2011年10月20日木曜日

5次元(空間+時間+心)

 マフラーのメーカーではなく。点が1、面が2、今ココが3、そこに時間の概念・変化を加えると4次元となるんですが、それにもう1つ、心ってものを付けると、また摩訶不思議なことになったり。


 ココはもちろん、ブログ、ミクシー、ツイッター等々、自分の思いを文字にして世界に発信することが容易となりました。WEBカメラなどでテレビ通話も可能。ただ、言葉をツイッターのようにするとトンデモナイことになるような気がします。


 文字には表現の限界があって、なかなか理解してもらえない部分や誤解を招く部分もあり、不確定というか不安定というか。。。そんな部分がついてきます。でもそれぐらいがいいかもしれません。


 なので文字より言葉の方が、もっと伝えやすく、伝わりやすい。でもそれを武器として捉えると、文字より残酷な物になってしまいます。


 言葉の功罪でもありますが、それに心を付けると、時としてオカシナ方向に行くことも。


 例えば、ネットで誰か、有名人のブログが炎上とか、ツイッターでも大勢で個人を批判という域を超え火に油を注ぐだけ注いで、なんで火がついてるのかもよくわかってない、集団心理的な物もあり。


 この集団心理は、プラスの方向ではなく、大概はマイナスの方向に行きがちな気もします。これも匿名という名の功罪なのかもしれません。


 匿名や、批判自体は別に悪い物ではなく、文字や言葉もなんの罪も無い。要は使い方であって、それで時には感じる文字や言葉があったり、傷つく文字や言葉があったり。


 誰でも感情ってものはありますから、時として、ネットという世界でも熱くなってしまったりすることもあると思います。それも別に構わないと思います。更には、そのどちらかに共感する方、反感を持つ方もいてもいいと思います。


 どちらにせよ、相手の心を100%理解する事は不可能であり、ネットという見えない世界で、相手がどんな人か、なんてのは全く不明だったりも。リアルとネットじゃ人格が違う方もいますし。それも否定はしませんが。



 単純でかつ複雑。ストレートでありながらややこしい。相手の顔色も気持ちも見えず、相手の気持ちを考え物をいう難しさ。やっぱ会って話すのが、一番なのですが、全国、世界中の人とコミニケーションが持て、コミニティも作れることは良い物でもあってそれもまたヤヤコシイ。



 少なくとも自分は、外見はともかくとして中身はリアルでもネットでもそのまま出していきたいなぁと思います。それも相手あってのことですけどね。



 分からないから知りたい。でも知られると困る。ってもっと知りたくなりません?犯罪とか傷つくことじゃじゃなくてね。対人だったら、知らなくていいこともあると思う。でも知りたがりな俺を許して。

2011年10月17日月曜日

ネボケた衝動なんだから抑えられる訳がない

 今朝AM4:00頃、ふと起きて。そんな時間に起きるのは特段特別なことではなく、時々あるんですが。


 ネボケることはよくあります。一時は俺実は夢遊病なんじゃね?なんて思うぐらいだったらしい(自覚がないからよく分からないが人からみるとそうらしい)


 それとは別に、人には誰にも衝動ってのがあって、破壊衝動だったり、衝動買いだったり。今日のことがその衝動かどうかは分かりませんが。


 確実にネボケてはいたかと思います。うろ覚えだし。ちょっと常軌逸してるし。


 起きた瞬間、腹減ったなーっつか食わずにいられるか。とその辺にあったチョコとか、せんべいとか貪るように食べて、コーラ飲んで、なんとなく気がすんだので、また寝たんですが。それ以降はウトウト状態。


 ってか、パンとか、あったんです。買いだめすると腐らす(忘れる)危険性があるので、その日と明日の朝食は用意してあって、実際それはあって。



 昔、マリーアントワネットの言葉に「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」なんて言葉があったかと思いましたが



