何時もの時間にいつものように眠剤を飲んでも、眠気が来ない時は確かにあって。眠くない時に眠剤を飲んでも効かないというのは医師も言うことなので、あまり気にしてはいないのですが。
そんな睡眠不足だったり、不摂生な生活を送っているから、身体になんらかのことが起きてもなんら不思議は無いわけで、それを何かのせいにするってのも、全く根拠は無いのですが。
~~~~~~~~~~~~
心霊現象があることを前提として
霊感の強い友人曰く、自分の部屋は霊の通り道で、常に少し窓を開けるというのは、前から何度も書いています。
そして、霊感の強い友人であれば、なんらかの気配を感じたり、なんらかのエネルギーを感じたりすることが出来るのかもしれませんが、残念なことに、幸いかもしれませんが、霊感がほぼ無い自分にとってはどんなに目をこらせようと、どんなに集中しようと、なんも感じません。
なので、不可思議な物事で察知するしかないのですが。自分の部屋を知っている友人なら分かると思いますが、何も無いのに、なにかの物音がする。いわゆるラップ音が度々起きるのは確かなことで。
霊・魂を1つのエネルギーと仮定すれば、そのものが移動する時、なんらかの力が加わり、その力がどこかに波及し、物音を立てる。と解釈すれば説明が付きます。
逆に、家のきしみだとか、風のイタズラとも言えるのですが、果たして家のきしみや風などが、ドアやふすまをノックしたりするのでしょうか。
というのも、今日、起きたラップ音はちと強烈でして、部屋にフラッシュをたいたような閃光とパチン!という音。ベッドに入り電気を消し、寝れんなー。。。なんて思ってた矢先でしたので起きてはいたかと。
パッと考えられるのが、なんらかのヒューズが飛んだり、電球が切れた。というケース。REDなども含め探してみると結構電球って多いものです。トイレの電球が切れる時とかもパチン!と言って消えたり。こんな時の原因として、なんらかの原因で、止揚り高い電圧がかかった時に起きることてヒューズなり配線が切れるんです。
が、寝る前に、スピーカー、パソコンのモニターを切り、天井の蛍光灯消した状態で、部屋全体を明るくするほどの閃光が出るものか、不可思議ではあります。
当然ですが、ヒューズに関係している物、電球などを総点検。電球が切れていれば光らないですし、ヒューズが飛んでいれば、そのコンセントなりは使えない状態となるのですが、全て異常なしでした。ビニール等での静電気というのも考えられますが、フラッシュほどの閃光は出ないかと思います。
と、考えると、なんらかのエネルギーが何かに作用し、ラップ音と光として発した。というのが一番腑に落ちる結論となるのですが、なにせ霊感がないため、確証もないのですが。
これで、何かの声でも聞こえれば、心霊現象だ。と言えるのですが、この部屋、まず無音という状況は無く、パソコンのファンの音だったり、外からは車やバイク、電車、ヨッパライ、サイレンなど常に音がしている状態。
かつ、幽霊の発する言葉というのは、EVPと呼ばれ、人間が聞き取れる周波数帯ではないことが多く、それ専用の録音出来る機器が必要というのが、心霊調査を行う人達の定石となっています。
このラップ音で一気に交感神経が張り詰め、眠気も来ない。というのもありますが、これを書き終える頃やっと眠気が来ているのも事実であって真に曖昧なのが厄介なところかと思います。
2011年8月27日土曜日
生きる理由
人間誰でも生を受け、生きて、いずれ死ぬ。この理は抗うこともできない。その中でやはり人間、なんで生きてるの?という疑問にもにた物は常に現れる。
生きるためには、生きるだけの理由がある。その考えは人それぞれだから、どんな理由でも否定はしないし誰にもではないと思います。死ぬ理由がないから生きている。それも生きる理由になるのではないかと。
今、日本中で騒がれている放射能の問題。食べ物、地域、その他いろいろなところに波及している。その中で自分はどう生きていくか。
外国に避難する人、国内でも西に避難する人、危険と思う物は食べない人、それも自分にとって生きる理由になると思います。死にたくない理由。ともいえると思いますが。
逆に今ある危険を受け入れる人、その地から避難しない人、避難したくても出来ない人に、自分の生活を少し犠牲にし、なんらかの助力をする人。生活レベルは多少下がっても、別に良いと生きる人。それも生きる理由になると思います。
そこには、正しいも悪いも差別もなにもなく、自分の生き方の問題であり、それは自分自身で決めることであり、誰にも何も言える筋合いはないのではないかと。それぞれがそれぞれの生きる理由で生きているのだから。
人間、誰だって、どんな大切な人だって、何時死ぬのかなんて分からない。だからリスクを少しでも回避するのも1つの手だと思う。逆に何時死ぬか分からないんだから、別にそのままでいい。それも1つの手だと思います。
極論を言えば、どんなにリスクを回避したとしても、明日なにかしらで死ぬかもしれない。そんな事は誰もが思うところであるのではないか。
なら、生きている今を楽しむ。それもいいんじゃないかと。
そんな風に考えると出てくる歌
「トレイン・トレイン」 「チェインギャング」 「チューインガムを噛みながら」
我ながら、ブルーハーツ世代だと思う。でも、やはり共感してしまう。
生きるためには、生きるだけの理由がある。その考えは人それぞれだから、どんな理由でも否定はしないし誰にもではないと思います。死ぬ理由がないから生きている。それも生きる理由になるのではないかと。
今、日本中で騒がれている放射能の問題。食べ物、地域、その他いろいろなところに波及している。その中で自分はどう生きていくか。
外国に避難する人、国内でも西に避難する人、危険と思う物は食べない人、それも自分にとって生きる理由になると思います。死にたくない理由。ともいえると思いますが。
