天災、地震や津波が原因でも、事故を起こし、多大な被害を出したのは確かなことであり、会社は、社員も含め、それをもっと重大に受け止めなければならないと思いました。前から書いていたように、対岸の火事、他人事すぎるんじゃね?と書いていましたが、自覚しているのは本当に少数であるのを実感。

 会社全てを見てないのに、なんでそんな事言えるの?根拠はちゃんとあって。今回のパックは東電関連会社で手配をお願いしたんです。危機的とも言えた8月が過ぎ、やっと落ち着いたので、旅行でも行くか。という人が多く、その関連会社も旅行の予約等でかなり忙しかったみたいです。

 関連会社なので、そこにお願いするのは、東電、ならびに関係会社となるのですが、そこの社員の方にちょっとだけ聞いてみました。これまた不躾な質問ではありますが。

 「旅行の予約など、自分は福島なんですが、他の皆さんはドコに行かれるんですかねぇ?」

 社員の方

 「福島に行く方も少々いらっしゃいますが、東北であれば青森、季節がら北海道や京都や大阪など関西が人気ですね」


 。。。。。。ヲイ


 会社では福島物産を買おうなんて、桃とか買っている方もいて、旅行などに行けない人もいると思います。が、旅行に行ける人達。行き先がちょっとばかり。。。いや多いに違うんじゃね?と思いました。そこにも自覚の無さが伺えます。


 もし出来ることなら。と福島の土を持ち帰り、全店所に置きたいなんて夢がありました。が、そんな力も無く(持って行ったところで配られるわけがないのを自分知っています)結果として出来なかったのですが、ほんと原子炉の瓦礫でも配ったろか。なんて過激な思いになったりもするほど。。。しませんけどね。

 でもそれぐらい、社員全員、事の重大さを自覚しなければならないと思いました。

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 帰り、レンタカーを返す際、ガソリンを入れたのですが、約20L。距離で言えば250~300kmは走っと思われます。帰り道は幹線だったので広い道だったのですが、助手席にいた友人の一言。

 「自分では大丈夫と思っていても、結構、フラッフラだよ」

 疲れって気を付けていても無意識に出るものですね。休憩をとりました。次の日、疲れで寝込むかと思いましたが、それほどでもなく。調子はやはり右肩上がりです。

2011年9月21日水曜日

 2日目、道中ではほとんど人に会わなかったんですが、車を止め、休憩をしていた時、1人おばあちゃんが犬を散歩していました。

 自分らを見つけ、むこうから挨拶。自分らも挨拶し、少し話しを聞くことができました。


 ひさびさに人に会ったのか分かりませんが、最初は笑顔だったんです。で、話の中で自分達は東京からきたこと。その理由を話したところ、笑顔がだんだん無くなってきました。


 多分、福島ナンバーではなく、他県のナンバーだったら、挨拶もしてこなかったでしょう。何故か。


 怪しいからです。


 それでもなんとか話をしようと、パトカー多いですねぇ。なんて話をふってみたんですが、おばあさん。

 「空き巣やらゴミ捨てる人が多いからねぇ~ひっきりなしだよ」


 刺さる言葉。これは地震も放射能も関係ない事であって、その為に警察がパトロールをしている。


 自分達は、テレビとか新聞とかいろんな事が書いてあってどれが本当なのか分からないんで実際に見来たんです。と福島に来た理由を言ったところ


 「テレビなんかはウソばっかりじゃ」


 ここに事実の全てが含まれていると思います。実際そこにいて、実際テレビなどを見て言う発言。非常に重い言葉。そしてまた、刺さる言葉。


 そう言い残して、足早に去っていきました。何故あのおばあちゃんは他の人と同様避難しなかったのか。避難するより、自分の家にいたいのでしょう。そして、愛犬の散歩をするのでしょう。


 たちあがれ!日本!とか、頑張れ!福島!なんて言葉が非常に薄く感じてしまう。気軽に言える言葉ではない。と思いました。そのおばあちゃんに、大変でしょうが、頑張ってください。なんて、遠くから来た余所者が果たして言えるでしょうか。少なくとも自分は言えません。


 がんばるのは、自分だ。と。何も話さずとも、微力でも、被災地の為に何かをする。これが大事なんだと。言葉だけなら誰でも言える。でもそれでは、被災者の腹は膨れない。


 福島から郡山に帰る道すがら、高速道路の補修をしている人達を見ました。土曜日、しかも雨が降っていました。安全に被災地に物を流通させる為、それを運ぶ人達。店には、自衛隊や警察への感謝の言葉が書かれた看板。