 パンがあるのにお菓子を食べる俺。。。。

2011年10月16日日曜日

疑問はつのるばかり

 ニュースでもツイでもいろいろそうなんですが、放射能、放射性物質、放射線について、マジすげぇあぶないから今すぐ逃げた方がいいとか、ガイガー当てて確認しないと物食えない。という主張と、それはデマや誇張があり、安全圏を保っているから、そこで暮らしても、許可の下りた食べ物は別に食べても問題ないよ。

 というように二極化しているように感じます。中間な方は傍観の方向。自分も然り。


 どの発言に対しても、持論のみの極論は抜きにして、各々の専門家だったり、ジャーナリストだったりの発言を根拠として主張しています。


 ひとつ確実なのは、強い放射線は身体に影響を及ぼすことは確か。それは病院のX線写真だったり、CTだったり、被爆した放射線量と身体の影響に対しての因果関係が確立されているからですね。


 自分が、日本の基準を調べた時、年間の累積被爆の基準は1mSvだったのですが、20mSvに何時の間にやら変わっていました。食べ物や水に関してはベクレルという単位を使うので、更によく分からなくなってきているのですが、国は大丈夫。と言って、福島でも米の安全宣言を出しました。


 安全宣言と言っても、やはり、危険エリア付近では米どころか稲作自体していない。実際見た測定値も0.2mSv/日。累積すれば3年で基準を超えてしまい、それはなんらかの影響が出る。これは分かるのですが。。。


 国の発表より、ある機関の専門家の主張を信じる。国が発表する学者さんは御用学者なんて呼ばれていますが、それぞれそれなりの基礎を持ち、それなりの研究により発表している。裏を返せば、その研究成果を信じる、信じない。というのなら分かるのですが、その専門家の意見(個人的意見と言うのでしょう)なり持論を信じるのはどうか。と。


 あの人がそう言ってるから危険なんだよ。逆にあの人がああ言ってるから安全なんだよ。これが二極化で発言している主な主張の根拠となってるような気がします。


 そこにマスコミなどは、統計の一部分を持ってくるので余計混乱してきます。統計学はあくまで「確率」「可能性」を差すものであって、それをまず理解しないと、かえって混乱を招きます。


 簡単な例えでいえば、サイコロ。1~6の目を全て出す確率は、1/6ですね。じゃあ6回振れば、全ての目が出るの?と聞かれるとそりゃないでしょ。という人が大半だと思いますし、実際そうです。

 同じ条件下のもと、何百、何千、何万回も繰り返し、確率が収束していく。それでも「限りなく1/6」という確率となり、決してキッチリ1/6とはならないんです。


 また別の統計として、偏差値という物があります。一斉に同じ問題を時、その点数が多い部分、なんかみぃよーんって山を見た人もいると思います。その頂点を49とし、それを基準にそれより上の人は高く、下の人が低くなるわけですが、なんでそんなことするの?と思う人はいるのでしょうか。

 これは、その単発の成績を見ているのではなく、過去のデータの推移を見たりしているんですね。それもサンプルの1つとなって。1年や2年では、当然ムラがあったりします。同じ問題を出しているわけではないので。

 それを10年推移で見てみる。初回、偏差値49が65点だったのに対して、64.5、64と下がってきている。同レベルと思われる問題を出し、その点数の推移を見る1つのデータとなるわけで。


 そこから、「因果関係」という言葉が出てきます。何故、点数が下がったのか。例えば途中で教科書を大幅に変えたり、学校の勉強に対する時間、基準、その他が改正されたり。そこで初めて分析ができます。

 学校における勉強の時間の短縮したら、点数が極端に下がった。のであれば「学校における勉強の時間」と「テストにおける点数の減少」は因果関係がある。と言えるわけです。


 この2つの統計は全く別なのですが、今、それが錯綜している気もします。サイコロを振り続けたら、1が3回連続で出た!放射能で言えば、どこそこで、チェルノブイリ以上の線量が出た!これには何かがある。。。ないですから。