逆に今ある危険を受け入れる人、その地から避難しない人、避難したくても出来ない人に、自分の生活を少し犠牲にし、なんらかの助力をする人。生活レベルは多少下がっても、別に良いと生きる人。それも生きる理由になると思います。
そこには、正しいも悪いも差別もなにもなく、自分の生き方の問題であり、それは自分自身で決めることであり、誰にも何も言える筋合いはないのではないかと。それぞれがそれぞれの生きる理由で生きているのだから。
人間、誰だって、どんな大切な人だって、何時死ぬのかなんて分からない。だからリスクを少しでも回避するのも1つの手だと思う。逆に何時死ぬか分からないんだから、別にそのままでいい。それも1つの手だと思います。
極論を言えば、どんなにリスクを回避したとしても、明日なにかしらで死ぬかもしれない。そんな事は誰もが思うところであるのではないか。
なら、生きている今を楽しむ。それもいいんじゃないかと。
そんな風に考えると出てくる歌
「トレイン・トレイン」 「チェインギャング」 「チューインガムを噛みながら」
我ながら、ブルーハーツ世代だと思う。でも、やはり共感してしまう。
2011年8月26日金曜日
プレイ
自分、基本インドアなんですが、唯一と言っていいアウトドアな趣味、スノーボード。特にパウダーなんてその開放感、ほんとに気持ちいい。ある意味SEXより気持ちいいと思っています。
SEX。病の自分にとって、思い込みかもしれませんがラヴって今は出来ないなぁ~なんて思ったりします。ラヴのあるSEXはエッチなんて呼んだりしますが、好きという気持ちを伝えるに当たっては分かりやすい行為だと思います。
これとは別に、性欲を満たしたい為のSEX。自分はこれをエロと呼んでいます。今、エロに対して全くしたいとも思わないんです。エロ自体、人の体を使ったオナニーとおんなじなんだから、別にビデオ借りてきて自分でした方が早いし簡単じゃん。なんて思ったり、実際、聞かれたらそれを言います。
だからプレイならいいよ。なんて笑いながら言うんですが、性欲が根本だとふざけた話になってしまいますが、割とマジメだつたりします。
例えば、友人とキャッチボールをする。これもプレイ(遊び)の1つですね。自分はさほど野球の経験はないのですが、友人は結構ハードにしていたとします。となると、自分の全力が相手の50%ぐらいだったりすることもある訳で。
ずっとやっていれば、当然物足りなさを感じるでしょう。自分だって100km/hを超えるような豪速球なんて捕れません。いずれにしても結果として、飽きた=楽しくなくなった。って状態になると思います。
でも、久しくボールを触ってなかったりすると、ちょっとやるのであれば、それなりに楽しめると思います。ボールの感触、グローブの感触、ノックなど。本格的にってなると物足りなさや限界がくれど、遊びとなれば、楽しくなくなった時点で止めればいい話であって。
1人で遊んでるんであれば、その判断も付きやすいんですが、2人以上となると、どちらかが楽しくない状態ってこともある訳で。自分は誰かが楽しくなくなったら止めれば良い。もっと複数であれば、楽しくないと思った人が抜けても問題はないと思うんです。
みんなで。とか、団体行動、苦手です。でも楽しければそれでいいし、それがプレイであると。自分が楽しい思いをしている間、誰かが楽しくない思いをするのであれば、自分的には、ちと消極的になってしまいます。
遊びだってやるからには。綿密に計画してみたり、マジすげぇなんて言われる(バカじゃねぇの?)と言われるぐらにい徹底的に、楽しみたい。それが行動が極端だって言われる理由なのかなー。。。とも思います。
SEX。病の自分にとって、思い込みかもしれませんがラヴって今は出来ないなぁ~なんて思ったりします。ラヴのあるSEXはエッチなんて呼んだりしますが、好きという気持ちを伝えるに当たっては分かりやすい行為だと思います。
これとは別に、性欲を満たしたい為のSEX。自分はこれをエロと呼んでいます。今、エロに対して全くしたいとも思わないんです。エロ自体、人の体を使ったオナニーとおんなじなんだから、別にビデオ借りてきて自分でした方が早いし簡単じゃん。なんて思ったり、実際、聞かれたらそれを言います。
だからプレイならいいよ。なんて笑いながら言うんですが、性欲が根本だとふざけた話になってしまいますが、割とマジメだつたりします。
例えば、友人とキャッチボールをする。これもプレイ(遊び)の1つですね。自分はさほど野球の経験はないのですが、友人は結構ハードにしていたとします。となると、自分の全力が相手の50%ぐらいだったりすることもある訳で。
ずっとやっていれば、当然物足りなさを感じるでしょう。自分だって100km/hを超えるような豪速球なんて捕れません。いずれにしても結果として、飽きた=楽しくなくなった。って状態になると思います。
でも、久しくボールを触ってなかったりすると、ちょっとやるのであれば、それなりに楽しめると思います。ボールの感触、グローブの感触、ノックなど。本格的にってなると物足りなさや限界がくれど、遊びとなれば、楽しくなくなった時点で止めればいい話であって。
1人で遊んでるんであれば、その判断も付きやすいんですが、2人以上となると、どちらかが楽しくない状態ってこともある訳で。自分は誰かが楽しくなくなったら止めれば良い。もっと複数であれば、楽しくないと思った人が抜けても問題はないと思うんです。
みんなで。とか、団体行動、苦手です。でも楽しければそれでいいし、それがプレイであると。自分が楽しい思いをしている間、誰かが楽しくない思いをするのであれば、自分的には、ちと消極的になってしまいます。