 全てそれは、繋がっていて、既にもう、皆が頑張っている。そこに薄っぺらな応援なんて不必要だと思いました。


 そして、それを見て、また福島が好きになり、収束し、地元産のお米やお肉が食べられるようになったらまた来よう。どんなに高くても、仙台、米沢、福島牛を食おうぜ。と2人話した帰路。

2011年9月20日火曜日

現実と誇り

 今回の旅で、旅行会社にいろいろ話を聞きながら予定や宿を決めたのですが、旅行会社の方に聞いたところ、大雑把にいうと東北新幹線の線路から太平洋側、浜通り方面の宿のほとんどは、復興の為の作業員さん滞在場所として、ほとんどのホテル、旅館などは営業していない。とのことでした。

 あと、希望のひとつとして、パンフレットの写真にあるような、地元産の食事は出るのでしょうか?と訪ねたところ、その確証は難しいとのこと。まぁ仕方ないといえばそうなんですが。

 結構前に予約したこともあって、宿は無事確保。というか、「観光客」という点においては、やはり少ないということ。復興支援パックなどもありましたが、実際の所、普段より予約は少ないとのことでした。悲しい話ですが、やはりそれも現実の1つかと。

 一日目、旅館での食事。ナベはビーフシチューが入っていました。まだ新米の季節ではないし、米ソムリエでもないので、これはドコ産?と聞かれても分かりません。

 無難な料理。といえば聞こえはいいですが、本来であれば、もっと地元色の強い食事なのかな。と思いました。要予約で桜肉(馬肉の産地でもあるんですね)の特別料理などもありましたが、ちょっと。。。高かった。。


 平日というのもあってか、食事をとっているのはテーブルの数の1/3程度でした。それが多いのか少ないのかは分かりません。が、新幹線はほぼ満席でしたが、郡山で降りる方はボランティアの方達(ヘルメットを持参していた為)乗っている数に比べると少ないな。。。というのが印象的でした。

 初日、検問の所にあったガイガーカウンターの下に花を見つけました。周りに誰もいない現実。日々累積する放射線。その中でなにを思うのだろう。

 そこに咲いたのは自分の意思ではないけれど、何もいわず、キレイな色の花を咲かせている。まるで何事もないように。



 2日目、先日書いたようなルートで福島市に到着しました。宿をとっていなかったので、駅の観光案内所にて手配。その際、案内のお姉さんに、地元の人達が行く美味しいお店を教えて欲しい。と訪ねました。

 駅より一本通りを通過したレンガの道一帯に飲み屋などがあるとのこと。地元産の美味しい物食べようぜ。ならちょっと高くても焼肉とかいいよね。なんて事前話していたので、焼肉屋さんを紹介して頂きました。



 ホテルでしばし休憩をとり、頃合になったので、地図を片手にそのエリアへ。なるほど。確かにチェーン店ではなく、自営の飲食店が軒を連ねます。

 紹介して頂いた焼肉屋さんに到着。お洒落な感じのするっていうか高そうなお店でした。そして頼んだお肉が上の写真。うわメチャクチャうまそう。ロース、バラ肉カルビは刺身でも食べられるので、ちょっと炙った程度でお召し上がりください。というほど、新鮮なお肉を提供する店でした。内臓刺身盛りなんてのもあって、え、レバ刺以外にあるんだ。なんて思い注文。湯通ししてあったものの、これまた美味でした。


 お肉の味は。。。というと、本当に美味しく、うわ口の中で溶けるわ~なんて感想。やっぱ違うね。なんて話をしていたんです。ですが。。。


 メニューを見ると、値段の所にシールが貼ってありました。一皿2000円。でも、よくよく透かして見ると、2の後ろに5という数字。どの物にもそのシールは貼っており、全てが半額以下の値段になっていました。

 肉離れがいなめない所、仕方ないのか。。。と思っていた矢先、お店の人が席を替わって欲しいとの要望。別にかまいません。と席を移動しました。そこでその場のTPOに合わない事を承知で、馬肉の産地でありながら、熊本産の馬肉をメニューに出しており薄々は。。。いや見当はついていたのですがあえて質問しました。


 「このお肉、大変美味しいのですが、仙台牛や米沢、福島牛なのですか?」


 友人は黙っていました。そこは聞くところではないこと。その辺は自分も分かっています。でも、1/1000の期待と、確認という意味で。店員さんは言いました。


 「当店は、冷凍のお肉は提供いたしません。全て冷蔵で仕入れしご提供しております」

 「お客様には、やはり安全・安心の気持ちで美味しく召し上がっていただく為、現在は福岡牛を取り寄せております」

 「本来であれば地元産の牛肉を使いたいのですが、やはり安心して食べて頂きたいのです」



 店員さんは笑顔でそう答えていました。何度も聞かれた事でしょう。が、胸の中では奥歯をかみ締めていたと思います。近くに自慢の牛肉がありながら、それを提供できない悔しさ。必ずあると思います。