 山の裾野の部分だけにスポットを当て、ホラ、この線量だと、身体に影響がすっごく出るんだ!だから危険。結果全体を見ると、どこも同じような山だったり。


 いかにも統計っぽいんですが、これらはデータとして成立たないんですね。サンプルが少なかったり、全体を見てなかったりと。放射線と身体の影響に因果関係はあっても、間違ったデータではその因果関係に当てはめられないということです。


 そおいう自分はちゃんとしたデータを持ってるの?それが信じるに値するの?どのデータだったら信じられるの?と聞かれるとそのようなデータも知識も無いので、国の代表である政府ならびに各省の情報を信じて生活しているのですが。どちらが正しいのかはわかりません。

 でも、国の事を信じて、実害が出たとすれば、国を相手に集団訴訟なんてこともできるけど、一専門家だったら「いやあくまでこれは個人的意見でして。。。」なんて叩くことは出来れど、その実害をなんとかしてくれる訳でもなく。


 公害病での訴訟もそうだと思います。その当初から危険性を訴えていた人はいると思いますが、国がそれを承認した。結果、実害が出て訴訟となり、補償することとなった。国が間違いだった。と司法が判断した訳ですね。


 今回も、累積だったりするので、即実害というものではないのも厄介な所であり、どれが安全基準なのかも曖昧だったりする。ただ、国が決めたことであって、それが間違いであったのなら、それを司法がしっかり判断してくれるでしょう。そうじゃないと三権分立がメチャクチャになってしまいます。


 それらを踏まえ、今疑問に思うこと。危険と主張する人、安全と主張する人どちらでもいいです。


1.放射性物質が、3月の風により拡散した事は事実。その風は当然ながら日本だけではなく、諸外国にも通っていると思いますが、隣国から何かしらの提案・苦情などはあったのか?


2.その放射性物質は海にも入っていて、高濃度の放射性物質を海に流したとも報じられています。海には海流があって、海流は北へ。そして南に行くのですが、それに関して環太平洋諸国からの連絡等はなかったのか?


3.上記2つでも大きな国際問題となる可能性があると思いますが、事故から半年以上たっても、そのようなニュースは報じられていない。外国のメディアで報じられることはあっても、その国自体の意見として出されていない。




 核保有国ならば、放射線のリスク、それらの研究は日本以上に行われていると思いますが、どうなんでしょう?地震に対しては環太平洋プレートの影響もあるので各国研究しているようですが。。。

2011年10月13日木曜日

少年   ナイフ

まわりの 



まわりの



みんなが     まともに    みえないのは




おれが



まともじゃ                    ないからかな




そうだ







きっと

2011年10月11日火曜日

いったいどうすりゃいいんだ!今、考えてます(目泳ぎ)

 ソバ屋の出前ではないのですが、千葉で一時保管している放射性焼却灰が1000t近くになっており、その対応を迫っているようです。

放射性焼却灰問題 焦燥募る関係自治体 一時保管量1000トン迫る



 具体的対策を求めているものの、只今検討中です。で1ヶ月が過ぎて、灰はドンドンたまっていって。。。なんか言えよ。となる気持ちも理解できます。


 環境省は八月三十一日、高濃度のセシウムを含む焼却灰について、放射性物質が溶け出さないよう処置すれば埋め立てが可能との方針を示した。(ニュース文中)ものの、最終処分にあたって、受け入れ先が無い状態が続いています。トイレの無いマンション。と書いてありますが、トイレはあってもタンクがもう入りきらないボットン便所。聞こえが悪いですね。


 まず、国、東電が、なんらかの案を出していないことが問題のひとつとなります。何も提示しない=各自治体(主に千葉)にヨキニハカラエ的な、ヨキニハカラッテクダサイとも言えない心境を与えています。


 ゴミの最終処理(今回の場合、実質には埋め立てとなりますが)を行う場所、会社については、各都道府県、環境省の許可が必要です。今回の場合は産業廃棄物となるので、県をまたいで運搬する場合は双方の許可が必要。


