2010年12月13日月曜日

バカでホントヨカッタ

 死ねば楽になるのに。。。。時々そう考える。余計な悩みや心配もしなくてすむし、飯とか金とか仕事とか果てには家族まで関係なくなるってかどうでも良くなる。

 むしろ死んでしまった方が皆の得になることもあるんじゃないか。時々そう思う。

 死にたい。なんて言ってるうちはまだ大丈夫。死んでもいいか~これはヤバイ。ビルの上から考える。ここから落ちたら死んじゃうな。でもこうも考える。ここから落ちたら死ねるな。

 でも人はなんでこうも死を遠ざける?死んだ後を見た人もいなければ死後の世界が見れるわけでもなくましてや経験なんてこともできない。ようは闇だ。生き物は本能的に闇を恐怖と感じる。いわば本能が死を遠ざける。

 頭の良い人間は、それでも悩むんじゃないだろうか。そして決断するんじゃないだろうか。賢い人間は、自分が死んだ後まで計算するんじゃないだろうか。そして決断いるんじゃにいだろうか。

 逆に頭の悪い人間は、そこまで深く考えず死ぬ。別に後のことなんてどーでもいいじゃん。誰が悲しもうが、俺には関係ないし。つか死んでんだからそれすらも考える必要なんてねーじゃん。そんな考えもあるわけで。

 自分から命を絶つ人は後を絶たない。毎年東京ドーム満員御礼だ。何万人という彼等は、何を思い、考え、決断し、行動したんだろうか。

 俺にはそこがわからない。大事だってのは分かる。でも死ぬほどのことじゃないんじゃね?とも思う。死ぬ程ツライ状況もあるのも認める。それでも生きろといえるのか?ってこともあるだろう。

 生きることに固執すればなんでも出来るだろう。泥水をすすってでも、どこかに逃げても、金がなかろうが、住むとこが無かろうが、死なない程度に生きることはできるだろう。

 生きている上で全てを失うことは絶対にない。1つは時間、1つは記憶。これだけはどんなに無くそうと思ってもなくなる物ではない。生きてりゃナニカは経験するだろうし、それは記憶として残る。睡眠で整理され、奥底にしまわれても無くなるわけではない。時間は時がくれば終わりがくるだろうが、それは死を意味することであって、生きてるうちは皆平等に流れてく。

 いろいろ考えた。でも結果は、俺はよくわかんない。単細胞なバカだから、死にたくないから生きてるし、死んで悲しい人がいるから生きてるし、家族がいる。友達もいる。大事なヤツがいる。だから生きてる。

 時には厳しく、時には甘え、時には苦しみ、時には楽しい。しごく単純なことだ。それだけ思えられるバカでホント良かったと思う。

 文字通りの乱筆。B級ホラー映画なんて見るからだと、他のせいにするバカ。

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