 生で食べれるほど新鮮、かつ冷蔵で福岡から仕入れるとすると、やはり空輸なんだろうな。その仕入れにかかるコストを考えれば、近くの方が安くすむのに、仕入れコストが高くなっているのにメニューでは値段を半額以下にしている。


 そこに、福島で経営している焼肉屋としての「誇り」を感じました。いつか絶対に地元産の牛肉を出すんだ。という決意。利益が下がっても経営し続ける事。その前向きな姿勢。

 食べ終わった後、その界隈を一周するように歩いて帰りました。金曜日なのに人は少なく見えました。が、お店に入っている客の笑顔、お店の人の顔。そこには悲観的ではなく、前向きな顔がありました。


 たらふく食べた後、2人の共通な感想。美味しかったね。ではなく




 もう、福島、大好き。

2011年9月19日月曜日

測定方法の違い

 例えば「錆び」鉄でも酸素で化学変化が起こり、鉄が酸化鉄となる。そこに第三の物質、水、塩、それらが入ると酸化する速さが異なってくる。一般的に考えると、潮風のある海側は塩の為別の化学変化となり、鉄の酸化を促進する。これらは皆さんご承知であると思います。


 ただ、A地点、B地点での錆びの速さについて比較する場合、同じ箇所での酸化防止の塗料を比較する場合は、データを集めなければいけません。

 そのデータは、同じ条件下(環境、気候、測定方法など)でないと、データに誤差が生まれ、比較の対象とならなくなってしまいます。ですので、このような試験を行う場合、各塗料メーカーが独自で試験を行っても各メーカーのデータの比較が出来ない為、日本塗料協会が定めた測定方法により、暴露試験を行います。

 そうすれば、皆がみな同じ条件下の元でのデータとなり、そこで比較することができます。それを公にするかは別ですが。企業秘密とかもありますしね。


 福島では、放射能という形でデータを収集します。東電はもちろんのこと、警察、自衛隊、文部科学省、各自治体、個人での測定など多く測定していると思います。


 これは、警察が検問を行っていた時にあった測定器具です。高さ1.5m程度。単位はmSvであり、その位置での累積放射線量を測っていました。

 ビニールテープで防水加工していました。








 その横には、今日、計測した値と昨日計測した値が明記してありました。前日比、+0.02mSv。このままの線量ですと、年間の累積は7.2mSv。3年で20mSvとなり、高い数値となることは明白だと思います。

 それを長期的に計測すれば、日毎の線量が分かり、その増減を折れ線グラフなどで示すことができますね。





 こちらは文部科学省の同じく累積線量を計測していました。鍵がついており、中(現在の線量、測定機器など)は見ることが出来ませんでした。

 高さは1m程度で、隙間はほとんどなく、箱内の温度は高いと思われます。まぁ放射線は木などを通過する為、測定自体に問題があるとは思いません。こちらも日々の計測により累積値などのデータとなるでしょう。


 このような形で、各市町村、個別グループ、個人でも測定しており、各個でのデータの評価は出来ると思います。

 しかし、測定方法、測定位置、機器等が別の物であれば、それらを統合し、1つのデータとして比較、検証することは前記の通り困難だと思います。数字が同じでも、測定環境が違えば比較データとして成立たない訳ですね。


 そしてどの測定方法が正しいのか、それも各個で違う為、不明瞭な点もあると思います。例えば機器を亜鉛メッキ処理された街灯等に設置すれば、少なからずそちらからの放射線を遮断してしまう可能性があるとも言えるわけです。


 これらを個々で発表すれば、当然ながら違う値が出てくる可能性があり、どれを信じるに値するデータとなるのか、それも分からないところです。あと、多く計測しているのにそれらが統合できないのであれば非常にもったいない気がします。せっかくの大量のデータがバラバラ。全体でみれば100のデータが分割されてしまいます。


 測定方法、測定機器の統一により、データの統合、各地域での比較等が効率的かつ有効なデータとして取り扱えるのに。なんとももったいないな。と思いました。


 今回、自分達が測定器具を持ってこなかったのはその為でもあります。単発での測定では意味が無いこと、その測定機器の精度、更正されているか。など自分達で比較出来ないデータを測っても意味が無いからです。それらを踏まえ、市町村、自治体を管理している文部科学省は、それらの指針を出すべきだと思いました。