 なんで千葉なの?という疑問があるとか思いますが、大規模な最終処理場(埋め立て)が千葉にある。という理由です。産廃物の最終処分場と言っても、プラスチックならここ、木屑、紙屑ならココ、決まっているんですね。


 産廃物リサイクル法により、500万円以上の工事でコンクリートの処分(リサイクル)については、申請が必要であり、また、不法投棄防止の観点から、工事前に、産廃物をどこに持っていくのか、最終処理はドコでやるのか。などを地図付きで明記しなければなりません。木屑、紙くずの焼却はあくまで中間処理であって、その灰の最終処分については、千葉にあるということです。


 産廃処理については、マニフェストというA票からE票まである運搬から最終処理までの流れを管理する票があり、発注者側はそれが正規に行われているかを管理しなくてはなりません。これを用語で追跡調査といいます。実際、地図通りに指定された会社、車両が産廃物を運んでいるか、後を付いていくことから、このような用語が生まれたのかと。



 で本題の問題ですが

 1.先ほどの環境省の発表。「放射性物質が溶け出さないように処置すればいい」と言いますが、じゃあいったい誰がするの?ってことになります。当然そこは東電がすぐに、産廃最終処理の申請・許可を受け、処置する所でしょう。「溶け出さない」という条件で、密閉するにはどうすれば。

 亜鉛メッキ加工(錆びにくくした)したドラム缶にモルタル等と混ぜて入れる。のが考えられる有効な処置と言えるのではないでしょうか。

 仮にモルタル無しで、ドラム缶満タンに詰めたとします。ドラム缶は200Lの水が入るので2m3。灰を中炭砂と仮定すると、1m3当たり、1.0t(参考資料)とすると、ドラム缶500本分に相当します。モルタル等で固めると、更に多くなります。亜鉛メッキ加工のドラム缶なんて聞いたことはないですが、単価とすれば通常単価60k+処理費40k ドラム缶1本当たり10万円。500本で5,000万円。


 その処置を行うに当たって、放射線が漏れるのを防ぐだけの施設が必要です。それとその処置を行う人員が必要になります。建設費、材料費、人件費は別としても、その建設にかかる時間、また、全て処置する時間にかなりの時間を要し、それを建設している間も灰は溜まる一方という形になり、更なる一時仮置き場も必要となります。


 ただ、条件が揃えば、費用、時間はかかっても可能。という結論に達します。それまでにかかる工程も出すことができるのではないかと。納得するかは別として。


 問題2.受け入れる場所がない。通常の灰とは違い、放射性焼却灰をそれこそはいはいと受け入れる施設も少ないでしょう。受け入れるとしても抵抗もあり、かつ、別からも廃棄物は来るのですから、埋め立てに当たっての処理方法の相違などからも受け入れられない。という問題があります。


 それを解決する為には。。。端的に言えば、ドコに埋めればいいの?ということなんですが、東電で行うのであれば、東電の所有している敷地(発電所、変電所、送電鉄塔敷地等)を埋立地とし、地下何十m(ここの判断基準が出ていない)に埋める方法。じゃあ国が大丈夫と言っても、放射性焼却灰を関東各地に埋めるのか?という問題が出てきます。


 国有地に埋めるとしても然り、そこにいる住民、市町村、都道府県の認可がおりないと、難しい。


 更には、埋め立て施設を建造するのにも費用と時間がかかります。溶け出さないことを条件とするならば、当然、掘削の後、コンクリートで土台を作り、密閉するような形となります。土木工事において、一番時間がかかるのが掘削。その為の地質調査。自然環境への配慮。もはや有効な場所はなく、どこかが犠牲となるしかない状況。しかし、それしかない。


 では、土地ではなく、海底にトンネルを掘り、施設を作るという手もあります。実際、東京湾には、LNGの効率的輸送の為の神奈川~千葉を結ぶトンネルがあります。

 これからそれを造るとなると、完成は数十年後という話になってしまいますが、これも1つの案かと思われます。


 自分が考えただけで、これだけの案があります。当然それに対するリスクマネージメントや試算も必要になってきます。が、何も出さないで、ダンマリを決め込んでいては、そりゃ現地の方は焦りますよ。