遊びだってやるからには。綿密に計画してみたり、マジすげぇなんて言われる(バカじゃねぇの?)と言われるぐらにい徹底的に、楽しみたい。それが行動が極端だって言われる理由なのかなー。。。とも思います。
2011年8月25日木曜日
葛藤-2
クダラナイと思うかは、人それぞれで。
会社から、厚生年金振り込んでーという紙があったので、6,7月分、あと8月までの住民税を振り込みに銀行へ行きました。ATMでいろいろやるのもメンドイので窓口の人に言って、お願いすることに。
順番の紙を持って、椅子に座っていたんです。別になにもすることが無かったので、下方を何気に視点なく見ていたら、窓口の人の足が。
足フェ否、ふとです。ふと見たら、まぁいわゆるストッキングが伝線してたんですね。まぁ伝線しやすい物でもあり、女性は爪にも気を使います。マニキュアだったりペディキュアだったり、プリキュア、これは違いますね。
で、つま先に補強が無い、サンダル用のヌードトゥなんてのもあるわけなんですが、どうも足の爪で伝線→それが拡大してしまい、もはや足親指が露出している状態だったんです。
それはつまり、男で言えば、女性でも言えますが、靴下に穴があいていて、それが見えて親指が出てしまっている状況、すなわち恥ずかしい状況な訳で。
同僚の人とか、誰か言ってあげないのか、彼女は帰宅するまでその恥ずかしい状況のまま営業を続けることを考えると、アドバイスした方が。。。いや、変態とも思われかねない。どうするべきか。。。くぅ。
以前、友人達とカラオケに行った時、隣の女子の座り方が悪かったのか、スカートがめくれてしまい、おパンティーが丸見えになってたんです。その時、気付いたのは自分だけで、その時も同じような葛藤がありました。言うべきか、言わざるべきか。
言えば気付き、すぐに直すだろう。でも、結果によっては自分がスケベェ扱いされるかもしれない。でも言わなかったら。。。その状態を露呈し続けてしまう。。。自分が気付くまで。それを他の人に見られたらもっと恥ずかしいのではないか。くぅぅぅ
もう、汚れ役は俺だけでいい!と決意し、丁度隣でもあったので、肩をちょんちょんとつつき、ちょっと、すげぇ言いづらいんだけどさ、スカートがね、ちょっとね。ああ、言ってしまった。でもこれでいい。これで全てが丸く収まる。平手打ちされても構うものか。
もぅ、やだぁ!と関西的ツッコミ(関西の友人なので)をされ、笑って言われたのですが、こちとら真剣です。いやね、俺もすげ言うかどうか迷ったのよ。でも言わなかったらずっと露わな状態じゃん?皆に気付かれる前にってね。
結局、教えてくれてありがと。って言われました。友人だから言えたのですが、その銀行の窓口の方には。。。さすがに言えなかった自分に完敗。
ちなみに、ありがとう。って言われたので、自分も、ありがとう。って言ったら、チョップされました。何故でしょうか。。。
会社から、厚生年金振り込んでーという紙があったので、6,7月分、あと8月までの住民税を振り込みに銀行へ行きました。ATMでいろいろやるのもメンドイので窓口の人に言って、お願いすることに。
順番の紙を持って、椅子に座っていたんです。別になにもすることが無かったので、下方を何気に視点なく見ていたら、窓口の人の足が。
足フェ否、ふとです。ふと見たら、まぁいわゆるストッキングが伝線してたんですね。まぁ伝線しやすい物でもあり、女性は爪にも気を使います。マニキュアだったりペディキュアだったり、プリキュア、これは違いますね。
で、つま先に補強が無い、サンダル用のヌードトゥなんてのもあるわけなんですが、どうも足の爪で伝線→それが拡大してしまい、もはや足親指が露出している状態だったんです。
それはつまり、男で言えば、女性でも言えますが、靴下に穴があいていて、それが見えて親指が出てしまっている状況、すなわち恥ずかしい状況な訳で。
同僚の人とか、誰か言ってあげないのか、彼女は帰宅するまでその恥ずかしい状況のまま営業を続けることを考えると、アドバイスした方が。。。いや、変態とも思われかねない。どうするべきか。。。くぅ。
以前、友人達とカラオケに行った時、隣の女子の座り方が悪かったのか、スカートがめくれてしまい、おパンティーが丸見えになってたんです。その時、気付いたのは自分だけで、その時も同じような葛藤がありました。言うべきか、言わざるべきか。
言えば気付き、すぐに直すだろう。でも、結果によっては自分がスケベェ扱いされるかもしれない。でも言わなかったら。。。その状態を露呈し続けてしまう。。。自分が気付くまで。それを他の人に見られたらもっと恥ずかしいのではないか。くぅぅぅ
もう、汚れ役は俺だけでいい!と決意し、丁度隣でもあったので、肩をちょんちょんとつつき、ちょっと、すげぇ言いづらいんだけどさ、スカートがね、ちょっとね。ああ、言ってしまった。でもこれでいい。これで全てが丸く収まる。平手打ちされても構うものか。
もぅ、やだぁ!と関西的ツッコミ(関西の友人なので)をされ、笑って言われたのですが、こちとら真剣です。いやね、俺もすげ言うかどうか迷ったのよ。でも言わなかったらずっと露わな状態じゃん?皆に気付かれる前にってね。
結局、教えてくれてありがと。って言われました。友人だから言えたのですが、その銀行の窓口の方には。。。さすがに言えなかった自分に完敗。
ちなみに、ありがとう。って言われたので、自分も、ありがとう。って言ったら、チョップされました。何故でしょうか。。。
葛藤
今日、旅行会社に行き、いろいろ相談してきました。まず宿、福島の真ん中に、東北新幹線が通っているのですが、新幹線から東(太平洋側)では復興者受け入れの為、ほとんどの宿が営業していないそうな。
震災復興プランなんてのもあって、安いプランを提供もしているのですが、相談の中で、まぁ自分達のニーズを言ったんです。