2011年9月18日日曜日

友人が撮影して頂いた動画。

 実際の声、実際の風景を動画で見て頂ければ現実味が出てくると思います。



 【福島県】負け犬と友人が行ってみた①【半径20キロに向かう】




 【福島県】負け犬と友人が行ってみた②【半径20キロに向かう】




 【福島県】負け犬と友人が行ってみた③【半径20キロに向かう】


福島の危険エリア付近の現実

※このテキストはテーマにそって書きたいと思いますので、2日間の中で時系列が前後している箇所がありますのでご了承ください。

 今日、福島から帰ってきました。友人と行ったのですが、最終日は疲れてしまったこと。見れる範囲で見ることが出来たことから、最終日はほぼ直帰という形をとったので1日目、2日目に出来る限り見れるものを見ました。

 全てを見たわけではないので、主観が入るかもしれません。が極力、率直に見た現実を書きたいと思います。

 郡山駅到着。1時間30分程度で行ける場所です。福島には、日本海側、中央(中通り)、太平洋側(浜通り)と大きく3つに縦に山で分かれています。郡山、福島市は中通りに位置しています。

 駅を出て、レンタカーを借りるまで周囲を見ていましたが落ち着きを取り戻していて、普通に暮らしている感がありました。



 国道288号線を太平洋側に走るにしたがって、地震が残した傷跡が見えてきました。この写真は、この先に鉄塔があり、鉄塔付近の補修をしたものと考えられます。砂の部分は崩れた場所。その上の伐採は補修に索道を使ったと想われます。





 広いエリアで伐採されていました。大規模な崩落の可能性があり、その対策を行っているかと思います。山だけではなく、家の屋根、瓦屋根はほとんどが損傷しており、中には建物が真っ二つになっている物もありました。これらを撮影している道路も、多数の箇所で陥没、大きなヒビが確認できました。主要道は補修されているものの、まだ手付かずの箇所もありました。こちらも時間がかかりそうです。



 国道288号線。を行ける所まで行った所に封鎖線がありました。20kmエリアから6kmほど手前の場所で行っており、通る車両のナンバープレートの称号等を行っていました。パトカーに乗っている人は防護服。20~26km間で行き来する方はマスクをしていました。

 警察の車を見た所、長野県警の方でした。聞いた所、沖縄以外の警察の方は全員見たそうです。約1ヶ月で交代となるようですがお疲れ様です。


 道中、東に行く道には全て写真のような看板とカラーコーンがおいてありました。抜ける方法はありますが(山に入るなど)不正に入るつもりもないのでここまで。と引き返すことに。ここに測定器がありましたがこれはまた別途書きたいと思います。

 本来であればのどかな田園風景だったはずの場所。ほぼ全ての田畑は荒地となっていました。もう1つ西の場所では普通に水田があり、稲刈りを待つ段階まで育っていて、本当に山一つ超えた場所では、何も手を付けていない状況。

 このギャップより更に感じたのは、本当に人がいない。普段であれば下校する子供達や犬の散歩をしている人達などが、子供は皆無。ほとんどの人が避難しているようです。生活感は残っていて、洗濯物が干してあるのに、誰もいない不自然さ。非常に印象深かったです。

 大きな酪農家があったので、もしかしたら。と寄ってみましたが、誰もいませんでした。誰も、人も、牛かとおもわれますが、畜産物も。

 そこで飼われていたと思われる犬がいました。鎖は外され、自由に動けるのですが、主がいなくても未だ番犬としてそこにいて、役目を果たしている。

 ここの牧場の方の心境は、言葉にできません。が、自分の想像以上の感情があったと思います。

 暗くなったので宿に帰ることに。街灯は光れど、この暗さになっても民家に光がついている家はほとんどありませんでした。ここに残っている(失礼な書き方と思います)理由も様々だと思いますが、圧倒的に真っ暗な家が多かった、というかほとんど真っ暗でした。当然、商店、自販機なども電源を切り、シャッターを閉め。屋根は補修の最中であったり。

なんとも言い切れない気持ち。少しナーバスな感じになりました。



 この写真だけではなく、先日書いた地図の通り、結構長い距離を走りましたが、ほぼこのような状態でした。

 一山西の田村市、川俣町に行くと、子供達もいて、地震の跡はあるものの、生活感があり、少しホッ。でも一山東の光景は、忘れられるものではありません。

2011年9月16日金曜日

福島県にいます


 ただいま、福島県福島市におります。予約したホテルに幸運にもパソコンがあったので途中経過だけでもと思い。
 目的はツイッターやらいろいろなニュース、国の発表も含めたマスコミの報道、それらが皆バラバラなこと。そして一番の目的はやはり自分達の会社が起こした火事である放射能の影響をリアルで見たい。というのが目的です。