 応急的処置でも、国、東電は、短期、中長期案を速やかに出すべき。と思います。溢れる前に。

2011年10月8日土曜日

死後の世界

 なんてものは死んでみなけりゃ分からないし、ましてやそれを科学的に解明するなんて事は不可能な話なんですが、世界の偉大なヒマ人達は、真剣にその解明に対して取り組んでいて。


 生と死というものは何か。魂というものは存在し、肉体から離れても、存在し続けるのか、それはどこにいくのか。

 宗教であれば、天国へ行ったり、地獄へ行ったり、生まれ変わったりといろいろあるのですが、どの宗教にも言えることは、魂というものは死後も存在するということ。


 まず、「死」という状態を定義しなくてはならない。人間は、脳による信号によって、いろいろ考えたり、行動したりする。それは心という「意識」からくるものであり、その「意識」がない状態を「死」と仮定する。


 じゃあ寝ていたり、失神して意識が無い状態は「死」なのか?と言われると上記仮定であれば、その通りであり、それは、実験によって確認されている。

 脳神経は電気信号により、情報を行き来する、いわば分子レベルのコンピューター(ニューロンと呼ばれる)とも言える。外部から脳に電気信号を送り、意識のある状態と無い状態を計測する。という実験。


 脳は寝ている時、いわば意識の無い状態でも活動しており、記憶の整理や肉体、腸などを休めたりしているんだけど、意識のある状態で電気信号を送ると、脳の各部位にその信号が行き渡るのに対し、意識の無い状態では、活動している部位を除き、その電気信号をシャットアウトしているそうで。


 脳が生きる為の活動はしているが、それ以外の活動はしていない。という結果から、意識の無い状態=死と仮定されるのであろう。「脳死」という状態はまさにその状態であるため、それを死と認めるか否かで物議をかもしだしたんだと思う。


 じゃあ、その無意識の状態をどう具現化するの?って所で科学的解明は詰んでしまう。意識の無い人に、今、どんな気持ちですか?なんて聞くことは出来ないっていうか、脳波でそれは測定できても、まず意識のビジョン化をする事が不可能だから。


 そこで登場するのが、いわゆる「臨死体験」。その体験をした方々に話を聞くのはもちろん、空軍がGに対する訓練で使用する、遠心分離機みたいな機械で被験者をブラックアウトさせ、その時何が見えた?などを聞く。という実験。


 それによると、大体の人は、自分の意識が肉体から離れ(自分が自分を見下ろすような感覚)、まず暗闇にいて、自分が今どこにいるのかも分からない状態。そこに光が現れて、まるで宇宙にいるような感覚になる。というような話が多いことが分かっている。お袋から聞いた話とは随分違うけど。。。


 柔道でよく締め業などで「落ちる」時がある。自分も一度落ちたことがあり。その時、確かに暗闇の中にいて、1つ光(自分の場合は窓だった)がありそこに行こうとした時に、意識を取り戻させてくれたんですが。意識が無いのに、それは鮮明に覚えています。

 意識が無いのに、何故、何かが見えたりするの?ってトコなんですが、意識がある状態からいきなり無い状態になる時、瞬間でも、その時間はまだ意識をつかさどる脳は活動しているから。とも言えるのではないでしょうか。


 と、なると、臨死体験もブラックアウトもこの3行の理屈で通ってしまいます。意識がある状態から無い状態になる一瞬。でも無意識な状態の時には時間という概念が無いから、一瞬とも、永遠とも捉えられる。自分が落ちてから、意識を取り戻すのに3秒ほどだったのですが、自分的には1時間ぐらいそこにいたような気持ちになったもその為かと。


 寝ていて意識が無いや、麻酔で意識が無い時も同じであり、意識の無い人は一瞬とも何時間とも捉えられる。まぁ寝るのもリズムがあって起きるし、麻酔も効き目がなくなれば覚醒するので死にはしないのですが。ただ、確かに無意識の状態での時間の概念はないな。と。瞬きしたら30分過ぎてた。なんてこともありますし。