地元産の美味しい魚介類や野菜や肉を食べたいんです。
と、言ったら、旅行会社の方、ちと困り顔。例えば、宿自慢の料理の写真とかが載ってるんですが、これが地元産とは限らない訳で。海の幸。純地元産の物と言われると、その確証をとれるのは不可能な訳で、困り顔をするのも確かかと。すみません。わがまま言って。
帰り道、なんかモヤモヤするものが。福島に行く。これは自分の目的もあるわけなんですが、そこで何か食べようとして、それが地元のものではない。危険だから。
別に自分から地雷源に入るつもりはないのですが、変な偏見から福島産の物を食べないのはオカシイと思い。現実として福島産の物が関東には置かれていない。それじゃ福島行けば。。。いや、福島にも無いのでは元も子もないわけで。なんとなく葛藤。
それでも、被災地に直接お金を落とすことには変わりなく、まぁ行かないことには分からない。という結論が出たのですが。なんでしょう。このモヤモヤ感。一気に気仙沼行って、サンマでも食べますか。
いろいろな矛盾があってその数だけ葛藤があって、それを見るか、見ないかは自分の判断。確かに全てを見るのは不可能だろう。でもそこにも葛藤があったり。
震災復興プランなんてのもあって、安いプランを提供もしているのですが、相談の中で、まぁ自分達のニーズを言ったんです。
地元産の美味しい魚介類や野菜や肉を食べたいんです。
と、言ったら、旅行会社の方、ちと困り顔。例えば、宿自慢の料理の写真とかが載ってるんですが、これが地元産とは限らない訳で。海の幸。純地元産の物と言われると、その確証をとれるのは不可能な訳で、困り顔をするのも確かかと。すみません。わがまま言って。
帰り道、なんかモヤモヤするものが。福島に行く。これは自分の目的もあるわけなんですが、そこで何か食べようとして、それが地元のものではない。危険だから。
別に自分から地雷源に入るつもりはないのですが、変な偏見から福島産の物を食べないのはオカシイと思い。現実として福島産の物が関東には置かれていない。それじゃ福島行けば。。。いや、福島にも無いのでは元も子もないわけで。なんとなく葛藤。
それでも、被災地に直接お金を落とすことには変わりなく、まぁ行かないことには分からない。という結論が出たのですが。なんでしょう。このモヤモヤ感。一気に気仙沼行って、サンマでも食べますか。
いろいろな矛盾があってその数だけ葛藤があって、それを見るか、見ないかは自分の判断。確かに全てを見るのは不可能だろう。でもそこにも葛藤があったり。
2011年8月21日日曜日
人工知能。。。ねぇ
最近、ツイッターを多いに活用しているんですが、別にテキストに飽きたっていう訳ではなく、140字程度のふとした思いは何時だって思うわけでそれを書く。ようは、長文、テキストにもなりえないからツイートという形にしているとも言えるのだと思う。
ここは自称テキストサイト。思ったことを文字にするんですが、当然、読んでいただく事を前提にして書いているので、極力思いはそのままに、けど最低限のマナー、誤解を招くようなことのないよう言葉を選んでいたりもするのも確か。これだけでも140字を超えるからテキストとしてここに記すわけなんですが。
そういう面では、その時、リアルタイムで思ったことを書くという事に関しては利点があり、それを読んだ人が何かを感じ、軽くではあるもののコミニケーションもとれたり。まぁ逆も然りなわけなんですが。
皆が別々の思想を持っているから、人の書いたことに違和感を感じたり、時には嫌悪を感じたり。それは自分の書いたことも当然であり、ケース バイ ケースで返事をしたりスルーをしたり煽ってみたり。まぁ140字程度で全てが書けるようなもんだったら、この世界はどんだけチッポケよ?というのが率直な感想だったりするのですが。
~~~~~~~~~~~
話は変わり、日本で世界最高の演算速度を持つスーパーコンピューター「京」は有名なところですが、既に次の世代の研究は進まれていて、それはもはや人間の演算速度を超えるとまでいわれるほどらしいです。
ってか、それだけ人間の演算速度はメチャクチャ速いわけで、一秒で何億もの神経や筋肉、血流、内臓等の指令を送っていて、その「京」でもかなわないほど、例えば今こうしてテキストを書いている。思考の中から、適切な言葉を選び、視神経を通してモニター、キーボードを見ながら、何千もの神経や筋肉を動かしてタイピングしている。
そしてタイピングしている間、ようは作業中であっても次に書くことや、その外でも喉が渇いたとか、タバコ吸いたいとか、別のことをマルチに考えてる。確かにすげえ。脳。
演算能力が人間を超えたからと言って、例えばそれを並列に配置し、人間の何倍もの演算能力を得たとして、果たして知能と呼べる代物になるのかどうか。
例えば、今なんとなしに感じてる閉塞感。デカイ宇宙の、ちっちゃい地球の、さらに極小の島国の、片隅ともいえる場所の、更に片隅のマンションのそのうちの1つの部屋のさらに隅のパソコンの上に座っていて、そこでもなんとなく閉塞感を覚えたり。
でも逆に考えれば、心は無から有を生み出し、想像すれば、一瞬でこんな狭い部屋の狭い地区の狭い島国のちっちゃい地球を包む宇宙より大きく、無限大とも言える考えを持つこともできる。
そんな矛盾。安い物だが、どんな値段でも売れない物、軽くても重いもの、小さいけれど大きい物、そんな心の矛盾を果たして演算という形で処理できるのか。
あらゆる歴史、文化、産業、世界中の情報を詰める込むだけ詰め込んで、今でいえばインターネットがそれにあたりますか。それらをデータベースとしてシュミレートし、判断を下すことは可能だと思う。51:49でこちらの方が良い。というような判断。