 9/15に出発し、郡山に到着。チェックインするまで時間があったので、原発に直結する国道288号線を行けるとこまで。実際途中の検問でココ以上先には行けない所まで行きました。(オレンジの線)

 そして今日は、農業や酪農を営んでいる方たちに話が聞ければと思い、ギリギリの所をひた走りました。実際、声が聞けたのは一人だけでしたが。(赤線)

 この2日で、いろいろな物、事実、リアルを見てきました。詳しいことはまた追って書きたいと思います。「リアル」を見てきました。

2011年9月14日水曜日

二の舞

 同じテツは踏まない。など同じあやまちを繰り返さない言葉はいろいろあると思います。

 人間誰でもミスはする。そのミスはなにか。それはミスではなく、決断し、行動した結果かもしれない。それはらは原因を考えなければ、はっきりと反省する事、繰り返さない事は難しいと思います。


 決断し行動した結果として、裏目に出たことを「ミス」と捉えていいのか。その決断をする前に「ミス」は無かったのか。そもそも「ミス」って何?


 1+1=1

 と本当は2だと分かっていても書いてしまう。間違い。これはミス。確認不足。一般的常識を逸した行動。これらもミスと言えるだろう。行動そのものがミス。


 リスク管理の中で、リターンとしてマイナスの結果になってしまった。結果としてはミスであるが、問題なのはマイナスになった結果ではなく、そのリスク管理にあるのではないか。


 何故、マイナスになってしまった?どこが?リスク管理に漏れがあるとするのなら、そのリスクに対する知識不足となる。それを補えばプラスになっていたのか?結果としてまたマイナスになるかも知れないが、これは過程としては、同じテツではない。まだ足りなかったという結論となるのかもしれない。


 感情論となると、もっと複雑になる。人々はそれぞれの考え、思いを持ち、正解でもあり不正解でもあるのだから。


 正解、不正解の無い、思想的な部分になると、ミスという概念が崩れ始める。誰もが怒らせたくて何かを言う訳ではなく、なにかに引っかかった部分があるから、そこで感情が生まれるのだろう。


 じゃあ黙っているのが正解なのか?と問われるとそれも違うと思う。楽には違いないが、そこに自我、自分という物はなくなってしまう。そこにも正解、不正解はない。


 言葉は時として簡単に人を殺す。だから話す時も言葉を選ぶ。話さない。という選択肢もある。でも結果として選んだ言葉が明らかに間違っていた。それを自覚できたのなら、そこに反省が生まれる。それはその単語だけではない。あらゆる言葉においてその自覚は活きてくる。

 それが完全に出来るか?と言われると補償は出来ないが、それで消極的になるのではなく、反省し、身に付けた事がある。それを活かせばいい。


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 同じ二の舞にももう1つあって、誰かが体験したこと、その経緯、結果を知り、別の人が、そうならないよう知識として持ち、助言する。これは自分の欲求からくるものであるから、受け止め方は人それぞれとなってしまうからまた難しいが。


 人はそれぞれがそれぞれの生き方をしてきたから、同じ助言をしても、時として結果が違う場合がある。理屈で言える物であるのなら、誰に言っても同じになるだろうが、感情となると全く別の問題となって。それを黙って見過ごすか。二の舞になって欲しくないよう何かを言うか。

 これも、千差万別であるのなら千差万別の言葉の選び方となる。難しいことだ。時には傷つけてしまうこともあるかもしれない。良かれと思っても。


 でも、それを繰り返す。人と接するというのはその繰り返しではないかとも思う。反省と選択と判断の繰り返しで、深くもなり浅くもなる。


 深さ、浅さ、時には一発でダメになってしまうかもしれない。でもそれも結果にすぎず、その結果を活かすも殺すも自分次第。自分があって、人がいて、人があって自分がある。なんか禅問答のようにになってしまった。死ぬまで考えるテーマなのかもしれない。と思います。

2011年9月10日土曜日

会話

 眠剤を飲んで横になっても、フとしてた事で考えたりして眠れないことは、別に普通にあるんですが、ネガな思いのループで眠れないんじゃなくて、思い。的な事から考えが膨らんでいく。ループじゃなく。そんな時もあります。


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 自分はスロットが好きです。趣味と言ってもいいと思います。公営であってもギャンブルである以上、良い印象を持つ人は少ないと思います。かつ、ヒマだから。とか、1人になりたいから。とか、逃げ道にすることはたまのたまにありますが、基本好きで行ってると。行きたくて行ってると。


