2011年7月16日土曜日

禅ねぇ

正亦邪、邪亦正、做我所做、只此。神亦心、心亦神、若問神、先問心


「正もまた邪であり、邪もまた正となる、すべきものをし、ただそれだけ(己以外のものに左右されたりもなければ、己にだけ価値がある)。(神に願うとき)神もまた心であり、心もまた神となる、神に委ねる(きく)前に、先に己の心にきこう(委ねよう)」 


 という禅?での言葉を頂戴しました。それをそのまま捉えれば、まず自分のココロに聞いてみな。となる訳ですが、シェイクスピアのように、その言葉を深く捉えようとすると、どんどん難解になって行く的な。

 まるで考えれば考えるほど迷路にはまっていくような、文字の美しきパズルですね。縛りで言えば亀甲縛りのようですね。もがけばもがくほど。。。ズレました。



 その時の状況、自分のいる立場、環境、考え、どれが正しいのか、何が邪なのか。まずぁ自分の目で見て考え決めろ。話はそっからだ。と自分は捕らえました。単純だねと。それをいろいろな物事に応用可能な言葉なのだろうと。



 漢文だから、なんか難しそうだから翻訳ヨロったけど、ひらがなのある日本じゃ、詩というもので昔から表現されてますね。


 っつか、鋼の錬金術士の「一は全 全は一」の方が俺的には難解でした。文字が少なければそれだけ多く意味も出てくるわけで。


 このような抽象的文字パズルは、生きてるうちに答えを見出せばそれが「悟り」となるのでしょうが、答えなんていくつもあって、結局は死んでもどれが正解なのかは皆それぞれだったりするわけで。

 俺的にはそれでいいと思います。どんな難しいのも、一番最初のインスピレーションが自分に一番近い答えだったりするものです。


 一文字から、文字であり、言葉であり、意味があったりなかったり。なんか毎年どっかの寺でその年を一文字で表すなんてのも、その通りだね。と思う人もちげーだろと思う人もいるわけで。


 その一文字が増えて、言葉となり、詩となり歌となる。それをどう感じるかも己次第であり、そこに価値を見出すのも、邪魔だと思うのも己次第ってことで。


 「虚数」みたいなもんですよ。xの二乗が-1になるような。「零時」とかも。



 ちなみに漫画家が一番難しいと思うのが一コマ漫画だそうで。一コマに意味を表すのは非常に難しいものです。