でも、それってココロからすれば何かが違う。それが出来れば苦労はしないって訳で、やはり、人工知能、要は脳と同じ働きをさせるのは不可能ではないか。というのが結論なんですが。
でも、大きな決断を迫られた時、人間は迷う。それは何人いようと同じであり、いろいろな意見をぶつけ、その中から最もベターな方策を打ち出す、多数派が思うことで決定する民主主義という思想であるならば、個人の勝手な思いつき的発言なんてのもなくなり、あらゆる分野をシュミレートし、最もベターな方策をデジタル的に打ち出すには、良いツールなのかもしれません。
アニメ「エヴァンゲリオン」も3台のコンピューターで議論させている。とある~の学園都市もスリーダイアグラムという人工知能に似た物で統括していることを考えれば、別に極論でもないとは思います。そのコンピューターが出した答えに感情は無い。逆に感情という物をデータベースとすればそれをも演算した結果を出すと思います。
その答えをどこから切っても、全てに根拠があり、まさにぐうの声も出ない解答を打ち出してくれる。政治とかで変にもめるんだったら、それを判断材料としても全く問題はないと率直に思う。
ただ、これは政治的、民主的思想、多くの人がいる中であって初めて成立するものであって、1人で考える場合、そこに多数決もなにもないのだから、99:1の解答を出されても、1を選択することもあるんじゃないか。なんて思うので、やはりココロの構築は不可能と判断いたします。
ここは自称テキストサイト。思ったことを文字にするんですが、当然、読んでいただく事を前提にして書いているので、極力思いはそのままに、けど最低限のマナー、誤解を招くようなことのないよう言葉を選んでいたりもするのも確か。これだけでも140字を超えるからテキストとしてここに記すわけなんですが。
そういう面では、その時、リアルタイムで思ったことを書くという事に関しては利点があり、それを読んだ人が何かを感じ、軽くではあるもののコミニケーションもとれたり。まぁ逆も然りなわけなんですが。
皆が別々の思想を持っているから、人の書いたことに違和感を感じたり、時には嫌悪を感じたり。それは自分の書いたことも当然であり、ケース バイ ケースで返事をしたりスルーをしたり煽ってみたり。まぁ140字程度で全てが書けるようなもんだったら、この世界はどんだけチッポケよ?というのが率直な感想だったりするのですが。
~~~~~~~~~~~
話は変わり、日本で世界最高の演算速度を持つスーパーコンピューター「京」は有名なところですが、既に次の世代の研究は進まれていて、それはもはや人間の演算速度を超えるとまでいわれるほどらしいです。
ってか、それだけ人間の演算速度はメチャクチャ速いわけで、一秒で何億もの神経や筋肉、血流、内臓等の指令を送っていて、その「京」でもかなわないほど、例えば今こうしてテキストを書いている。思考の中から、適切な言葉を選び、視神経を通してモニター、キーボードを見ながら、何千もの神経や筋肉を動かしてタイピングしている。
そしてタイピングしている間、ようは作業中であっても次に書くことや、その外でも喉が渇いたとか、タバコ吸いたいとか、別のことをマルチに考えてる。確かにすげえ。脳。
演算能力が人間を超えたからと言って、例えばそれを並列に配置し、人間の何倍もの演算能力を得たとして、果たして知能と呼べる代物になるのかどうか。
例えば、今なんとなしに感じてる閉塞感。デカイ宇宙の、ちっちゃい地球の、さらに極小の島国の、片隅ともいえる場所の、更に片隅のマンションのそのうちの1つの部屋のさらに隅のパソコンの上に座っていて、そこでもなんとなく閉塞感を覚えたり。
でも逆に考えれば、心は無から有を生み出し、想像すれば、一瞬でこんな狭い部屋の狭い地区の狭い島国のちっちゃい地球を包む宇宙より大きく、無限大とも言える考えを持つこともできる。
そんな矛盾。安い物だが、どんな値段でも売れない物、軽くても重いもの、小さいけれど大きい物、そんな心の矛盾を果たして演算という形で処理できるのか。
あらゆる歴史、文化、産業、世界中の情報を詰める込むだけ詰め込んで、今でいえばインターネットがそれにあたりますか。それらをデータベースとしてシュミレートし、判断を下すことは可能だと思う。51:49でこちらの方が良い。というような判断。
でも、それってココロからすれば何かが違う。それが出来れば苦労はしないって訳で、やはり、人工知能、要は脳と同じ働きをさせるのは不可能ではないか。というのが結論なんですが。
でも、大きな決断を迫られた時、人間は迷う。それは何人いようと同じであり、いろいろな意見をぶつけ、その中から最もベターな方策を打ち出す、多数派が思うことで決定する民主主義という思想であるならば、個人の勝手な思いつき的発言なんてのもなくなり、あらゆる分野をシュミレートし、最もベターな方策をデジタル的に打ち出すには、良いツールなのかもしれません。
アニメ「エヴァンゲリオン」も3台のコンピューターで議論させている。とある~の学園都市もスリーダイアグラムという人工知能に似た物で統括していることを考えれば、別に極論でもないとは思います。そのコンピューターが出した答えに感情は無い。逆に感情という物をデータベースとすればそれをも演算した結果を出すと思います。
その答えをどこから切っても、全てに根拠があり、まさにぐうの声も出ない解答を打ち出してくれる。政治とかで変にもめるんだったら、それを判断材料としても全く問題はないと率直に思う。
ただ、これは政治的、民主的思想、多くの人がいる中であって初めて成立するものであって、1人で考える場合、そこに多数決もなにもないのだから、99:1の解答を出されても、1を選択することもあるんじゃないか。なんて思うので、やはりココロの構築は不可能と判断いたします。
2011年8月18日木曜日
その程度。どの程度?