 金もねーのに。もっと使うべき所がある。それをも承知の上です。そこは今回置いといて欲しいです。別の話ですから。


 店に入った時、ホールは町、台は人、打ってる人はその台と戯れている。とまず見ます。町も何度も行けば地理や雰囲気が分かるように、店自体の雰囲気やドコに力を入れているかが分かります。

 台は人。と言いましたが、何台もあれば、まぁ皆同じ顔なんですが、店のクセから判断し、昨日、一昨日と暴れてるなぁと思えば、今日は大人しいであろう。逆に連日元気が無い場合、今日は上げてくんじゃね?とそれで台を選択するんですが。


 そこから、自分は台と会話を始めます。変?かもしれません。でも台との会話は必要で、何故か、その台が今日、元気か、大人しいのか判断しなくてはならないから。

 その会話をするには、台の性格を知らなければなりません。ようは内部システム、どんな挙動が高設定なのか?どんな確率なのか?外から判断できるのか?等の細かい情報が無ければ会話は成立しないんです。元気?と聞いても答えはしません。自分の持つ情報から打ち始め、そこから会話が始まります。


 例えば子役の出現率に設定差があれば、その出方。ARTに設定差があれば、それに入れなくては。入りやすさにも設定差があれば、それも判断材料の1つになるわけで。ほーこれで入るか。とか、んーあんま役出ないねぇ~なんて心で会話しながら台を見切ったりしてるんですね。


 まぁ運が絡んでくる以上、明らかに高設定の挙動を示しても負ける時は負けてしまいます。自分の持つ今日の運。これを見極めるのも必要なことで。ただ、自分の運が悪かったけど、その台は高設定。じゃあ明日はどうなるか。これも会話の1つになるわけで。もともと運が良いとは言えないので、その会話、判断は迅速にします。これらも、いろいろな情報が絡んできて、その中には根拠があるんですね。


 じゃあこれを人であったらどうか。当然、相手の性格だったり、行動、思い等の情報を知って初めて深い会話が出来ると思います。その会話の中で新たな情報を得たり、それに対して発する言葉も理由、根拠があるわけで。クダラナイ事は理由もなにもないんですが、友人と同様、情報は武器だと思っています。

 武器と言うと戦い的イメージがありますが、砂漠に行く時の準備でも、災害に対する対策でも良いんです。それらが多いほど、相手の事を理解できたり、根拠のある行動・発言が出来るってなもんです。何も知らなければ、それで終わり。説得力も無くなります。1%しかしらない人と70%知ってる人では全然違うって話です。


 情報っていうとどこかデジタル的なイメージもありますが、対・人となると、その人を完全に理解できることが出来ない以上、アナログ的な部分の方が多いと思います。だって人間だもの。根拠のない行動だったり、衝動だったり。いろいろありますから。次の一手が正解でも、勝ちは別。それと同じです。



 だから人って難しい。そして、面白い。喜怒哀楽があって、会話の中で、楽しい方向に行ければいいなと。



 思いを書いて満足したら眠くなってきました。複雑なんだけと、しごく単純なんです。人間って。

2011年9月8日木曜日

俺は別に天使じゃない。

 別に良いコトもしてないけど、カッコワルイ事もしてない。とわ思ってますが、なにせバカな分、バカな事はしてしまったりします。

 福島行き(フクシマって書く。。。うーん)のチケットが届きました。何時でも出発できます。が、15日なんですけどね。届いたのが、午前中のダラ~タイムだったのがいけなかった。何故か届く前に洗濯機のスイッチを入れて、宅急便にサインして確認。

 了解~と机に起きそのままゴロン。ハッとしたら洗濯が終わってたんで、干したんですが、台風の影響で風が強く、まぁ雨は降らなかったのですが、風で電車の切符がどこかへ。。。焦っていろいろ探したんですが、どうにも無いんで、とりあえず、家にあるのは確かなんだから、明日もっかい探そうと、寝たんです。


 妖精さんっているもんですね。イタズラもすれば助けもしてくれる。朝起きて、フラフラ~とソファーに倒れそうになっておっと。。。と思ったら切符踏んでました。ソファーの下に飛んでったんですね。さすが妖精さん。ってかその前にちゃんとしまえ。という話ですが。

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 話変わって、俺、ボランティアってのが、その言葉が、あまり好きではありません。なんとなく偽善っぽく聞こえるから。募金も同じで、どんなに募金したとしても全額がそこに行くわけではなく、しかもどんな使い方をしているのか分からないって部分もありで。します。でもそこに自分では良い事をした~なんて実感はあまりないのが感想でして。


 それでも、知っている人が、困っている人を見るとほおってはいけない性格でして。矛盾はしてますが、別にそこに見返りとかなんて望んでなくて。。。いやあるか。自分の心の満足。

