2011年4月27日水曜日

ベクトル

 人の思想や考え方なんて、似る事はあっても違うもの。気が合う人はたまたま考え方のベクトルが同じ方向であって、長さや太さ、色なんてのは違う。

 別のベクトルの人が合わないって訳じゃないし。別のベクトルだから得られる物もある。

 話せば分かる。その通りだ。話さず否定したところでその否定が正解なのかも分からない。言う前に全否定されるのってすげー悲しいから、言う前に全否定すんのは止めよう。

 耳を傾け、否定しない。それは俺の考え方じゃなくて、相手の考え方だから。

 俺の考えを話す。否定されたくない。それは俺の考えであって、相手の考えではないから。

 否定するのと共感しないは全く別物。その前に理解ってものがあって成り立つもの。

 御互いが話して、御互いが理解して、初めて共感できるできない。賛成できるできないが生まれるんじゃないか。

 明からに変なベクトルに向いてたら、直したいと思う。だけどそれは人格を否定しているのではなく、その行動、発言の理由を良い方向に向けようとするだけ。

 その人のベクトルなんて、そんな簡単に変えられるものじゃない。若かろうと、年とってようと、それまで生きて、喜んだり、悲しんだり、成功したり、失敗したり。そんな中、後悔や反省や歓喜から出来た物。だからベクトル自体を変えるってのは無理かもしんね。

 でも、話していけば、色は変わるかもしれない。それが楽しい色だったらなおさらベター。それには前にも話したように、耳を傾け、話をする。御互いのベクトルを見せて成り立つんじゃないか。

 俺にだって自覚できるような変なベクトルを持ってる。下向いてて、黒く、黒い。

 でも、誰かの言葉だったり、相手がそんな気も無い行動でも、それで、口ばっか君と呼ばれようと、黒がグレーにらなっただけでも、突然くるかもしれない機会を待つだけ生きていけるんじゃないか。

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