2011年7月8日金曜日

不条理の沼

 昨日の夜、自分が病となった原因を思い返してみました。酔うと暴力的になる上司との付き合い、会社復帰の疲れと家族との付き合いから生まれたギャップでのリスカ依存。離婚調停がいつのまにか裁判になったこと、今で言えば地震から福島原発の事故。。。。


 これらを総合的に見ると、どうも俺は「不条理」というものに非常に嫌悪感を持っているように感じます。


 現代社会において、少なかれど不条理というものは必ず存在します。その場の話し合いや、軽いものだったらスルーしたり、割り切ったりできるんですが、どうしても許せないボーダーラインみたいなのがあると思います。それを我慢し続け、限界を超えてしまったと。

 そして大きな不条理に対面した時に症状が大きくでたり、ちいさな事でも出たり。。。その不条理は大小必ずあって非常に抽象的。筋の通らない事、約束を守らないこと。これらも不条理なことかと。


 大規模な地震。家やビルの倒壊、火災、そして大規模な津波。自然災害、これは自然現象と言ってもいいかと思いますが、理屈はありますね。地震が起きるシステムも解明されています。

 その災害に巻き込まれ、亡くなってしまう方が楽と言えば楽なのかもしれません。自然の猛威にさらされ、偶然なのか運命なのか亡くなってしまう。生き延びる。

 生き延びた人の方がその時は良かったのかもしれませんが、これから、そのトラウマを引きずりながら生きていくことになります。ショック症状等てせ病になってしまう。阪神淡路震災ではそれがクローズアップされていました。


 自殺する人、その人にも死に値する大きな理屈、人によって価値観は違いますからなんでそんなことで。。。と思う人もいるかも知れません。でもその理屈により自ら死を選ぶことを否定する気はありません。



 が、その背景には、その人にとって不条理の沼にはまってしまい、そこから絶望し、そして闇の中に引きずり込まれてしまったのかもしれません。

0 件のコメント: