2009年5月9日土曜日

生きる理由

 ↓のテキストを見てもわかる通り、ヤバイ状況なので、このテキストは完全に現実逃避テキストです。スルー可。現実逃避の方法がなにもギャンブルだったり酒だったりクスリだったり買い物だったりとは限らないのもこの病の複雑なところ。

 テキストの最後、5年後で考えれば別と書きました。その5年後だって考えてしまいますよもちろん。なにしろ自分の人生ですから。

 目先のことだけ考えれば休むにこしたことはない。ただ、それ以降今の現状が良くなる保証はまったくない。ひとまず5年はフツーに暮らせるだろうが、それ以降、生活できるかどうかは不明。

 生活するには、金が必要で、金を得るには仕事が必要で、仕事をするためには生きなければならない。その繰り返しの毎日。それが普通。

 そおして少し余った金と少し余った時間で好きなことをする。それは人それぞれ。人によってはバイクとか、俺にとってはスノーボードや音楽とか。

 その少し余った金と時間がなくなってしまったらどうなるんだろう。生きるために金を得て、金を得るために仕事をして、仕事をするために生きる。それだけ。

 それが生きる理由であるのなら、それは死なない理由にならず、そっくりそのまま死ぬ理由になるわけで。

 もし神様というものが人間というものを作ったのであれば、他の生物にはない、知恵と心を与えてくれました。それと同時に、やはり他の動物にはない「自ら死ねる権利」を与えてくれました。

 全ての生物は遅かれ早かれ絶対に死ぬ。そして他の動物には絶対に出来ないこと。自分で死を選ぶ権利。俺だって、ほっといてもいずれ死ぬ。それを自分で決めれるのであれば、それはそれでシアワセなことではないのだろうか。※1

 そんな事を去年は3万人強の人がしたらしい。東京ドームをその人達でほぼ満員にできる。3時間に1人、その権利を執行している事実が間違いなく存在する。その人達はどんな思いでそれを行ったのだろうか。

 その人達は、生きている間、シアワセだったのだろうか。それをして、シアワセになったのだろうか。死後の世界はみんな知らない。だから死に対して恐怖する。自分の存在が無くなるだけなのにね。

 これほどまでに生死について考えてる人がどのくらいいるのだろうか。考えてもしょうがないから考えないのだろうか。でも、俺は考えてしまう。これに対しては、そこらの哲学者にも負けない自信がある。まぁそれが金にはならないことも分かっているんだけどね。

 そんなことしか特技にならない俺は、仕事が出来ず、金を得ることが出来ず、生きることが出来なくなるんだろう。多分。ね。※2

※1 別に自分は自殺を推奨しているわけではなく、あくまで客観的主観思想によるものです。

※2 そんなん言っても多分なんとかなるんじゃね?って思っている俺がいるのも確か。それがまたネガな俺とぶつかり合って、頭痛を呼び起こす。鬱。

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