2011年2月18日金曜日

「死」というもの

どんなに偉くても、どんなに貧乏でも

どんなに楽しくても どんなに苦しくても

時間だけは皆、平等に過ぎていき 人はいずれ死ぬ


俺の親が死んだ時 俺は涙を流すことができるのだろうか

俺が死んだ時 涙を流してくれる人はいるのだろうか


いや、涙の量が悲しみの度合いにはならないな


親、友人、俺


死ぬ人自身は悲しくともなく ただ自我がなくなるだけ

悲しいのはその人を思う人であって 死んだ人ではない


なんで悲しいの?いずれ自分にもやってくるのに?

でも悲しい 悲しい 悲しい 理由なんかない


親が死んだ時 悲しい思いになるんであれば

それだけ親を思っていたってことで

どんなお経より供養になると思う 楽しい思い出はより輝くと思う


友人が死んだ時 悲しい思いになるんであれば

それだけ友人を思っていたってことで

どんなお経より供養になると思う 楽しい思い出はより輝くと思う



俺が死んだ時

悲しいと思ってくれる人が1人でも いたらいいな

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