 結果、死後の世界は未だ分からない。というのが結論なのですが、先ほど書いたように、意識のある状態から意識の無くなる状態になる一瞬。一瞬だけど、永遠。そんな中で自分の意識内のビジョンが、それにあたるんじゃないかと、哲学してみる。


 ニューロン力学の応用で、ワームホールを通り、別次元の宇宙へ行く。とか、そんな説もありますが、別にドコに行こうと何が待ってるわけでもなく。


 それより思ったことは、寝ている時の意識の無い状態。これを死と仮定するのであれば、自分らは毎日死んでは生き返ってるってことになる。確かにどれだけ寝たかは時計を見てみないと分からない。無意識の時間の概念が無いから。


 ラジオ体操の歌で新しい朝が来た。なんてフレーズがあるけど、本当に新しい朝なのかもしれない。

2011年10月7日金曜日

的を絞るということ

 いや、世の中っていうか、日本国内だけ見ても、大変なことだらけですね。放射能だったり、各地の地震だったり、景気だったり、失業だったり、病だったり、明日のモヤシの値段だったり。


 各々が、それぞれの問題やら課題を抱えていて、各々がそれを解決しようとなんとかしてるんですが、これだけいろいろあると、どれから片付けていいのか分からなくなる時もあると思います。


 散らかってる部屋。掃除しよっかな。。。と思いつつ、う、どこから手を付ければいいんだろう。的な思いをしたこともあると思います。


 隅から少しずつ片付けていくか、適当に片付けていくか、人に頼んでしまうか。解決方法はいろいろあると思いますが、大切なのは、どれが一番重要なのかってことで。


 以前、PC内の掃除をしようと、電源入れっぱなしでエアダスターでホコリ取ってたら、アブナイ事するねぇなんて友人に言われたことがあります。


 ここで重要なのは、エアダスターで吹く事ではなく、電源を入れっぱなしにするって所が重要であって、下手をすると、PCが壊れてしまう。掃除もなにもなくなってしまうから。なんですね。


 自分1人だけでも、いろいろな問題、課題、目標があります。病の事、お金の事、食事のこと。。。大きなことから小さなことまで。これは自分に限らず、多くの人がいろいろな問題を抱えていると思います。


 そんな問題で悩んでいる事を聞くと、いやそこは重要じゃないだろ。。。と思うこともありで。その問題を解決する為には、まずこの問題を解決しないと先には進めないだろう。数学ではないですが、1つの問題にもロジックがあって、これをする為にはこれをこうして。。。なんて倉庫番みたいに整理する必要もあると。


 問題をひとまず保留にし、整理してみると、なんとなく解決へのルートが見えてきたり。どこが重要、ネックになっているのかが見えてきたり。


 的がいっぱいあって、それを一気に打ち抜くようなマシンガンはあいにく持ち合わせておらず、人1人の力だったら、豆鉄砲ぐらいしかない。それをパチパチ打って少しずつ、的に穴を開けて、やっと次の的。


 的を選ぶこと、奥にある的を打ち抜く為には、その前にある的を打ち抜くか、いやそこは重要じゃなくて、横の的打ち抜いて弾を反射させて、奥の的を狙う方がいい場合もあり。どれが自分にとって今、一番重要なのかを考えることも必要かと思います。



 自分の事って、とかく迷子になりやすい。その時に相談に乗ってくれる、真剣に考えてくれる人を、大切にしたい。第三者の目からすると、重要な部分がすぐ見えたりもする。自分がその人であれば、悩んでいる人も大切な人だから。

2011年10月4日火曜日

 今日、会社へ。産業医との面談に行きました。安定剤が減りました!レキソタン30mg/日が20mgになりました。と報告したら、「そんなに飲んでたんですか。。。」との返答。良い事なんだから、良かったですね。ぐらい言ってくれてもいいのに。


 そんな中で、なんとかアップではなく、リワークの出来る施設について話をしました。自分がドクターから聞いた話だと、自分の今の調子に合わせ、プログラムを組むというお話でしたので、そのように進めていきたいと。


 で、それが一体ドコにあるんだい?と先日、検索してみたんですが、いろいろあって。産業医に聞いてみたところ、東京都がやっている障害職業センターという所が有名だと。駅からほど近かったんで行ってみることに。


 場所はなんとなく聞いたので近くに行き、電話してみたら、相談の予約はとっているのでしょうか?とっている訳もなく、いや、近くに来たんで、概要だけでも聞きたいと思いまして。と。ひとまずセンターには入れてくれました。


 概要を聞いたところ、この施設。職場復帰寸前の人達の施設であり、3ヶ月限定。かつ、プログラムではなく、毎日そこに行き、ある種の作業をする。というものでした。申し込んですぐに行けるようではなく、現在、予約で半年待ちだそうです。


 タイムリミットの3ヶ月前に、行きたいよう予約したい。というのはNGなようで、かつドクターの言っていたのとちと違う為、ひとまず参考の1つとして、また別の所に行きたいと思います。


 ただ、リワークと言っても、いろいろ条件があって、病院が行っている場合、そこの病院への転院が必要だったり、別途料金も様々だったりと、今、ここが良いというのが見つからないっていうか手がかりもない状態です。


 物件探しとかも苦労しますが、行ってみないと分からない。そのような物が多いほど、大変なんですが、行かなきゃわからない。ここが良いですよ。と言われたのが世田谷だったり。と。遠いし。。。うーむ。これが壁という物でしょう。


 でも、そこで立ち止まっていても、手がかりさえ見つからないので、ひとまず、別の場所。市役所とかにも相談してみたいと思います。福祉センターで検索すると市役所が出てくるので。


 リワークとリハビリの違いがなんとなく分かっただけでも収穫としましょう。壁を登るにだって、準備は必要です。



 とふと思ったのが、予約半年待ちという事実。施設が小さいのか、はたまたそれほどストレス社会なのか。微妙なところです。

2011年10月2日日曜日

予定は未定だけど、予定変更

 先日、誕生日を向かえ、36だと思っていたのですが、37らしいです。2011-1974=37。まぁいいんです。世間にとっては重要ですが、俺にとってはさほど重要ではないのです。

 人が決めた時間で、365日とちょっとで1年。いわゆる太陽暦では37なのですが、別に人が作ったものにこだわる必要はないかと。じゃあ俺暦で。太陽を1周半で1年と決めます。なので俺、23歳。常識外れ?信仰なんてそんなもんでしょ。ただ、社会の常識には通用しませんが。

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 昨日、病院に行きました。ひとまず今の眠剤で4.5~5時間眠れるようになった事を報告。その際、どれかを削ってもいいんじゃないか?眠い時には。という話になったのですが、眠財はそのままで、精神安定剤で調整する方がいいとのこと。

 あくまで眠財がベースでの睡眠であって、その時間の調整を安定剤がしてくれてるとのこと。行くのにデパスを忘れ、頭痛がひどかったのですが、これって電力と似てるなぁ。って。


 抗うつ剤って効いてるのか効いてないのか分からない。ってよく皆言いますが、それが抗うつ剤の効き目であっていわばベース電力、原子力発電となって、安定剤で、その時の状況で調整、これが火力だったり、水力だったり。ひどい時には、強い薬と同様、ピークの時には出力を上げて、そうでもない時は下げて。


 なんて考えると、原発ってあまり電力としてはあまり目立たないが常に発電していないと足りなくなる。と同様、抗うつ剤も常に飲んでベースな自分を作っておかないと、安定剤だけでは補えなくなってしまう部分も出てくるってことで。安定剤は忘れてもいいけど、抗うつ剤はちゃんと飲みましょうね。ということで。