分相応に生きるって言葉は、別に悪い言葉ではないと思います。国語辞典とかで調べたり、第一印象ってなんかイヤな響きだけど、分相応を知るということも大切かなと。
自分の置かれている状況、周りの状況、いろいろな環境それらを認識し、自分の今の状態を見極め、その状態の出来る範囲で生きるということは、地に足をつけ、生きることと同じと捉えているかもしれません。
宇宙飛行士になりたい。と夢見る人は多いと思います。その為に必死で勉強している人もいるでしょう。でもそんな大勢の中の一握りが候補として選ばれ、更にその一握りの人が宇宙飛行士になれる。当たり前といえば当たり前なんですが。
人一倍頑張って、それでも漏れた人もいると思います。頑張りバロメーターなんてついてはいないのですから。その人はいったいどう思うか。自分はどんなに頑張っても無理なのか?どれだけ頑張ればいい?自分を見失う。少なくとも、勉強していない人よりは知識は多くあるのに。
そんな時に、自分が今、どの程度のレベルなのか、それを知る事は非常にプラスだと思います。そこで、自分の頑張りもその程度か。と諦めるのも正解であり、この程度ならと更に熱意を大きくさせることも正解かと。
順位で物事を決められないことも多くあれど、自分が今いるレベルを認識する。ある程度知識を持っていても、もっと知識を持っている人からすれば浅知恵な人間であり、多少、何かのスキルがあってもやはり上には上がいて、その人からすれば、低いレベルの人となるのは確か。
自分の趣味だったり、楽しい事を生業にあまりしたくないな。と思うのはその為でしょうか。プロと呼ばれている人も、その中のレベルの中でレベルに応じた事をするのでしょう。時にはそれが挫折へと繋がったりするかもしれません。お前はその程度で諦めるのか!なんて激もありますが、当の本人からすれば非常に重要なことだと。
トッププロ。最高レベルにいる一握りの人にも、昇りつめた。という喜び、誇りとともに、そのレベルにい続ける、追う者は後を絶たず、更にレベルを上げなければというプレッシャーは相当な物だと思う。時にそれがイヤになってしまったりする。
好きなこと、楽しいことなのに、嫌な思いをする。ってかなり過酷だと思うのですが、どうなんでしょうかね。ちなみに辛い思いをするのと、嫌な思いをすることは別と考えています。練習や鍛錬が辛いのは当たり前。その中に楽しみを見出しているのだから。
好きな事して生活出来るんが一番。と皆が言いますが、その好きな事が嫌いになってしまわないよう、自分は、楽しいと思えるレベルの中で楽しもうかと。趣味に関しては。
自分の置かれている状況、周りの状況、いろいろな環境それらを認識し、自分の今の状態を見極め、その状態の出来る範囲で生きるということは、地に足をつけ、生きることと同じと捉えているかもしれません。
宇宙飛行士になりたい。と夢見る人は多いと思います。その為に必死で勉強している人もいるでしょう。でもそんな大勢の中の一握りが候補として選ばれ、更にその一握りの人が宇宙飛行士になれる。当たり前といえば当たり前なんですが。
人一倍頑張って、それでも漏れた人もいると思います。頑張りバロメーターなんてついてはいないのですから。その人はいったいどう思うか。自分はどんなに頑張っても無理なのか?どれだけ頑張ればいい?自分を見失う。少なくとも、勉強していない人よりは知識は多くあるのに。
そんな時に、自分が今、どの程度のレベルなのか、それを知る事は非常にプラスだと思います。そこで、自分の頑張りもその程度か。と諦めるのも正解であり、この程度ならと更に熱意を大きくさせることも正解かと。
順位で物事を決められないことも多くあれど、自分が今いるレベルを認識する。ある程度知識を持っていても、もっと知識を持っている人からすれば浅知恵な人間であり、多少、何かのスキルがあってもやはり上には上がいて、その人からすれば、低いレベルの人となるのは確か。
自分の趣味だったり、楽しい事を生業にあまりしたくないな。と思うのはその為でしょうか。プロと呼ばれている人も、その中のレベルの中でレベルに応じた事をするのでしょう。時にはそれが挫折へと繋がったりするかもしれません。お前はその程度で諦めるのか!なんて激もありますが、当の本人からすれば非常に重要なことだと。
トッププロ。最高レベルにいる一握りの人にも、昇りつめた。という喜び、誇りとともに、そのレベルにい続ける、追う者は後を絶たず、更にレベルを上げなければというプレッシャーは相当な物だと思う。時にそれがイヤになってしまったりする。
好きなこと、楽しいことなのに、嫌な思いをする。ってかなり過酷だと思うのですが、どうなんでしょうかね。ちなみに辛い思いをするのと、嫌な思いをすることは別と考えています。練習や鍛錬が辛いのは当たり前。その中に楽しみを見出しているのだから。
好きな事して生活出来るんが一番。と皆が言いますが、その好きな事が嫌いになってしまわないよう、自分は、楽しいと思えるレベルの中で楽しもうかと。趣味に関しては。
2011年8月16日火曜日
風邪をひいてしまいました。
バカは風邪をひかない。という言葉がありますが、年に2回ほど、ひくようです。その1回目?2回目?が日曜日、起きたら、ソレと思わしき症状が出たので風邪かと。
