2012年4月12日木曜日

何かある時は、必ずどこかに理由がある

 道を歩いていたら、100円玉が落ちていた。ラッキー!

 ここだけ見ると偶然の産物だけど、なんで道に100円玉が落ちてるか?どこかの誰かさんが、不幸にも100円玉を落としたからだ。自然に、勝手に落ちるものじゃない。

 一見、偶然に見えても、何かある時、あった時は必ず理由があると思います。

 運武天武みたいなことでも、例えばスロットに負けた。これにも理由はある。ついてない。これも理由の1つ。ついてなければ行かなければいい。勝ちはしないが負けることは無い。

 スロットで言えば、常勝理論はある。運は関係ない。関係あるとすればいくらプラスになるか。 ぐらいだ。この差にだって理由はある。


 事故。何もなくて事故になる事はない。必ず原因がある。故障?ミス?なんでもいいが、その、故障やミスにも理由があって。


 その中にデータや根拠など補足する部分もあったり、根拠やデータ自体が原因のひとつとなる場合もあって。


 病にも、同じ事が言えると思います。突然、原因不明の。。。なんてことはなく、掘り下げていくと必ずどこかに何かある。

 心の病も同じ。必ずどこか、過去?事象?原因があって、それが引き金となったり。その引き金、原因は、時に変わったりもする。最初の原因が解決しても、今度は新たな原因が。だから時間もかかる。理由が分からなかったりする。


 何故?何故?何故?

 3回繰り返すとだいたいの真意が見えてくると言う。なんでデパス飲むの?→頭が痛いから。→なんで頭が痛いの?→人ごみの中うろついたから→なんで人ごみの中うろつくと頭痛くなるの?→緊張しちゃって筋肉がこわばるから→→→




 何故何故問答と言うのでしょうか。尽きる事が無かったり、ループしてしまう事もある。けど、思考をまわす。大切だと思います。1+1=2 何故? こんなんではなくてね。

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