 で、だんだん良くなってきて、いよいよ休む期間から動く期間に変更しようという療法に決まりました。福祉センターで、いろいろ作業しようと。これもドクターから聞いたのですが、この作業も予め決まっているプログラムではなく(フォローアップとか言ってたな。。。)その人の調子に合わせて、日にち、時間、やる事などを決めていくそうです。


 結論から言えば行って申請してみないと何をやるのか分からない。ってこくとなのですが、復帰に向けてのプログラムは間違いないようです。


 で、場所がどこかというと、西東京だと立川にあるそうで。(立川市役所内)そうなると引越しを予定していたのですが、そこまで行く時間や交通費を考えると、引越しで家賃の支出は抑えても、交通代でほぼペイになってしまう問題が出てきます。


 あと、行くのに疲れてしまい、プログラムが出来ない。というリスクも出てきます。通うのも訓練の内なんですかねぇ。。。なんて話したんですが、それはちと違うとのこと。センターに行き、プログラムを行う方が重要とのこと。


 ということで、引越しは中止の方向になりそうです。何気にモノレール、高いし。ドクターの紹介状が必要かもしれませんので詳細はまた相談したいと思います。丁度明日、会社の面談なので。




 明日の朝ならまだしも、今からうっわメンドクセー、いきたくねーと思ってる自分。これは甘えに入るかと。

2011年10月1日土曜日

何故に逆バスデープレゼント払い。。。

 呪われてますね。ええ。そうとしか考えられません。

 免許の更新に行こうと思ったんです。誕生日ですし。いわばタイムリミットとも言える日なので。でも午前中の調子がいまいちさえず、昼出発でもいいからひとまず休もう!なんてベッドへ。起きたのが1時前。。。受付が2時までなので諦めました。


 とわ言っても、払うもんは払わないと。ってことで銀行へ。ってか、いい加減車検証と車にシール貼らなきゃな。とついでに車にも寄ることに。


 以前、なにかの用事で車に寄った時、キーレスで開かなくて、チッと思いつつもキーで開けた記憶があって、再度キーを使って開けたのはいいんです。で、何気にエンジンかけてみるか。。。シーン。。何も動かない。


 バッテリー、あがってんじゃん!ってことはあれか、前回、もう先月ぐらいだったと思うんですが、その時には既にあがってたんかも。。。。今まで1ヶ月放置なんて普通だったのに、何故に今回。。。


 車検に出した。という物が浮かんできますが、断定はできずってゆーか、放置しとくとあがるもんなので。でもタイミング良すぎじゃね?これで張り切って更新だー!なんてエンジンかけようとしたら、さぞ凹んだかと思われ。


 銀行にいきがてら、ディーラーに電話。交換を依頼しました。まぁ同じボルトのバッテリー繋いでしばらくかけとけば充電されるんですが、1度あがったバッテリーは交換という自分の経験則をもとに交換を依頼。


 いくらかの節約もありで、なんとかなるなーと思いつつ銀行に行ったんです。そしたら見積もりの電話。
29,800円也。たかっ!バッテリーってそんな高かったっけ?まぁ依頼したものは仕方ないんでシブシブ、本当にしぶしぶお金おろしたんですけどね。


 本日、俺の誕生日。そんなサプライズいりませんから。ってゆーかなんで俺がプレゼントをあげなきゃいけないんだ。しかも決算だからって当日に。


 人生、上手いことできてんな。って思いました。そんな星の下に生まれてきたんです。だからと言って悲観せず、こんな星の下に生まれてきたから今までなんとかやってこれた。ともいえますから。



 誕生日プレゼント、何にしようかな。。。なんて考えてる貴方。よく、自分が欲しい物ってわかんないんだよねぇなんて言われるので、リクエストします。逆に。


 ・オーブントースター 食パンだけ焼けるヤツじゃなくて、パカーってなるヤツ。

 ・レギュラーコーヒーの粉。たまには美味しい粉で入れたいです。味の違いわかんないけど。

 ・体温計?どうも必要らしい。



 よろしく、よろしくオネガイシマス。エロゲハイラン。