2011年8月3日水曜日

知らなくていいことは、無理して知る必要はないかと

 例えば銃。日本では銃刀法というのがあって、許可なく猟銃や真剣を所持するのは禁止されています。が、実際怖い人達は銃を持ってる。

 どうやって入手したの?入手経路は?いくらで?


 例えば麻薬。本来あってはならないはずなのに実際にはある。


 どうやって入手したの?入手経路は?いくらで?



 何百億というブラックマネーと呼ばれるものも、多分あるんだろう。


 そんな裏な部分を突き詰めて、深く知れば、表のことも違う目線で見れるんだろう。でもそれと比例してリスクも大きくなる。


 そのリスクを背負ってまで、知る必要があるのであれば、そうするのだけど、知っても何もならないんであれば、それは糧とはならないと思う。



 勇猛 と 無謀 の違いはそこに出てくると思う。

2 件のコメント:

σ(・ω・`負) さんのコメント...

悪を知り、それを「悪」と判断するか否かは


己自身。



リスクは何にでもある。
リスクに怯えて、そこにある「悪」を見ないようにするのは

主観だが、愚の骨頂かと。


理由?
新しい知識を得る機会を、自ら放棄しているから。



俺は知識は力だ。と常々思ってる。
見聞き・伝聞・口伝された知識が、自らの経験によって裏づけされた時。


それは凶悪な刃にすらなる。



ああ、俺って・・・orz

hina666 さんのコメント...

戦場カメラマンが良い例だと思う。

命をかけてまで、真実を知るか、そこまで。。。と思うか。これも自分次第だと思う。


情報は自分で見た事が一番確かな情報であって、そこには正も悪もないかと。

ただ、影な情報を知りうる為には、外堀を埋める情報も必要であり、その為に注意すべきことも情報かと。

そこに、勇猛と無謀が出てくる。ようは知識ではなく、知恵。


一般ピーポーでならば推測でものを言うより、、何か、知らない力が働いたでもいいかなとw