まず、ベッドから立てません。三半規管がぶっ壊れたのかヒザに力が入らないのか、後方であれば立ち上がろうとするとおっとっとってベッドに。前傾であれば、おととととってソファーにダイブ。とうとう二足歩行もできなくなってしまったかっという退化ぶり。
自分の頭を中心に地球がグルグル回っているので、どっちに進んでいるのかわかりませんが、ひとまず千鳥足で日曜の朝食を買って、何をしてたのかあまり覚えてなく、ツイッターでもしてたんかな。やべ、風邪ひいた。って書いたら、次の日友人が差し入れ届けてくれました。サンクス。感謝。
で、いつものクスリ+風邪薬飲んで、ずーーーっと寝てました。不幸中の幸いか、水が金曜日に届いたので水大量に飲んで、寝て。そんなんずっーとやってました。風邪に特効薬無し。水分補給と寝るというシンプルかつ一番の療法で。
天上はボックスなのでほっとけばいいし。でPCも見ずに。
で、今日になってやっと少し回復。眩暈程度になってくれました。頭痛はいつものことなんで分かりませんが、体温計無し、喉の痛みなし、セキ無し。風邪と確定出来るかどうかわかりませんが、水を飲んで寝ていたら楽になったので風邪なのでしょう。
とりあえず油断は禁物なので、食って、休むことに専念したいと思います。
まず、ベッドから立てません。三半規管がぶっ壊れたのかヒザに力が入らないのか、後方であれば立ち上がろうとするとおっとっとってベッドに。前傾であれば、おととととってソファーにダイブ。とうとう二足歩行もできなくなってしまったかっという退化ぶり。
自分の頭を中心に地球がグルグル回っているので、どっちに進んでいるのかわかりませんが、ひとまず千鳥足で日曜の朝食を買って、何をしてたのかあまり覚えてなく、ツイッターでもしてたんかな。やべ、風邪ひいた。って書いたら、次の日友人が差し入れ届けてくれました。サンクス。感謝。
で、いつものクスリ+風邪薬飲んで、ずーーーっと寝てました。不幸中の幸いか、水が金曜日に届いたので水大量に飲んで、寝て。そんなんずっーとやってました。風邪に特効薬無し。水分補給と寝るというシンプルかつ一番の療法で。
天上はボックスなのでほっとけばいいし。でPCも見ずに。
で、今日になってやっと少し回復。眩暈程度になってくれました。頭痛はいつものことなんで分かりませんが、体温計無し、喉の痛みなし、セキ無し。風邪と確定出来るかどうかわかりませんが、水を飲んで寝ていたら楽になったので風邪なのでしょう。
とりあえず油断は禁物なので、食って、休むことに専念したいと思います。
2011年8月13日土曜日
週末がやってきましたね。
天上では、体力のあるボックスが出てきたので、もう、月曜日までずっとフルボッコ状態でしょう。なのでヒマ。
それはおいといて、なんとなくあっと言う間に過ぎた1週間でした。予定があったのは月曜日だけだったのに。惰性で生活して、1日がこんなに早かったのは、あまりないのに。
時間というものを発見し、時計というものを発明してから、時間というものはは確実に皆平等に進んでいる。狂いなく、正確に。
それを、早い、遅いと感じるかは自分の感覚によるものなのでしょうが。
約束や楽しみな事が予定にあると、それを待っている時間は遅く感じる。今回はその逆かもしれない。タイムリミットが、導火線が少しずつ短くなっていく。焦ることはないんだけど、つい焦ってしまう。手は打ってあるのに、やはり不安になってしまう。そんな時が経つのはえらく早い。
今回のことを考えると、リミットを過ぎると、もう一気に、雪崩のように物事が進むなぁ。と思いました。自然の雪崩と同じように、その状況で生き残る人と巻き込まれる人の差は、それに対応する知識と判断力、行動力がものを言うな。と。
まぁ、その雪崩に近づかないってのが一番なんでしょうが、アクシデントってのもあるわけで。知識、そして冷静さを持っていれば、なにかしらの手を打ち、雪崩から身を守る。少なくとも生き残れると。
でも、1度パニクッてしまったら、なにも動けず、雪崩に巻き込まれてしまう。そしてなす術もないまま、既に確立されてしまっている、最悪のルートをかけ下りるというよりかけ落ちる。雪崩に例えたのは、発生から不安、衝動までの時間が極端に短いと思うから。物凄いスピードで崩れ落ちる。
手は打ってあると言っても、磐石、100%確実じゃないから不安な部分もあると思う。今は自分の知らない所で事が進んでいる。自分のすべきことは早々に行った。あとは待つだけ。
何時。というのが決まっていれば、それほど不安にもならなかっただろう。でも、どれも、「たら、れば」がつきまとう。処理は早い。でも、それを送ってなかっ”たら”。。。経由せず自分で直接送ってい”れば”。
条件は揃っていて、不備なく提出したはいいが、それを却下され”たら”どうしよう。担当の人は通りますよと言ってはいるがそれも100%じゃない。1%の不条理が怖い。それは皆、当たり前か。
決まったら、ハガキで郵送されます。と言われた。と、いうことは、会社が休みの週末は郵送されないということ。時間は過ぎても、時は止まる。そんな週末が、不安であり、怖い。
何故、こんなにも、人を信用することが、できなくなってしまったのだろう