 相手が楽になれば、楽しく生きれれば、接している自分も楽しくなる。ただ、それだけなんですけどね。でも上っ面な慰めや無責任な事は言えません。馴れ合いがキライで、ただ、慰めてほしかったら、ヨソ当たってくれ。と。


 だから問題を解決させるために、原因を知りたくなる。原因を知るためには、それなりに言葉を交じあわせる必要があって。会話でも、その重要度によっていろいろ変わってきたりします。それは真剣です。遊び半分で足を突っ込むようなことはしたくありません。

 軽い事ならメールなどでも良いのですが、もっと大きかったら電話で、更に大きかったらフェイス トゥ フェイスで、相手の顔を見ながら話したい。文字だけでは限界があり、言葉だけでも限界があるのを知ってるから。


 今度、電話していい?今度、会って話しない?というのにも自分で想うところの重要性と根拠があって提案したりしてるってことです。が。


 タイトルの通り、真剣であっても、別にそれを押し付ける気もない自分がいるのも確か。おせっかいや、ましてや自分第一な俺。手は差し伸べても、その手をとるかとらないかは相手であり、自分から引っ張ろうなんて気持ちは別に無いんです。それで相手が溺れてしまっても、溺れるのは自分ではない。


 だって、本当の相手の気持ちなんて完全に分からないですから。手をとらないにしても、とらないなんらかの理由があるのでしょう。手を差し伸べるのは自分のエゴ。だからとらないにしても、それはそれで、別にいいんです。それで心は痛まないですし、自分に害があるわけではない。


 自分は善人でも聖人でも天使でもなんでもないんです。自分は自分であってそれ以外のなにものでもないんです。というお話。



 でも、やっぱ心配しちゃう俺がいて、これは言いたい。俺はココにいて、俺は俺で、何時でも、手は差し伸べてるよ。と。

2011年9月4日日曜日

基地の行動?

 今日、病院にいきました。

 モノレールとか、電車とかで疲れてしまい、頭痛もあったので、病院についてレキソタンを飲む。


 横になりたいと思い、待合のソファーじゃ人が来るし、そもそも他の人に迷惑だな。と思い廊下の隅で横になっていたら看護士さんが、そこは困ると。


 でも、そこの待合ソファーで横になるのも迷惑でしょ?と質問したら、そうだねぇ。と言われました。縦じゃダメなの?と聞かれたので、横になりたいんです。と。


 看護士さんが困ってしまったので、じゃあ、外行ってますね。と言って、送迎バスに気付くよう、病院の入り口で横になってたら、やはり看護士さんに通報されて、飛んできた。


 横になりたいだけなのに。別にそこはドコでもいいんだけど。。。。


 横になりたいという欲求をそのまま実行してるので、心と頭はリンクしてるかと。ただ、極端すぎたかな。。と思いますが、それだけ横になりたかったのです。

2011年9月1日木曜日

少しは自分というものを分かれ

 リアルでもネットでも、自分が何かする時、何か会話する時には必ずと言っていいほど、実は根拠と計算が入っていまして。ってか時にそんな考えもなく、ダダ漏れのように言葉を発したり、壊れたかのような行動をとる時もありますが、分かる人は分かると思います。違いの分かるヲトコ。YOU。


 そんな会話の中で、無茶な事も言ったりもするんですが、感情で話しているのではなく、質問であればその理由を。こちらから発言するのであれば、その対応の先の先ぐらいまで計算して話しているんですね。


 自分の思想がオカシイのかも知れません。が、筋が通らない事をヨシとしない性格な自分は、先を読んでいる分、それ違うだろ。って返答に対して誰であろうと噛み付いたり。



 なんでそんな事が言えるのか。ここからは個々の判断もあると思いますので、第三者の視点で書こうかと。


 前回の産業医との面談で、今、自分がモヤモヤしている最大の原因である福島原発を一目でいいから見たい。リアルを見ることでスッキリするんです。と話したところ、良いんじゃないんですか?それでスッキリして、復帰への目標することで、療養にも役立つと思います。と助言を頂きました。それが8/12の出来事。


 事故現場を見る。言うのは簡単ですが、いろいろな課題が浮き彫りになるのはいわずものがな。わざわざ「危険」な所に裸一貫で行った所で門前払いを食らうのは分かりきってます。


 なのでその為の根回し、いわゆる外堀を埋めるところからすぐに始めました。上司に直接言っても、バッサリだな。。。と思い、上司に話す為の根回しから。会社員側の組織。労組の人を引き込もうと。丁度用事もあったことから、その人にお願いしました。支部、総支部、本部にも話して、こんな人が療養の為に見学したいと言っているんだけど。だけでもいいんで。と。先読み済み。