それはおいといて、なんとなくあっと言う間に過ぎた1週間でした。予定があったのは月曜日だけだったのに。惰性で生活して、1日がこんなに早かったのは、あまりないのに。
時間というものを発見し、時計というものを発明してから、時間というものはは確実に皆平等に進んでいる。狂いなく、正確に。
それを、早い、遅いと感じるかは自分の感覚によるものなのでしょうが。
約束や楽しみな事が予定にあると、それを待っている時間は遅く感じる。今回はその逆かもしれない。タイムリミットが、導火線が少しずつ短くなっていく。焦ることはないんだけど、つい焦ってしまう。手は打ってあるのに、やはり不安になってしまう。そんな時が経つのはえらく早い。
今回のことを考えると、リミットを過ぎると、もう一気に、雪崩のように物事が進むなぁ。と思いました。自然の雪崩と同じように、その状況で生き残る人と巻き込まれる人の差は、それに対応する知識と判断力、行動力がものを言うな。と。
まぁ、その雪崩に近づかないってのが一番なんでしょうが、アクシデントってのもあるわけで。知識、そして冷静さを持っていれば、なにかしらの手を打ち、雪崩から身を守る。少なくとも生き残れると。
でも、1度パニクッてしまったら、なにも動けず、雪崩に巻き込まれてしまう。そしてなす術もないまま、既に確立されてしまっている、最悪のルートをかけ下りるというよりかけ落ちる。雪崩に例えたのは、発生から不安、衝動までの時間が極端に短いと思うから。物凄いスピードで崩れ落ちる。
手は打ってあると言っても、磐石、100%確実じゃないから不安な部分もあると思う。今は自分の知らない所で事が進んでいる。自分のすべきことは早々に行った。あとは待つだけ。
何時。というのが決まっていれば、それほど不安にもならなかっただろう。でも、どれも、「たら、れば」がつきまとう。処理は早い。でも、それを送ってなかっ”たら”。。。経由せず自分で直接送ってい”れば”。
条件は揃っていて、不備なく提出したはいいが、それを却下され”たら”どうしよう。担当の人は通りますよと言ってはいるがそれも100%じゃない。1%の不条理が怖い。それは皆、当たり前か。
決まったら、ハガキで郵送されます。と言われた。と、いうことは、会社が休みの週末は郵送されないということ。時間は過ぎても、時は止まる。そんな週末が、不安であり、怖い。
何故、こんなにも、人を信用することが、できなくなってしまったのだろう
2011年8月11日木曜日
赤紙がきた。(正確にはピンク)
引き落とし不能が2ヶ月続いたので、カード会社から督促状なるものが届きました。6月から想定内だったこと、それに対する手は既に打ってあるので、なんとかなるのはいいのですが。実際見るとちょっと凹みますね。
仕方ないとは言え、期限の無い待ちは長かったです。2ヶ月無収入はさすがに厳しい。それもこれもブツブツブツ。。。
と責任を転嫁しても、自分にも瑕疵があるのは確か。
・もともと貯えといてない。
・ボーナスならびに説明されていた6月の収入をあてにしていた。
そして最大のミス。
専門の部所の説明を鵜呑みにしてしまい、自分で確認しなかった。
ミスです。完全なるミスです。言い訳できません。文句はありますが。
ちなみに、支給についても、けんぽの説明と労務の説明に食い違いがありましたが、もういいです。そして6月に騒ぎを起こし、労務にさんざクレームを付け、労務に確認をとり、報告するという報告もされていないことは事実。
その間で自分の窓口がGMになったから、うちらはもういいやぁと思ってるんだろうなぁ。。。労務。。。なんの仕事なんでしょうねぇ。
ちなみにけんぽの請求書を、自分が直接労務Gへ提出すると言い出したら、いや俺がもらうからと、別の労務の方が受け取ったことに、何か訳でもあるのでしょうか。なんか焦っていたみたいですが。
滞りなく事が進めばセーフ。これが滞ったら。。。約1週間という”約”が3週間越ということになります。
仕方ないとは言え、期限の無い待ちは長かったです。2ヶ月無収入はさすがに厳しい。それもこれもブツブツブツ。。。
と責任を転嫁しても、自分にも瑕疵があるのは確か。
・もともと貯えといてない。
・ボーナスならびに説明されていた6月の収入をあてにしていた。
そして最大のミス。
専門の部所の説明を鵜呑みにしてしまい、自分で確認しなかった。
ミスです。完全なるミスです。言い訳できません。文句はありますが。
ちなみに、支給についても、けんぽの説明と労務の説明に食い違いがありましたが、もういいです。そして6月に騒ぎを起こし、労務にさんざクレームを付け、労務に確認をとり、報告するという報告もされていないことは事実。
その間で自分の窓口がGMになったから、うちらはもういいやぁと思ってるんだろうなぁ。。。労務。。。なんの仕事なんでしょうねぇ。
ちなみにけんぽの請求書を、自分が直接労務Gへ提出すると言い出したら、いや俺がもらうからと、別の労務の方が受け取ったことに、何か訳でもあるのでしょうか。なんか焦っていたみたいですが。
滞りなく事が進めばセーフ。これが滞ったら。。。約1週間という”約”が3週間越ということになります。
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