 で、福島に行く計画がだんだん決まってきてきたので、ちょいと突付いてみました。その人からもお願いがあったので、何度か話をする機会があったのですが、その人から原発見学の事が何も。”やっばり”なんも言ってねぇなこりゃ。と。でも黙って、前お願いした現場見学の事、お願いしますね。とだけ。


 9/15に福島に行くことが決定し、今度はこちらから。自分がお願いしてから3週間以上経っているので、YES,NOの解答は出るでしょう。そしたら、

「いや~見るのは難しいと”思うよ”」


 いや貴方の意見は聞いてなく、自分のお願い、してくれたんですか?してないでしょ?8月上旬。分かったって言いましたよね。まずここに言ってる事とやってる事が違うことがわかります。


 ちょっときつめに言いました。これは自分の復帰にむけた目的でもあり、いわば療養の1つなんですよ。難しいのは分かっています。被爆のリスクもあるでしょう。それを知っててお願いしてるんです。別にボランティアに参加するとかではなく、一目見て、スッキリしたい。それだけなんですよ。

 まだ出発まで2週間あります。ホントにちゃんと話してください。貴方は支社長とも対等に話せる権利を持ってます。それを言うだけでも結構です。ってか言ってください。と。了解した。と返答をもらいました。


 その当日、計算通りというか、予測通りというか、上司から電話がかかってきました。「いやぁ~支部長が困っちゃっててさぁ」いや困るのは貴方ではないんです。ってか困るにも原因があって、また筋を通せない理由。これ、言わなきゃいけないの?話題にしちゃって本当にいいの?との葛藤もあると思います。それで、窓口である自分の上司に泣きついたと。


 ここで、正式にお願いをしました。内容は伝わっているので話は簡単です。結論とすれば、危険エリアに入る事は国の許可が必要であり、その許可もただ見たいという理由ではおりず、同じ思いを持つ社員ですら入れないこと。自分も別にゲリラのように入ることはしたくなく、国がエリア内に入れる人は、入る為のよほどの理由(避難者の一時帰宅、登録した作業員等)でない限り許可は下りない。

 よって、現状では、事故現場20km圏内は入れない。という結論。


 やっと筋の通った解答がきました。入れない、現状を見れば、見れないというのも、想定内、計算内であって、入れない。という答えでも、あやふやな状態よりスッキリするものです。無理矢理にでもなんて考えてはいませんでしたので。


 要望に必ず答えろなんて、誰も思っちゃいないんです。やるかやらないか。イエスかノーか。確固たる根拠での解答を求めてるんです。これだけ長い間イチャモンも言ってきて、極端な行動もしたのに、もう少し、自分っていうものを分かって欲しいものです。ヤツには中途半端な事は言えないと。理系ですよ?理屈があって、結果がある。理屈がなければ理屈を求めるのも当たり前でしょう。空気なんて読みませんよ。


 自分が投げかけた時、いや俺じゃそんな事言えないよ。でもその人の本音であって、意思表示として理屈があり、筋は通ってます。でも立場上、言えないというのが言えないのであれば、その責務において言うしかないんです。言えないんであれば、その席にいる資格が無いと言えるでしょう。



 これは1つの縮図であって、会社の経営層、政府など、言えない、分からない、知らないと言えない人達が適当な事を言って、結果あやふや、中途半端な発言をしたもんだから批判される。バッシングされる。当然かと。発言に対する責任がとれてないんですもの。


 ひとまず、福島に行くのは決定しているので美味しい物たくさん食べて、地元にお金落として、見える範囲のリアルを見ようと思います。




 余談ですが、10月に5,000人規模の大規模な補償人員増強の人事がある事を知っていて、それが9月に前倒ししたニュースを見て、初めてその事を言ったんです。いわゆる裏事情だったので、正式発表後の方がいいかと思って。

 また裏事情で、5,000人と発表したにも関わらず、人員不足で関係会社の方を逆出向させ、人員を埋めようとした所、それも追いつかず、9月の増強が厳しい現状にある。というジャブを上司に出した所、漫画のような返答。

「な、なぜそれを。。。!?」

 的な解答が返ってきました。物申す為には情報という武器を持たなきゃ、返り討ちにあるのは当然でしょ。アンテナ高くしてますよそりゃ。


 その対策も聞いたんですが、その内容はともかくとして、9月に増強する。とプレス発表した事に対して、調整厳しく、無理だったので10月にします。という事が言えない会社。言わなかったら、またウソをついたことになりますよ。と。それが信頼を落として批判を増やす事が分からないのでしょうかねぇ。。。経営層は皆、





良い大学を出てるはずなのに